「ハプスブルクとオスマン帝国-歴史を変えた<政治>の発明」河野 淳 著

十六世紀初頭から十七世紀末にかけて、神聖ローマ帝国=ハプスブルク家は強大なオスマン帝国の侵攻を撃退し続けた。フランスのように絶対主義体制の構築ができたわけでも、イギリスのように四方を海に守られていたわけでもなく、宗教戦争と度重なる国際戦争で疲弊し分裂した神聖ローマ帝国に、なぜオスマン帝国からの防衛が可能であったのか。その大きな要因として本書は、ハプスブルク家における実証主義的政治の誕生を挙げている。

『本書のテーマは単純で、オスマン帝国から国を守るという極限状況がハプスブルクに強いた、理想を追わず現実を直視するという心性が、十六世紀的な、世界を客観的、数量的に把握し分析するという技術と出会い、そこに強力な、説得力のある実証主義政治が生まれたというものである。脱魔術化しているという点において、この政治はすぐれて近代的な政治である。』(P229~230)

この分析がとても面白い。もちろん、みんなだいすきマキャベリを思い出してもらえばわかるように、ハプスブルク以前に実証主義政治は中世イタリアの都市国家で行われたものの、これは都市レベルで収まり、国家規模には広がらないまま衰退した。

1522年、オスマン帝国軍の侵攻に対してオーストリア大公がクロアチア王国に援軍を送ったのを皮切りに、1527年、ハンガリー・クロアチア王位を獲得したことでハプスブルク家は本格的に対オスマン戦争に参入した。1529年には第一次ウィーン包囲が行われている。

ハプスブルク家はまずオスマン帝国と接するハンガリー、スラヴォニア、クロアチアのうちまずクロアチアへ軍役と移住がセットになった軍事植民制を敷いて移民を送り込み、三地域の軍事司令権を統一、「クロアチア、スラヴォニア、下オーストリア最高司令官」職を創設し、各地の城塞に常備兵を置くなど十六世紀中頃までに大幅な軍備増強が行われた。

本書で画期として特筆されるのは神聖ローマ皇帝フェルディナント1世によって創設された「宮廷軍事局」である。同官庁はハプスブルク家の戦争とそれに付随する外交活動を統括する部署で、以前は文書管理など全く行われず、戦争に関する事務作業・文書もその場限りで終わっていたものが、同局によって統一的に管理され、保管、作成されるようになった。軍事・外交関連の文書管理から兵站、傭兵の雇用と給与の支払、諜報活動までを統括する「宮廷軍事局」の誕生により、対オスマン戦争の運用において、情報の活用が可能となった。

本書では、当時の帝国議会の議事録等々から、対オスマン戦争が非常に高度な情報の分析・活用に基づいて行われていたことを明らかにしている。

特に、議会の主題となっていたのは資金問題だ。対オスマン防衛の要衝クロアチア王国における防衛費は年50万~60万グルデンであったのに対し、同国の税収は年二万七〇〇〇グルデンでしかなく、その費用は他の地域、ハプスブルクの領邦からの援助に基づいていた。これを「トルコ援助(トルコ税)」と呼ぶ。

著者はクロアチア王国を「財政なき軍事国家」と呼び、その逆にヴュルテンベルクなど軍事支出が殆ど無いかわりに、財政負担を担っていた領邦を「軍事なき財政国家」と呼んでいる。帝国議会の主議題になるのは、この「トルコ税」の徴収で、この防衛費あるいは戦時には戦費を巡って皇帝と諸侯との間で駆け引きが繰り広げられている。その議論の資料として宮廷軍事局の収集・分析した情報が大いに活用された。例えば、トルコ税の値上げを渋る選帝侯会議に対して、皇帝はある程度事実に基づきつつも大きく危機感を煽ったオスマン軍情報を提出して徴収を促したりといった具合に。

封建制度下において国王に徴税権は無いので、諸侯の協力と説得によらねばならないが、近世に入ると徴税が制度化してくる。フランス王は自身を聖化していくことによって集権的な権力を集め徴税制度を整えたが、聖権は教皇、俗権は皇帝という神聖ローマ皇帝の場合には、聖化に頼ることができない。そこで徴税権強化の手段として見出されたのが、このような情報の活用とオスマンに代表される対外危機の存在であった、ということが描かれている。

余談だが、このあたりのフランスやイングランドなどでみられた王の治癒パフォーマンスについてはアナール学派の始祖マルク・ブロック「王の奇跡」、最近の本だと今村真介「王権の修辞学」などでも詳しいので一読おすすめ、といいつつマルク・ブロックのは読んでいない。フランスにおける王の聖性は治癒する王というパフォーマンスを繰り返しつつ成立していったが、その聖性の消失が十八世紀前半におこり、フランス革命へとなだれ込んでいくのだ。

この軍事情報活用の中核となった「宮廷軍事局」は平民から抜擢された官僚でなっていたが、彼らの多くは都市の富裕商人などで、いわゆる十六世紀文化革命の洗礼を受けた人びとだった。ここで、複式簿記の誕生がつながってくる。形而上の学問と化していた大学ではなく、商取引の現場での実学の中から誕生した複式簿記に代表される経験主義的な知の体系を身につけた市民たちによって、情報の分析は実証主義的な取り扱いにならざるをえない。このあたりの分析が非常にクールで、本書の白眉だ。

商業簿記の誕生については、以前まとめた記事を参照いただけるとより背景がわかりやすかろうと思う。

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レオナルド・フィボナッチ 『インドの九つの数字は9、8、7、6、5、4、3、2、1である。これら九つの数字とアラビアではzephirium...

フランス、イギリスで発展した国家を身体として捉える見方と、ハプスブルクで発展したこのような実証主義的国家観との対比と「思弁政治」「実証主義政治」という両潮流がやがて近代政治を形作っていくところまで、きちんと言及されているので、国家と政治について考える上でも非常によいテキストになっていると思う。特に国家を身体として捉える「国家=身体」論についてきちんとしたまとめを読んだのは本書が初めてだったので、非常に勉強になった。

あらためて、本書の結びの部分を引用することで、本書の全体像はよくわかるのではないかと思う。

『オスマン帝国に呑みこまれるかもしれない、という危機的状況に長期にわたり置かれることになったハプスブルクは、理想より実益を優先する心性を身に付け、対オスマン防衛という分野に関しては非常に現実主義的な諸政策を行った。しかも、そのような現実主義的な政策に対して諸勢力の協力を得るため、その政策が解決しようとしている問題を詳細に「見せる」ことを始めた。この、現実に基づくのみならず、情報に裏付けられることで強い説得力を持つに至った実証主義政治は、中世王国においては見られない、新しいものであった。小さな都市のような空間においてではなく、国家の規模で有効な実証主義政治を、ハプスブルクは発明したのであり、その政治は近代政治と呼ぶにふさわしいものである。

ところで、現実に存在する問題をきちんと「見せる」ためには、その問題に関するデータを収集、整理、蓄積し、必要に応じてアウトプット(出力)する機構が必要であったが、十六世紀ヨーロッパの人々が世界に接する際に、数量的把握、情報の蓄積を重んじるようになっていたことが、そのような機構の出現を可能にしていた。ハプスブルクは、世界の正確かつ数量的な把握を当たり前のこととみなす人々(すなわち市民)を集めて、宮廷軍事局を中心とする官庁を創設し、情報を収集、整理させ、その基盤の上に、実証主義政治を行っていったのであった。』(P217-218)

十七世紀を通してオスマン帝国を撃退し続けた結果、オスマン帝国の軍事的脅威が減少、十七世紀半ばから十八世紀に入ると、英仏を中心として欧州諸国で重商主義政策が取られるようになり、中東から欧州へと富の流出がおこり、オスマン帝国は欧州に経済的従属を余儀なくされる。そのような「近代化」を準備したのがハプスブルクの早熟な実証主義政治であるということで、このあたりに興味がある僕としては非常に楽しく、興味深く読めた一冊だった。

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