「ある小さなスズメの記録」クレア・キップス 著/梨木香歩 訳

しばらく梨木香歩作品を読んでいなかったなと思い彼女の著作を検索していて見つけた本。梨木香歩の翻訳って珍しいな、と手にとってみるととても良い一冊だった。

第二次世界大戦中の1940年、英国ロンドン郊外ケント州ブロムリーで暮らす音楽家の女性キップス夫人宅の玄関先に生まれて間もないイエスズメが倒れていた。瀕死のスズメは数日後に快復し、夫人も「彼が自分の力で飛び、かつ食料を確保できるようになったら、すぐ外に放してやるつもりだった」が、幸か不幸か、スズメの左足と右翼には生まれついての障碍があり、満足に飛ぶことができない。結局夫人はそのスズメを飼うことにし、夫に先立たれた一人暮らしの夫人とスズメとの十二年に渡る共同生活が始まった。

本作は、そのスズメの丁寧な観察記録であり、心温まる人とスズメの交流の物語である。1953年に英国で、続いて米国をはじめ世界各国で出版されベストセラーとなったがこれまで未邦訳だった。

原題は”Sold for a Farthing”。銅貨一枚で売られる、という意味。本書P124によれば、聖書の「マタイによる福音書」の一節からとられたもののようだ。手元の新共同訳聖書から該当部分を引くと「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない」(マタイ10-29)。確かにスズメとの出会いに神の祝福を喜びたくなるような内容であるので原題は良いタイトルだと思う。ただ、日本語タイトルの副題「人を慰め~」はちょっと押し付けがましい感じはある。

夫人に懐き、部屋の中を我が物顔で飛び回り、自分の居場所を見つけ、と夫人とスズメとの関係が構築されていく様子はとてもほほえましいが、時はまさに戦時下である。空襲で家が半壊したり、クラレンスと移動中に機銃掃射を受けたりと幾度と無く危機に見舞われている。市民防衛隊の一員として防空対策本部で監視業務に従事していた夫人は、スズメに芸を教えて避難施設などでの慰問を行うことを思いつき、スズメもすぐに芸を覚えて老人や子供たちの人気者になった。そのときに子供たちが名づけたのがクラレンスという名前だった。クラレンスが芸を見せて回っていたのは一年ほどだったが、戦後もクラレンスの思い出が語り草になっていたそうだ。

また、夫人がピアノを弾くとその音にあわせて歌い出すようになり、かなり幅広い音域が出せるようになっていたという。解説を寄せている生物学者ジュリアン・ハクスレーは野生のイエスズメは囀り、鳴き声しかあげない点で「まったくもって前代未聞の出来事」としてこう分析している。

「おそらく、身辺に変わった音がしていることに気づいたとき、それが刺激になって、彼の変わった発生を誘発したのであろう。彼は生まれて最初の数ヶ月で、野生のスズメのそれより、遥かに広がりのある音調や音色の表現形式を獲得したのである。」(P139)

丁度歌い始めた時期が「卵から孵った翌年の、春と夏の間」で、「生殖機能が成熟し、血中にホルモンが行き渡っている時期」(P140)であることを要因として挙げ、「通常、鳥が囀るのは繁殖期」であるのに対し、「換羽のとき以外、彼が通年に亘って歌っていた」(P141)こと、「明らかに違う二種の歌声」を持っていたこと、をクラレンスの特殊性として挙げている。

そして、スズメが老いていく過程も描かれているのが興味深かった。歌わなくなり、飛べなくなり、とまり木にうまくとまれなくなり、身づくろいも十分にできなくなり、病気がちになり、発作を起こすようになり、よく眠るようになる。老化と闘いながら十二年の生涯を終えることになるが、「小鳥がこれほどまでに老衰と闘う姿は初めて見た」(P109)と獣医に言わしめた。観察者であるキップス夫人は人間の認知症的な症状をスズメに見ているが、果たしてどうなのだろうか。

キップス夫人はスズメのクラレンスを個人として尊重して台頭なパートナーシップを築こうとしているように見える。スズメに意志や知性を見ようとしているし、深い愛情を注いでいるのがよくわかる。一方で、翻訳者の梨木香歩も指摘するように、「スズメの行動を客観的に推測するのに必要な情報を冷静に著述しようとする意志」(P153-154)が見られ、ペットと飼い主の関係として興味深い。

冷静な観察と対象への深い愛情とのバランスが、若干後者寄りとは思うが、絶妙なので読後感はとても心地よい本だった。

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