『江戸幕府崩壊 孝明天皇と「一会桑」』家近 良樹 著

ペリー来航から大政奉還・王政復古・鳥羽伏見に至る江戸幕府解体の過程は長く西南雄藩を中心にしての見方が支配的だったが、1980~90年代以降、幕府朝廷・朝敵諸藩に関する研究が進み、勝者側である薩長中心の王政復古史観に批判が加えられ、より大局的に幕末を考える視点へと研究の主軸が移ってきた。

その中で非常に重視されるようになった幕末の勢力に一橋慶喜・会津松平容保・桑名松平定敬による「一会桑」がある。近年では大河ドラマでも当たり前のように使われているし、概ね一般的になってきているのではないだろうか。近年の主流となりつつある「一会桑」を提唱したのが本書の著者家近良樹教授で、その「一会桑」とやはり再評価されてきた孝明天皇の朝廷の動きを中心に据えて幕末政治史を捉え直したのが本書である。2002年に新書として発売されたものに改訂が加えられて2014年に講談社学術文庫から再発売された。

武力倒幕を目指す西南雄藩を幕末の主役と捉える歴史観はすでに過去のものとなり、薩摩と長州は一貫して一会桑の排除と長州の復権を目標として動いており、歴史的転機として捉えられがちだった薩長同盟は一会桑とその協力者である中川宮ら朝廷と一部幕閣の排除を目的とした同盟であり、控えめに見ても薩長が倒幕を視野に入れはじめたのは大政奉還直前、武力倒幕という点でいうなら著者は「もし武力倒幕派なるものが成立したとしたら、鳥羽伏見戦争直前の時点」(P247)、「薩長両藩ですら軍事力を行使して幕府本体への攻撃を藩の方針として決定した史実は無かった」(P265)と言う。朝廷と「一会桑」を中心に幕末の政局が動いていたことはほぼ疑いのない事実でもあり、本書でもその過程が丁寧に論じられている。

本書で朝廷と「一会桑」を中心に据えて浮かび上がってくるのは、幕末の諸勢力の誤解と思い込みに囚われた意思決定と、常に意図を超えた結果に人びとが翻弄されて泥沼にはまる冷徹なパワーポリティクスである。将来を見据えた大局観を持った人物が政局をリードして・・・なんてほんと幻想で、誰もが目の前の利害関係の中であがき、その帰結として思いもしない事態が巻き起こって予断を許さない展開が連続していく。

その中で確かに西郷隆盛だけは化け物じみていて、特に京都時代の文久の政変に至る過程とかこの人まじで先読めすぎていて恐ろしい。そんな西郷ですら、一橋慶喜の行動はなかなか読めなかったんだろう。当初はいいように翻弄されていた慶喜が一会桑政権の誕生後は徐々に政局をリードしていき、薩摩も長州も追い詰められていく。慶喜は切れ者すぎて宇宙人感が強く、根回しも特にせず、突然のように味方だろうとなんだろうとばっさり切り捨てるので、同時代の人びとは終始ポカーンって感じだったんだろうな。

孝明帝は追い詰められすぎているというか、常にダブルバインドと二律背反な状態に置かれて、どうにもならず暴走していく過程で権力を集中することになり結果として天皇の権威を一気に押し上げ、旧体制の維持をひたすら望んでいたにもかかわらずその行動が王政復古に帰結していく過程がほんとアイロニーに満ちていて面白い。そして割を食いまくる会津はどうしてこうなったのか、多分当事者も鶴ヶ城落城の瞬間までわからなかっただろうなぁ。

「一会桑」を考えるときに、幕府は一枚岩であったという思い込みは捨てる必要がある。江戸と京都は当時行き来するのに約二週間かかる外国で、ペリー来航後の朝廷権力の急浮上と幕府権力の凋落は幕府をして江戸の幕閣と京都の幕閣に二極分化することを余儀なくされた。徳川斉昭以来の幕閣と水戸・一橋の対立と、安政の大獄後復権した朝廷と接近したい諸藩の思惑とが複雑に絡んでいく過程で、将軍後見職を退き禁裏御守衛総督・摂海防禦指揮に就いた一橋慶喜、京都守護職に就いた松平容保、京都所司代に就いた松平定敬が朝廷に接近することで、元治年間に「一会桑」体制が成立する。彼らの地位の権威の源泉は確かに幕府にあるが、朝廷や諸藩との関係において独自の動きをするようになり、第二次長州征伐の失敗と慶喜の徳川宗家相続まで江戸の幕閣とも対立する独立勢力として非常に重要な動きをした。

幕府が一枚岩で無かったように諸藩も一枚岩ではなく、長州でも正義派と俗論派などというように激しい路線対立があるし、薩摩でも強硬路線の西郷大久保ラインがある一方で、小松帯刀らは徳川宗家相続後の慶喜と接近して緊密な関係を築き、薩摩も結局一枚岩にまとまることはなかった。どちらも藩内をまとめるためにも朝廷の権威を始めとして様々な大義名分が必要だったのだ。これは会津にも言えて、藩内で急速に浮上する京都の公用方と江戸・国元の家臣団とは在京・対幕府政策を巡って激しく争う。そんな、これまであまり注目されなかった反対派諸勢力の視点も盛り込まれて、複雑な力関係が鮮やかに描かれているので非常に興味深い内容になっている。

著者は幕末期を『薩長を中心とする西南雄藩が武力でもって、つまり藩の軍事力を行使して江戸幕府を倒した過程』(P14)とする西南雄藩倒幕派史観には二つの負の遺産があるという。一つは『西南雄藩を特別視することと引き換えに、二重の抹殺がなされ、幕末史がひどく偏った名用のものとなったこと』(P248)で、『二重の抹殺とは、幕府・朝敵諸藩の抹殺と、薩長両藩内にも多数存在した対幕強硬路線反対派の抹殺である』(P248)であるという。

『西南雄藩倒幕派史観のいまひとつの大きな罪は、明治以後の日本人が、その実態以上に幕末期の政治過程を英雄的なものとして受け取ったために、他国ことにわが国の周辺諸国に対して、変な優越感を持つに至ったのではないかということである。

つまり、自分たちは中国・朝鮮をふくむ他のアジア諸国とは違って、自らの力で雄々しく旧体制を打破したんだという意識を強く植えつけられた。幕末維新期に活躍した多数の英傑たち(それは薩長をはじめとする西南雄藩出身のいわゆる勤王派の志士たちである)の勇気ある決断と、その実行力によって旧体制が打倒されたことが、ことさら強調された結果である。そして、明治以降のいわゆる近代化の成功も、旧体制を中国・朝鮮に比して、早期に打倒したことに、その要因の多くが求められた。

私は、むろん、そういった面があった(それもかなりあった)ことを否定しないが、問題は江戸期の日本社会が営々として培ってきた合議や衆議を重んじる声に押されて旧体制が打破された側面に眼がいかず、華々しい武力倒幕芝居との関連で旧体制の破壊が論じられるようになったことである。

それが、雄々しく猛々しい日本人像となり、日本のアジア世界におけるリーダー的役割の過度の鼓吹ともなったのではないか。明治初年の征韓論的発想、その後の海外雄飛論、そしてその仕上げともいうべき大東亜共栄圏的発想、こういうものとも繋がっているのではないか。』(P251-252)

このような点で、本書を始めとして近年の幕末史が非常にバランスよく研究されるようになった点は歓迎したい。ペリー来航時の幕閣の対応を始めとする一連の外交にしても、一会桑にしても、朝廷にしても、近年の幕末史は非常に面白い発見に満ちていると思う。

同著者の本は孝明帝と関白鷹司政通の関係を中心にして戊午の密勅と安政の大獄に至る朝廷の政争を描いた「幕末の朝廷」、2013年に出された評伝「徳川慶喜」がともに白眉なので、本書を読んだ後、本書の中心に描かれた二人についてより詳しく知りたいときにぜひおすすめしたい。前者は絶版なのであれだが、後者については近々書評書くつもり。

幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白 (中公叢書)
家近 良樹
中央公論新社
売り上げランキング: 272,450
徳川慶喜 (人物叢書)
徳川慶喜 (人物叢書)
posted with amazlet at 15.04.11
家近 良樹
吉川弘文館
売り上げランキング: 323,416

あと家近氏には西郷隆盛の評伝もあって、こちらも面白そうなので今度読みたい。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする

関連コンテンツ

スポンサーリンク
スポンサーリンク