「豹頭の仮面―グイン・サーガ(1) 」栗本 薫 著

前回の記事で栗本薫「グイン・サーガ」と高千穂遥「美獣」の関係についてどう影響しあってたかが疑問となっていたので、調査がてらグイン・サーガ1巻「豹頭の仮面」を読み返してみました。中高生の時以来だから25~30年ぶりか・・・遠い目。

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栗本薫「グイン・サーガ」と高千穂遥「美獣」の関係

先に、栗本薫「グイン・サーガ」と高千穂遥「美獣」の関係について、どうやら美獣に触発されてグイン・サーガの執筆を始めたということのようです。

1巻のあとがきにこうあります。引用文中の「彼」は当時のSFマガジン編集長で後に栗本薫の夫となる今岡清氏。

ぼくに「SFを書きましょう」と妙なことをけしかけ、書いたものをのせてくれて「これはSFだ」と保証し、あまつさえ「大河ヒロイック・ファンタジー」などという阿呆らしいドン・キホーテ的冒険行のお膳立てをしてしまったのも彼である。もっともより正直にいうと、豹頭の戦士グイン、というシリーズものの主人公が生まれるきっかけになったのは、「クラッシャージョウ」シリーズの高千穂遥氏がヒロイック・ファンタジー「ハリィデール」(美獣)シリーズ」に着手したのを見てあわてふためいたことだったのだが。(「豹頭の仮面」P280あとがき)

また、1995年に出た「グイン・サーガ読本」のまえがきにも――

高千穂遙が「美獣」シリーズをはじめた、というのでまけん気をおこして、半村良さんが「太陽の世界」八十巻だというのでまたまたまけんきを起こして、絶対私のほうが長くなってやる、などと思って書き始めたのですが、とりたてて辛いこともなく(たまに停滞した年は何回かあったかもしれませんが)気がついてみたらもう十六年もたっていたわけです。(グイン・サーガ読本P10まえがき)

美獣の方ですが、ハードカバー版の発売がamazon(美獣―神々の戦士 (上))と国立国会図書館両方の書誌情報から1985年4月、SFマガジンでの初出は、こちらはネットでSFマガジンのバックナンバーを紹介しているサイトで連載リストを確認してみたところ、1978年11月号(241号)のようです。同号で美獣第一章にあたる北海の獅子王が掲載されています。グイン・サーガの連載開始は1979年5月号(247号)ですね。

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また、1巻あとがきではグイン・サーガにつながるヒロイック・ファンタジー作品として、SFマガジン1969年十月臨時増刊号に掲載されていた三作品、

  • 「黒い河の彼方」(冒険児コナン)ロバート・E・ハワード
  • 「地獄のササイドン」(魔術師ナミラハ)クラーク・アシュトン・スミス
  • 「ドラゴン・ムーン」(冒険王子エラーク)ヘンリー・カットナー

が挙げられています。「ある『魂の本質的な昏さ』、ある『病的で不幸な熱狂』とでもいったものが、ついに満たされたかたちでそこにあった」(P279)と評していて、「黒い河の彼方」は豹頭の仮面第四章の「暗黒の河の彼方」に使われています。こういう作家が語る自作品への他作品からの影響はとても興味深いです。

それぞれ

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ドラゴン・ムーンは未刊。

豹頭の仮面感想

およそ四半世紀ぶりに読んだけれど、時を経ても色褪せない面白さがあることをあらためて認識させられました。魑魅魍魎蠢く辺境の森に迷い込んだ亡国の王子王女、屹立する屈強な豹頭の戦士、包囲網を敷く中世欧州風な軍装の兵士たち、襲いかかる蛮族、陥落する城塞、作品全体から滲み出る得体のしれない怪異の影と、要素だけを取り出しても十分に魅力的なのですが、これらを冒険活劇として息もつかせぬ展開で魅せるあたり、確かに文章表現には稚拙なところもあるように感じますが、そこは栗本氏は当時二十代の若手ですし、特にそれが作品の価値を損ねているわけでもなく、時間を忘れて読ませる力が満ち満ちている傑作だと思います。冒険活劇と書きましたが、まさに読みながら映像として立体的に浮かび上がってくるところが、この作品の魅力といえそうです。

グイン、イシュトヴァーン、レムスとリンダというサーガの主人公たちが早くも一巻で一同に会して冒険に乗り出していく高揚感と、これが後々の様々な物語のはじまりだったのだという感慨、そして夢中になって読んだ十代の頃が蘇ってきて懐かしいやら気恥ずかしいやらの、ある種のノスタルジーなどなど無い混ぜになって襲ってくるので、今読み返してみて良かったなぁという思いと同時に、ああ読み返してしまったという一抹の後悔もあって複雑な気持ちでもあります。続きは読まないんだからね。でもアムネリスに会いたくもあり・・・。

あと、印象的な登場をするトーラスのオロ、まさか後々彼の「記憶」がグイン・サーガのもう一人の主人公になっていくとは、確かに一巻を読んだ当時は想像もしなかったのですが、読み返すと彼は本当にかっこいいし、様々な面で、それこそ他の主要人物と較べても遜色なく描かれていて、一巻が傑作であるために必要不可欠な人物であることがよくわかります。結局、途中でグイン・サーガを読まなくなってしまい、グインが「煙とパイプ亭」を訪れるところまで読めなかったんですけども・・・一巻の伏線回収長いよ~。

また、栗本薫はあとがきでこのようなことも書いています。

本来、物語とは「いつまでも終わりなく語りつづける」ことだけを主張してしかるべきものであり、そしてそれこそが近代小説が物語とその読者から無報酬で奪い去ってしまった正当な純朴さの権利である。もしこれを書きつぐことで少しでも、そうしたものを読者――とぼく自身――に還すことができたら、そのときこそぼくは一介の物語作者として望みうるかぎりの贅沢をゆるされたことになるだろう。」(P281)

これは今思うと非常に予言的であると同時に、本懐を遂げたのだなとも思わされて、グイン・サーガはそのようにして始まったがゆえにこのように続いているのだと思わされました。この見解には賛否あるでしょうが――そして僕自身も、必ずしもこの彼女の意見に諸手を挙げて賛意を示すわけではないですが(僕は物語は終わることによってはじめて「ひとつの物語」たるとどこかで思っているところがあります。ただしそれは優劣を表すものではないとも思います。)――グイン・サーガのあるべき姿が最初から定まっていたことに、少なからず感動を覚えた次第です。

かつて自分が夢中になった何かに改めて向き合うことには意味があり価値がある、ということを改めて認識させられたので、懐かしの一冊があれば、それを思い出し、ページを開いてみると良いと思います。

ここから余談。

美獣、グイン、コナンと名前が並んだところでふと思ったのですが、70~80年代の物語の主人公は脱いでいる者が多い。脱いで鍛えあげられた肉体を誇示することが主人公の強さを表す大きな要素になっていて、かつ、そういう主人公の作品が同時に多くのファンを掴むようになってもいたような気がします。漫画に目を向けてもケンシロウにキン肉マンにフリーマンに・・・ほか数えきれない。

コナンとターザンとブルース・リー、さらに外国映画もマッチョなものが多かったか、またプロレス・ボクシングなどの格闘技ブームとが一気に来ていた影響なのかなとも思いますが、そういう主人公の強さを鍛えあげられた肉体で示す表現は、当然、筋骨隆々な主人公の作品は現在でも多々ありますが、やはり主流ではなくなり、最近の人気な主人公は特に肉体を誇示ぜすに、主に能力の特殊性によってその強さを表すようになっているように思います。漫画、小説それぞれの人気作で比べるとルフィ(ワンピース)もキリト(ソードアート・オンライン)も別に脱がないし、そもそも彼らを主人公たらしめているのも肉体の強さは主要な要因ではないですしね。このあたりの変化は面白いなぁと思います。

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