「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリー 著

ずっと読みたいと思っていた。1932年に描かれた本作はディストピア小説の傑作として、オーウェルの「一九八四年」と並び称されることも多い。その理由は読めばわかる。

西暦2540年、世界は自動車王フォードを神格化し、高度な効率化に基づく高福祉の実現によって安定社会を築き上げていた。人間は工場で生産され、条件付け教育に基づいて欲望は抑えられ、フリーセックスの奨励とソーマと呼ばれる快楽薬はストレスを解消し、遺伝子操作に基づき生まれながらにして定められた階級の中であるべき人生を歩む。共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)をモットーとする「すばらしい新世界」だ。

この作品世界は著者ハクスリーの未来予測に基づいて構築されている。1932年、彼は未来をどのように予測したか、本書に収められた1946年の「著者による新版への前書き」で詳しく語られているが、この前書きは実に鋭敏に冷徹に未来予測を行っていて唸らされる。

『すばらしい新世界』が描こうとしたのは科学の進歩そのものではなく、科学の進歩が人間に与える影響のことだった」(P379)という。科学の成果は「生命それ自体の自然なあり方を変えることはない」がゆえに「最も徹底した最終的な革命ではない」。すばらしい新世界の統治者たちの「目標は無秩序ではなく社会の安定だ。その安定を実現するために、科学を手段として、個々人の内面にかかわる究極の、真に革命的な革命を実行するのである」(P380)。

その「科学を手段として、個々人の内面にかかわる究極の、真に革命的な革命」こそが、幸福の問題、すなわち「どうやって人々に隷属を愛させるかという問題」(P385)だ。隷属への愛を実現する科学技術としてハクスリーが挙げるのが、第一に幼児期の条件付けなど暗示の技術、第二に個々人の区別を明確にする科学、第三にアルコールや薬物の代替物として快感を与える薬物、第四に人間の規格化である。「『すばらしい新世界』で描いたのは極端に空想的な形のものである」(P386)

さらにハクスリーは、本作の反省点として第一に「正気の道の可能性を提示」しなかったことと、核分裂とその技術に関して盛り込まなかったことを挙げているが、前者について一読者の立場で言うなら、袋小路のユートピアの中で正気の道がなくすべてが当たり前のように狂っていて、救いすらないがゆえに大傑作になっていると思う。

後者の核について、「ヒロシマから学ぶ能力があるならば、これからは、平和の時代とはいかなくても、破壊の程度が限定的で部分的な戦争の時代になるかもしれない。その状態が続くあいだ、原子力は産業用に利用されるだけということもありうるだろう」(P382)。とその後の世界の潮流を予測しているにとどまらない。ここからが彼の慧眼が光る。

原子力の利用がもたらす経済的、社会的変化について、「過去に例がないほど激烈な形で」、「従来からの人間の生活パターンが断ち切られ、新たなパターンが原子力の非人間的な性質に適応できるように形成されることになる」(P382)。これを実行するのは、「高度に中央集権化された全体主義国家によって実施されることになるだろう。それはもう必然的にそうなる」。なぜなら、「科学技術が急速に発展したのは、大量生産経済システムのもとにある、人口の大半が無産者である社会において」(P382)であり、「そこでは経済的、社会的混乱が引き起こされる傾向があったので、混乱に対処するため、権力の集中が起こり、政府の統制が増した」(P383)からだという。ゆえに、「原子力時代とそのあとに来る時代に各国政府が全体主義的になるのはほぼ確実だといえる」(P383)

一方で、「新しい全体主義が必ず古い全体主義に似なければならない理由はない」。新時代の科学技術が発達した時代における全体主義国家は効率性を重視した社会になる。

『真に効率的な全体主義国家というのは、強大な権力を持つ政治的ボスの小集団と、それに奉仕する事務方の軍団が、隷属を愛するがゆえに強制されなくても働く奴隷の大集団を管理する国家だ』(P383-384)

そして、来るべき未来像をこう予測してみせる。

『はっきり言って、われわれが権力を分散し、応用科学を人間を手段として使うためではなく、自由な諸個人からなる社会をつくるために利用する道を選ばないとすれば、与えられる選択肢は次のふたつだけだろう。ひとつは、ナショナリズムに凝り固まった軍事優先主義的、全体主義的な国々が、恐ろしい原子爆弾をみずからの基盤に据え、文明を破壊する世界(あるいは、戦争が限定的なものにとどまる場合は軍事優先主義が永続する世界)。もうひとつは、個々の国家を超越した全体主義の世界で、急速な科学技術の発達、とりわけ原子力革命から生じた社会的混乱をきっかけに現われ、効率性と安定性が追求される中で専制的福祉国家へと発達するユートピアだ。』(P387-388)

現実はハクスリーが挙げた最初の道も含めた三つの折衷、あるいはキメラとして戦後世界の諸国家が存立し、冷戦という軍事優先主義が永続する世界が誕生することになったが、国家ではなく社会の小集団たちに目を転じれば、少なからず「真に効率的な全体主義」的組織が各地で実現してきたことに気づくだろう。オーウェルが後に「一九八四年」で描いたのが前者だとすれば、ハクスリーが本作で描いたのが後者である。登場人物たちは誰もが自分が隷従を愛していることに気づかない。その矛盾はすべて社会システムとソーマと性的自由が解消してくれる。

その「すばらしい世界」に登場した主人公である「野蛮人」ジョンと世界統制官ムスタファ・モンドとが世界のあるべき姿を巡って対話と論争を繰り広げるクライマックスは本当にエキサイティングだ。

非常に洗練されたユートピアの体裁を持つディストピアとして描かれるこの世界が、なにゆえディストピアであるのか、あるいはなぜユートピアではないのかを真摯に問おうと思ったらかなり深くまで思考をめぐらしていく必要があるだろうし、またその思考の過程で袋小路に至ることも少なくないと思う。ある種の、戦後世界が抱いた普遍の理想を追求した先にある「すばらしい新世界」であるがゆえに、ディストピア小説の傑作として、本作は燦然と輝いている。

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