「ガールズ&パンツァー」感想

今更ながらニコニコ生放送の一挙配信で「ガールズ&パンツァー」を全話観ました。評判通りすごく面白かったです。

本作の特筆されるオリジナリティは戦車戦という戦争そのものを部活動(選択必修科目の授業という位置づけ)というスポーツとして描いているところにあり、スポーツとしての「戦車道」を通して友情・努力・勝利の王道ストーリーを展開させている手堅い作品ですね。戦車という題材が時々アニメの右傾化といった切り口で批判されていたりもしますが、まぁ、そこは別にどうでもいい。

スポーツとしての戦争、というのは近代スポーツの誕生を振り返れば、別段違和感の無い話です。議会制度の発展は暴力による政治的問題の解決を忌避し戦闘技術から説得・言論技術へと移行することによってもたらされました。文化の非暴力化=文明化の過程で政治のゲーム化としての近代議会制度と身体のゲーム化としての近代スポーツが生み出されてきたわけです。すなわち戦争の等価物としてのスポーツです。ゲーム化とはルール化と数値化が大きな柱になります。スポーツ的な文化はやがてスポーツから身体性が離れ、ディジタル化が進むとビデオゲームに発展し、特にビデオゲームはやはり同じく近代になって成長した創作・物語の影響を受けて発展し、物語とゲーム、物語とスポーツ、物語と政治、物語と戦争とはそれぞれ非常に密接になります。

この、戦争、政治、スポーツ、ゲーム、物語の非暴力的な等価性の獲得が文明化のプロセスと言えるわけで、これらを通して近代社会は確立されてきたわけです。そしてスポーツもゲームも物語も、近年は政治も戦争も同様ですが、メディアを通してエンターテイメントとして消費されます。ポピュリズムの議論はまさに政治のエンターテイメント化として語られる事が多いですね。まぁ、あとはこの関係性の中で個別具体的に等価か否かの価値判断が対立と議論のテーマになるだけです。創作物で戦争にスポーツ性、ゲーム性を与えたものは例として枚挙に暇が無いですし、それらのオーソドックスな組み合わせの一つのアイディアが、本作のスポーツとしての戦争=戦車道なわけですね。最近でもガルパンと同様「スポーツとしての戦争」を描いていた「ガンダムビルドファイターズ」という良作がありました。

ああ、誤解の無いように書いておきますが、ここまでの流れはべつにガルパンを通して社会を論じるみたいな意図は全くなく、単にガルパンがテーマにしている戦車道という「スポーツとしての戦争」は別に議論になるような題材でも無いこと、またスポーツと戦争と物語の関係性からみて、スタンダードな題材であること、同時にこのスタンダードな題材の組み合わせの妙がガルパンのオリジナリティであり作品の面白さを際立たせている基本的な特徴だと思ったことを言いたいだけです。

スポーツですから、非暴力化という虚構が非常に重要になります。実弾射ち合っても戦車が横転しても炎上しても、せいぜいが擦り剥く程度で決して死なない。この点は見る上で視聴者は信じる必要があるし、信じさせるために製作者側が特別描き方を努力している点ですね。唯一の流血シーンが包丁で指切ったところだけというのが象徴的です。戦車戦より日常の料理の方が危ない、という。戦車による市街戦がまるでマラソン大会や草野球の試合のように日常の風景になっているのも面白い。ただし人の死なない・怪我しない戦車戦に付随する「事故」は起こりえるので、その事故との向きあい方が主人公西住みほ(cv渕上舞)が抱えるテーマの一つになっています。

あとは吹奏楽部だろうとかるた部だろうとスクールアイドルだろうと、ありとあらゆるスポーツアニメの登場人物たちが直面して克服してきた部活動にまつわるあれこれが、非常にエキサイティイングでリアルに見える戦車戦を通した、登場人物たちの団結と成長の過程として描かれていてあっと言う間に12話終わってしまいました。放送時リアルタイムで視聴していた人たちは「万策尽きた」影響でかなりやきもきしたそうですが(笑)

秋山殿がかわいくてもうどうすればいいんですか。あと、桃ちゃんなー桃ちゃん、知的な参謀っぽく見せて、実際には猪突猛進・突撃を叫ぶだけという(笑)どんどんポンコツさが可愛くなっていく不思議。サンダース高の参謀アリサの小物感、流石の平野綾さんで素晴らしかったです。プラウダ高の副隊長ノンナも上坂すみれさんのロシア語の歌が相変わらず見事でした。一年生ウサギさんチームの成長もぐっと来るものがありましたね。あと、本作で主役に抜擢されたのが今や大活躍の渕上舞さんで、他の水島作品でも無名の新人声優を抜擢して後の活躍のきっかけになることが多い(金元寿子、木村珠莉など)ですが、彼女を見出したという点でも水島監督は素晴らしい。

あと、主人公グループ五人組設定は水島努監督好きなのかな。「SHIROBAKO」や「ウィッチクラフトワークス」でも見せたように、次々登場する大量の登場人物をきちんとさばいてそれぞれ魅力的・印象的に描くのは流石です。

大ヒットも納得の傑作でした。

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