「河内源氏 – 頼朝を生んだ武士本流」元木 泰雄 著

鎌倉幕府を開いた源頼朝に至る河内源氏七代の系譜を丁寧に描いた一冊。

頼朝以降将軍三代も含め源氏の足跡には確かにロマンを感じる。歴史的にも、それこそ数百年に渡って人びとは源氏歴代にロマンチシズムとヒロイズムと憧れと権力の正当性、さらには素朴な信仰心までも仮託して、半ば神話化しつつ語り継いできた。そういう源氏に対する思い入れの強さ、存在の大きさから、頼朝以前の河内源氏の活動は鎌倉幕府草創に至る、貴族政権に対抗して武家政権樹立を目指した大きな流れとして解釈されがちだったが、中世史研究が進むにつれてそのような従来の源氏評価は大きく変わってきた。武士と貴族は対立する存在ではなく、武士は王権の下に結集し、武士と貴族とがともに支配者として民衆の上に立つ。

王朝の権威を背景とする軍事貴族としての姿と、公的権威から逸脱しつつ自身の力量で道を切り開く自力救済に基づく姿とが武士を動かす原理であり、王朝権威と自力救済の間で揺れ動きながら、次第に武士の本流へと成り上がってくる河内源氏とはどのような歴史をたどったのか、諸説を紹介しつつコンパクトにまとまった内容になっている。最近の日本中世史の書籍を読んでいても本書はよく参照文献の一つに挙げられているし、概ね河内源氏についてのスタンダードな一冊となっているのではないだろうか。

河内源氏略系図

九世紀始め、嵯峨天皇が自らの子らに源姓を与えたことに始まり、以降、皇族が臣籍降下して源姓、平姓を受けて貴族として列せられていった。源氏二十一姓、平氏四姓。その中の一つが清和天皇の子孫とされる源経基に始まる清和源氏である。経基は実は清和天皇ではなく陽成天皇の孫で後に清和源氏を名乗ったとする説が有力になってきたが、本書では陽成天皇の子元平親王の養子のような立場だったとしている。その由来がどちらであれ陽成源氏ではなく清和源氏で通すのが一般的だ。

経基の子満仲の三人の子、頼光、摂津源氏、大和源氏、河内源氏の祖となる。清和源氏の主流は長男頼光に始まる摂津源氏である。藤原道長の側近中の側近として但馬・伊予・摂津・美濃などを受領し王権の守護者としての地位を築いて、酒天童子退治の伝承でも語られた。頼光の威光を受けて兄弟もそれぞれ活躍し次男頼親が大和に、三男頼信(968~1048)が河内に地盤を持つ。この三つの源氏の系譜が協力しあるいは争いながら勢力を拡大し、やがて河内源氏が本流となっていく。

従来、前九年の役を通じて『頼義が東国武士を組織した「武家棟梁」化していた』として、その主従関係が鎌倉幕府草創へと受け継がれたとする武家棟梁論が主流だったが著者はこれを否定している。『こうした武家棟梁論が通説として受容された背景には、鎌倉幕府の成立を当然のものとして、その前提を遡及させる結果論的な見方、さらには武士と貴族とは別の階級であり、武士相互で結合しなければならないとする、発展段階切に規定された今となっては古めかしい歴史観が関係している』(P51-52)と手厳しい。

河内源氏の絶頂期を築き八幡太郎として後に厚く信仰される義家は前九年の役での大敗「黄海の合戦」で頼義以下七騎にまで追い詰められた際に弓の神技で安倍軍を圧倒、窮地を脱した活躍などで知られるが、同時に老獪な政治家でもある。この義家の老獪さは最近よく中世史で描かれるようになってきていてちょっと嬉しい。

前九年の役後、藤原基通の反乱を鎮圧し、大和源氏の当主頼俊が総司令官となった蝦夷征伐作戦の失敗によって失脚、摂津源氏の国房を口論の末攻撃して撃破するなどして河内源氏の地位を相対的に高め、摂関政治から院政へと移り変わる政局を読んで白河院に接近、義家と弟の義綱が白河院の警護を任され、摂津源氏に変わり王権の守護者としての地位を確立、夷狄征伐の第一人者でもあり、河内源氏を源氏の、すなわち武士の本流へと押し上げた。

ここからの河内源氏は、こういう言い方もなんだが本当に面白いように転がり落ちていく。後三年の役での策士策に溺れるを絵に書いたような義家の失敗に始まり、一族・兄弟の相克、嫡男義親の濫行による失脚、失意の中の義家の死から伊勢平氏の台頭を招く義親の反乱、継承を巡る骨肉の争いからの、まさかの為義への継承、平氏にどんどん差を付けられていくなかで足掻く為義の報われなさと義朝の台頭と父子の対立が中央の政局と絡み合っての保元の乱による一族の分裂、義朝によって復活の兆しが見えたかと思えば、再び政局の渦中に巻き込まれて平治の乱によって完全に壊滅し、長き雌伏の時代に入っていく。雌伏といっても後世から見たらという話で、確かに後々生きてくる布石がいたるところに散りばめられてもいるのだが、同時代に生きていたならどうみても河内源氏はもう終わったと思っただろうし、当事者も思っていただろう。

その布石は確かに為義と義朝の確執と足掻きの中に、当事者が全く考えもしなかった形であったのだから面白い。為義は長く低い評価が与えられがちだったが近年再評価が進んでいる。といっても、別に無能というわけではないにしても色々頑張ったけど報われなかったよね、ぐらいのものではあるのだが。一方で摂関家への臣従と荘園公領制に基づく各地の摂関家荘園の治安維持・管理業務を通じての各地の武士団への影響力の行使があり、他方で低迷するがゆえに求心力を失い一族郎党が離反し、各地で源氏の傍流が独自に活動をし始めたことがあり、為義が確かにぱっとしなかったが故に、源氏の活動範囲を広げることになったという流れは興味深いものがある。

為義との確執によって半ば都落ちのような形で東国に下向した義朝の活動が、河内源氏の武力と中央政府の威光を背景として武士団の対立を調停していくことを通じた信頼の醸成にあり、そこから彼の基盤が築かれていく。摂関家と結んだ父に対抗して鳥羽院に接近して官職を得、保元の乱で父や敵対する一族を敗滅させることで河内源氏嫡流の地位を確立しただけではなく、確かに平清盛には遠く及ばなかったにしろ昇殿して貴族の仲間入りを果たしていた。『南関東を中心とした多くの武士を組織し、足利・新田両氏とも連携した地域的軍事権力を樹立』、『独自の政治的地位と地方基盤を有し、それまでの軍事貴族とは段階を異にする武家棟梁と呼ぶに相応しい存在となった』(P168)。

しかし、この河内源氏の再興にして武家棟梁たる義朝を中心とした体制もあっという間に消し飛んでいく。為義同様に平治の乱の首謀者となった藤原信頼についてもまぁ、元が悪すぎるというのもあるが、大分再評価が進んでいるようだ。しかし、後先考えてない感たっぷりのクーデターって歴史上様々な国地域時代で見られるけど、平治の乱はその中でも格別だなぁ。清盛の鮮やかな手際もあるが、クーデター側の内部崩壊っぷりの滑稽さよ。義朝もほとんど東国から動員できていないまま有事に臨んだところがその突発性を物語っているが、それが体制の基盤が次代に受け継がれた要因でもある。何にしろ河内源氏は義朝の敗亡によって壊滅し、その復活もまた史上屈指の劇的かつエポックメイキングな展開を辿ることになる。

河内源氏の興亡を、河内源氏を中心に据えて見ているわけだが、これ少し視点をずらして東国からみたり東北からみたりするとまた違った面白さがある。特に北方世界を中心にみると、かなりロングスパンで、例えば渤海の滅亡、契丹の圧迫、サハリン・北海道に至るオホーツクでの諸民族の興隆、蝦夷征伐、平将門の反乱と関東における軍事貴族の登場を通じての武士の誕生、対蝦夷戦略の中の東北における安倍氏・清原氏ら豪族の台頭、河内源氏の伸張、奥州藤原氏の北方王国、河内源氏の衰退と伊勢平氏の台頭、源平争覇、鎌倉幕府までを一望出来る。アジア史の中の河内源氏の興亡という視点で眺めてみると面白いと思うし、そのような視点で一つのピースを埋めるつもりで読んでいた。そういう視点でいくと源氏と平氏ではなく源氏と奥州、奥州と蝦夷、蝦夷と騎馬遊牧民諸国・中華王朝という関係性で見ることになる。

というわけで、日本史の中の河内源氏を理解する入門書としてとても参考になる一冊なのでおすすめ。

参考書籍

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