「『大日本帝国』崩壊 東アジアの1945年」加藤聖文 著

昭和二十年(1945年)八月十五日正午、玉音放送が流れ大日本帝国臣民は敗戦を知らされた。大日本帝国の崩壊はただ日本の敗北を意味するだけではない。大日本帝国の崩壊によって大日本帝国による植民地支配体制が崩れ、新しい国家、新しい国際秩序が東アジア地域に誕生することになった。その八月十五日前後の経過を通して大日本帝国下の日本、朝鮮、台湾、満州、樺太・千島、南洋諸島、東南アジア諸地域が迎えた敗戦と変化を概観した一冊。

まず序章としてポツダム宣言の公表に至る諸国の駆け引きが、第一章ではそれを受けての日本政府の対応が描かれる。

ポツダム会議の議題はヨーロッパの戦後処理とともに唯一抗戦する日本をどうするかであった。米国内では天皇の地位を保障して早期停戦に持ち込むべきとするグルー国務次官・スティムソン陸軍長官派と天皇の地位保障を盛り込むべきでないとするバーンズ国務長官・ハル前国務長官の無条件降伏派との対立があり、ポツダム宣言草案は前者スティムソン主導で起草されていたが、トルーマンの考えは後者に近い。

トルーマンの懸案は日本降伏後のソ連をいかに掣肘するかにあり、原爆開発の成功が対ソ外交強硬姿勢へと動かしていた。無条件降伏に拘るべきでないとするチャーチルの忠告を丁重に無視し、対日参戦を約したヤルタ密約の同意を求めるスターリンに言質を与えず、米国単独での日本撃破にこだわってポツダム宣言草案から天皇の地位保障条項を外し、独自にポツダム宣言文を作成、欧州戦後処理に注力したいチャーチル、中国から動けない蒋介石両者の消極的な同意を得て公表された。

トルーマンの独善的な姿勢に怒り心頭の蒋介石のせめてもの抵抗が、「米英華三国宣言」を「米華英三国宣言」に「合衆国大統領、グレート・ブリテン国総理大臣及中華民国国民政府主席」を「合衆国大統領、中華民国国民政府主席及グレート・ブリテン国総理大臣」並べ替えさせることだけだった、というエピソードは面白い。

ポツダム宣言が公表された時、日本はソ連を通じての和平工作を進めようと動き出したところだったから、「ポツダム宣言」に対して和平交渉の進展次第ということで曖昧な対応を取ることにした。すでにソ連への和平交渉の打診はいいようにはぐらかされていたし、陸軍もソ連軍が満州国境付近に集結しつつある情報を得ており、外務省でも対ソ交渉の見通しは暗いとする意見が大勢だった。にも関わらずの問題の先送りは大きな失敗だった。

メディアが早速日本政府はポツダム宣言を「黙殺」したと報じ、これを受けてトルーマンは広島へ原爆投下を命じる。一方、ポツダム会議で対日参戦の確約を得られなかったスターリンは対日参戦の口実を探していたが、ポツダム宣言無視という日本政府の不手際が最高の大義名分になった。八月七日、スターリンは「平和の敵日本打倒」を名目に、対日軍事作戦発動を極東ソ連軍に指示、翌八日、対日宣戦布告がなされ、八月九日、長崎に原爆が投下されるとともに、満州・樺太へ一気にソ連軍が雪崩れ込んできて、さらに陸軍内急進派によるクーデタ計画の噂も走るなど日本政府はパニックに陥った。

結局二度の「聖断」を経てポツダム宣言を受諾、無条件降伏へと至るが、事態がこれほど切迫してもなお、陸軍・海軍・外務省・宮中・内閣の間の路線対立をまとめられず無駄に時間だけが過ぎることになる。

「聖断が下されるまでに無駄ともいえる時間を徒に費やし、原爆やソ連参戦を経なければ実現されなかったことは、近年の研究でいわれているような指導層の優柔不断や自己保身が原因といったレベルの問題なのではない。最大の原因は、天皇大権を軸としつつ実は巧妙に天皇の政治介入を排除した明治憲法体制が、天皇を輔弼すべき者が国家運営の責任を放擲し、セクショナリズムのなかで利益代表者として振る舞った場合、制度的に機能麻痺が起こるという根本的な欠陥を抱えていたことにあった。
戦争終末期、政府や外務省は陸軍の暴発をいかに防止するかに精神を集中し、陸軍は本土決戦を叫びつつも実際は自己の組織利益をいかに維持するかに腐心していた。戦争という外国相手の政治闘争を行っているにもかかわらず、彼らは同じ日本人相手の政治闘争に終始した結果、重大な政治判断ミスを積み重ね、大日本帝国を完璧な崩壊へと導いていった。」(P54)

無条件降伏へ至る過程はまた、大きな問題をはらんでいた。すなわち、「本土決戦を譲らない軍部を押さえて戦争をいかに終結させるかに関心が集中した結果、国体護持という抽象的な問題だけが争点となってしまい、敗戦にともなって想定される問題の洗い出しも対応策の具体的な検討も政府内部で行われなかった」(P57)。その結果、「帝国臣民」の切り捨てが始まる。

台湾ではスムーズな体制移行が出来た。安藤利吉総督の下、いち早くポツダム宣言受諾へ至る過程をキャッチして林献堂ら台湾人有力者との協力体制を築き、社会不安を抑え、治安維持に努め、国民党政府への的確な引き継ぎを行った。むしろ日本軍撤退後の国民党統治の稚拙さと国共内戦の展開にともなう蒋介石政権の強権体制が台湾を混乱させ後に本省人と台湾人の根深い対立を産むことになり、この対立の構図が親日感情の醸成へつながることになった。

逆に朝鮮では無責任に過ぎた。ソ連軍は満州の後背を扼すべく朝鮮北部へも軍を進め、続いてポツダム宣言受諾が知らされて、緊迫する情勢の中、阿部信行総督が倒れる。政務総監遠藤柳作が指揮を執ることになるが求心力の低下は否めない。遠藤は呂運亨ら民族運動家への権限移譲を進め、呂らはこの依頼を受けて「朝鮮建国準備委員会(建準)」を結成、これが裏目に出た。新政府樹立とも取れる建準の結成が朝鮮での民族意識に火をつけ、朝鮮人団体が乱立して治安が不安定化、この事態の収拾に関して総督府は積極的な意思を示さず、事実上出来たばかりの建準に丸投げしたから、在留日本人の間でも総督府への信頼が失墜し独自に「内地人世話会」が結成されて、在朝日本人の支援が行われるようになる。

三十八度線以北ではソ連軍の侵攻が本格化、朝鮮総督府は統治能力を低下させる一方だったが、八月二十二日、三十八度線以南に米軍が駐留する旨の連絡を受けて、ソ連軍の京城侵攻の危機が回避されたことがわかると、権限移譲する対象を建準ではなく米軍に切り替えて終戦事務処理委員会を創設、建準切り捨てにかかる。九月九日、朝鮮総督府で米軍と朝鮮総督府・駐留軍との間で施政権移譲の降伏文書調印が行われ、米軍軍政下に置かれることになった。

この対応に我慢がならないのが建準で、これに先立つ九月六日、建準は「朝鮮人民共和国」建国を宣言するが、まずは信託統治下で治安を安定させることが急務と考える米軍によって鎮められた。以後建準は求心力を失って分裂、朝鮮半島における独立運動は米ソ両国の思惑に左右され、両国はそれぞれ李承晩と金日成という二人に南北に傀儡政権を樹立させ、現代まで続く朝鮮半島の分裂状態を引き起こすことになった。ともに強い支持基盤を持たず、冷戦を背負わされたがゆえに、必然的に独裁体制となり、自らの力で建国を成し遂げられなかったがゆえに「建国の神話」を必要とせざるを得なかった。

ほか、文字通り崩壊した満州国と関東軍。玉音放送が流れるまさにそのとき、熾烈な地上戦を戦っていた樺太・千島。沖縄県民が犠牲者の大半をしめたがゆえに沖縄戦の前哨戦として位置づけられる南洋諸島ではみな収容所で玉音放送を聞いた。穏やかな政権移譲が出来た地域はほとんどない。また、東南アジアに目を向けても、インドシナでは日本軍の後ろ盾を失った傀儡政権越南帝国に対し、八月三十日、ホー・チ・ミン指導の下で一斉蜂起が行われて皇帝バオ・ダイが退位、以後ベトナムは戦後の独立と統一を目指してインドシナ戦争からベトナム戦争と続く長い長い戦いが始まり、インドネシアでも八月十七日、スカルノによって独立が宣言、1949年まで続く独立戦争が開始される。ビルマではビルマ国の崩壊後英国統治下に戻ったが、1948年にアウン・サンの独立義勇軍を母体としてビルマ連邦が成立し、やがてネ・ウィンの軍事独裁政権へと至る。

大日本帝国の「臣民」は日本人だけではなかった、というのは自明のことながら誰もが忘れようとしていることのように見える。しかし、本書ではあらためて切り捨てられた側の動きに注目することで改めて、大日本帝国の崩壊がどういう現象であったのかに気づかせようしていている。

樺太・千島では日本人だけでなく「アイヌ・ウイルタ・ニブフなどの少数民族」(P202)とロシア人、ポーランド人、タタール人などの帝国臣民がいて、本土で玉音放送に日本人が泣き崩れているそのとき、彼らを巻き込んでの日ソ地上戦が展開されようとしていた。南洋諸島では日米開戦時で約十四万人の帝国臣民がおり、その構成は約八万四千人の日本人と四万七千人のカナカ族、四千人のチャモロ族だが、日本人のうち約五万人が沖縄県民で、六千人が朝鮮人であった、という。

帝国崩壊の中で歴史の闇に隠れたマージナルな人々、例えば1974年12月にインドネシアのモロタイ島で発見された元日本兵中村輝夫一等兵こと台湾の少数民族アミ族出身のスニヨン氏や、対ソ諜報員として召集されてシベリアに抑留されたあと樺太から帰国した北川源太郎ことウィルタ族ゲンダーヌ氏などを紹介しているところもとても興味深い。彼らは二人共日本人として扱われることは無かったという。中村輝夫(スニヨン)一等兵は台湾で李光輝としての後半生を送り、日本政府は何の補償もしなかった。北川源太郎(ゲンダーヌ)氏は「軍人恩給の認定を政府へ訴え続けたが最後まで認められず、網走に小さな少数民族の資料館と慰霊碑を建ててこの世を去る。」(P216)

大日本帝国の崩壊とは何だったのか、アジアから考えるために非常に多くの発見と理解を得ることができる好著だと思う。

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