「イラク戦争は民主主義をもたらしたのか」トビー・ドッジ 著

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2014年6月に建国を宣言して以来半年、極端なジハード(聖戦)主義とサラフィー(復古)主義をむき出しにした組織ISILがシリア・イラク地域を中心として中東を席巻しつつある。しかし、彼らはなぜ、イラクに登場してきたのか。

2003年のイラク戦争は、終結後、米軍の駐留にもかかわらず大規模な内戦をイラクに引き起こした。本書は2005~2007年のイラク内戦勃発要因と、その後2012年までのイラクの安定化とマーリキー首相による強権的体制の成立、そして様々な不安定化要因について整理・分析した、「ISIL以前」を理解するのに最適の一冊だ。

第二次世界大戦以後におきた世界各地の内戦には3つの推進要因があるという。すなわち

1)非国家行為主体による暴力の利用を助長する社会のイデオロギー的傾向
2)国家の行政機構および警察・軍事機関の脆弱性
3)政治を形づくっている憲法的枠組みの性格

この相互に関連しあう内戦の社会文化的要因とされる3つの特徴はイラク内戦にもあてはまる。

イラクはサッダーム・フセインの政権奪取以後、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、湾岸戦争後の経済制裁による社会的経済的損失によって暴力の行使が広く認められる風潮が形作られた。特に90年代の経済制裁は国家による暴力の独占を揺るがし、犯罪行為の横行と国家に代わる私的暴力の行使が広がる。内戦の社会文化的要因として認められているのと同様の「暴力が広く一般から正統性を付与されること」と「暴力的性向を有する者の台頭」というふたつの現象がフセイン政権崩壊前までに見られていた。

国家に代わる暴力の行使の正統性とともに、宗派主義の拡大が挙げられる。宗教的・民族的アイデンティティに基づく政治的動員は特に2003年の国家崩壊によって活発化した。それ以前のフセイン政権においては、アラブ民族主義に基づきスンナ派思想を取り入れたバアス党ナショナリズムが支配的で宗派主義的な活動、発言は制限されていたが、フセイン政権が倒れると、それまで弾圧されていた反政府・シーア派の諸勢力が帰国してシーア派思想に基づくナショナリズムの再構築が唱えられ、スンニ派が排除されはじめる。これに対抗してスンニ派の中で好戦的なイスラーム思想も台頭するなど、国家崩壊による流動化の中でコミュナルなアイデンティティが競合、これらをリードし組織化する「民族企業家」が次々と登場した。諸勢力の競合は次第にそれぞれの民族的・宗派的アイデンティティに攻撃性を付与していく。

2003年に米軍が侵攻すると、弱っていた国家行政機構は一気に崩壊した。バアス党政権が倒れると暴力と略奪が横行、イラク国軍の解体と警察・官僚たちの逃亡によってそれを止めるために必要な人員は全く確保できなかった。当時の連合軍総兵力は十七万三千人、これに対してイラクの治安維持に必要であったのは四十万から五十万で、純軍事的な見積の甘さが混乱に拍車をかけた。さらに連合軍の脱バアス党政策によって旧官僚が排除された結果、人員の確保が全くできず、安全保障の真空状態が生じ、国家の脆弱性は一向に解消されないまま、反米運動から内戦へと一気に拡大した。侵攻後の統治の失敗は、これにとどまらない。訓練を受けた元イラク軍兵士たちが武装したまま職を失って各地に分散し、大量の銃火器が市民一人ひとりに行き渡ることになった。米軍がありもしない化学兵器の所在を探しまわっている間、銃や爆弾、弾薬といった小型武器は拡散しっぱなしだったわけで、内戦に拍車をかけることになった。

米国の初期の統治政策は上記の通り脱バアス党政策であったが、これは必然的にスンニ派の排除と反フセインの主流であったシーア派の優遇へと繋がった。『体制転換後に導入された政治システムの核は何かといえば、エリート間の排他的(独占的)な取り引きである』(P28)。シーア派とクルド系組織を中心としてスンニ派の一部を取り込んだ戦後政府は一部のエリートに独占されたバランスを欠いたもので、彼らは自身の正統性をスンニ派社会全体の排除に求め、バアス党の脅威が唱えられて宗派間の緊張をことさら高める結果となった。特に国連が混乱を最小限にするとして薦めた全国一区の大選挙区制は、むしろ、各政党をして支持者の動員を目的とした過激な民族主義・宗派主義的言辞を取らせ、また、勢力拡大のための野合、大連合がおきて、国家を混乱、分断させることになった。

内戦からマーリキー首相の登場、そして内戦の鎮圧と強権的体制への移行は複雑に絡み合っている。ヌーリー・マーリキーはもともと少数派の領袖で、彼が首相になったのも、諸勢力の野合の結果、彼が政治基盤を持っていない弱い立場で御しやすいと判断されたからである。しかし、首相になるや、親族を重用して側近政治を敷き、憲法の穴をついて軍・警察の上層部を空洞化させて支配下においた。その支持基盤の弱さゆえに、マーリキーはスンニ派・旧バアス党をことさら敵視する宗派主義的発言で敵を作ることで自身の支持を固める戦略を取り、自身の政党を創設、諸勢力を取り込みつつ最大与党を形成し、対外的にもイランと米軍という敵対しあうはずの両国の支持を得て、国内の内戦を鎮圧し次第に強権的体制を固めた。

暴力の行使の正統化と宗派主義、国家の脆弱性、エリート層による排他的取引関係はいずれも解消されないまま、マーリキーの強権的体制へと移行、スンニ派とシーア派という宗派がイラク戦争後は非常に強く対立し合う勢力であるかのように語られ、クルド人統治地域を巡ってはトルコとの関係が悪化、一方で、国家行政機構は未だ脆弱であり、社会的には私的集団の暴力の行使が正統化される傾向がより強まっている。

フセイン政権当時、イラクが強すぎることが中東の不安定要因だった。フセイン政権崩壊後、イラクが弱すぎることが中東の不安定要因になり、弱すぎるがゆえに支配機構の正統性をスンニ派への敵視とナショナリズムの強化、国内のサブナショナルな諸勢力のパワーバランスにもとめていかざるを得ない。著者はさらなるマーリキー政権の独裁化と社会分裂の拡大を予測しているが、事態はその逆、マーリキー政権の崩壊とISILという排除されたスンニ派を糾合する組織の台頭を招いていることは周知の通り。

イラク政府のスンニ派の排除が現在まで影響を及ぼしている例としてアンバール県の統治政策の例が興味深い。本書によれば、県民の95%がスンニ派であるアンバール県は03年当時反体制暴動の中心地で、アル・カーイダの根拠地ともなり激しい内戦に見舞われた。アル・カーイダと距離を置くスンニ派有力者からなるアンバール覚醒評議会を米軍が取り込んで、彼ら有力者の影響力で内戦を沈静化させることに成功するが、米軍撤退後、マーリキー政権は彼らスンニ派有力者たちを次々と排除・逮捕・殺害して同県のスンニ派支配を弱体化させた。その結果、現在、アンバール県はISILの拠点として、日々イラク軍と熾烈な戦闘が繰り返されている。

このように、ISIL登場以前を理解する上で、必読の内容となっていると思う。本書に解説を寄せているイラク研究の第一人者山尾大氏はネットでもシノドスなどでイラク問題の小論を書いておられるので、この本のその後を理解する上で合わせて読むとよりわかりやすいだろう。

分裂とばら撒きがもたらした勝利――フセイン政権崩壊後の第3回イラク選挙 / 山尾大 / イラク政治 | SYNODOS -シノドス-
進撃する「イスラーム国」はイラク政治をどこへ連れて行くのか / 山尾大 / イラク政治 | SYNODOS -シノドス-

また、2014年末から2015年にかけて以下のように識者によるISIL解説本が続々と刊行されているので、その予習としても有用だ。

「イスラーム国」の脅威とイラク
岩波書店
売り上げランキング: 6,794
イスラーム国の衝撃 (文春新書)
池内 恵
文藝春秋
売り上げランキング: 2,072
イスラム国 テロリストが国家をつくる時
ロレッタ ナポリオーニ 池上 彰
文藝春秋
売り上げランキング: 146
イスラム国の正体 (ベスト新書)
黒井 文太郎
ベストセラーズ
売り上げランキング: 2,524

参考書籍

現代イラクを知るための60章 (エリア・スタディーズ115)
酒井 啓子 吉岡 明子 山尾 大
明石書店
売り上げランキング: 382,307

2015年2月3日追記
イスラーム国の表記をすべてISILに置き換えました。

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