「天下統一とシルバーラッシュ: 銀と戦国の流通革命」本多 博之 著

十六世紀初頭の石見銀山の発見と開発は日本列島だけでなく東アジア全体に大きな影響を及ぼした。その石見銀山の発見を契機として広がった「シルバーラッシュ」が戦国時代の日本を、そして東アジアをどのように変貌させたか、銀の流通をたどることで全体像を明らかにしようとする一冊である。

石見銀山で採掘された銀は博多商人によって列島へ、大内氏の遣明船によって東アジアへと持ち込まれ、1550年代、後期倭寇の活動を活発化させ、1560年代以降、福建商人、ポルトガル商人の来航を促進、列島内でもヒト・モノの広域的な流れを生み出した。まず西国大名によって交易を通じて日本産の銀が東アジアに広がったことで国際通貨として確立、遅れて国内でも貨幣として流通していったという流れであるらしい。

戦国時代という、中央政府の弱体化による権力の分散と旧来の荘園制市場構造の解体した状態の中で大名、国人、商人、海賊の共生関係を通じた経済活動によって金・銀の国内流通が活発化、東アジア経済と連動して推移し始める。

このような中で豊臣政権から徳川政権へと至る天下統一による政治権力の集中が生んだ急進的流通構造はどのようなものであったか。豊臣政権において秀吉は、海賊から海賊停止令による国内流通の主導権を奪い、東アジア諸国に対しても西国大名が個々に行使していた外交権を掌握、キリシタン追放、朝鮮出兵へと至る過程で、戦時体制の確立によって銀の上納と国内市場が急速に整えられていく。

この朝鮮出兵にともなって敷かれた戦時体制が、これまで諸大名の管理下に置かれていた金山銀山から中央政府への上納体制(金銀運上体制)を確立したという分析はとても面白かった。この確立は第一次朝鮮出兵後の講和交渉による休戦期(1593~96)であったらしい。この時期、金銀運上体制とともに、交通・輸送体系の一元化、東西海運の統一、金銀貨生産の統制と初期豪商の登場など貨幣流通に関する体制が一気に整った時期のようで、その後の徳川政権による幕藩体制の確立へ大きな影響を与えた。

もう一つ興味深かったのが石高制の成立について、織田信長による天正三年(1575)の山城国での所領給与で京都の標準枡であった十合枡を公定として石高で給与したことを紹介し、後に十合枡が織田政権の基準枡とされるが、これが貫高制から石高制へと移行するのに大きな影響を与えたことを指摘していることだ。

これについて、貫高制から石高制への移行過程の分析として言われる「福建地方から日本への中国渡来銭の供給途絶や、それによる日本国内における精銭の希少化という現象を想定する学説」(P106)に疑問を呈し、以下のようにまとめている。

「したがって、貫高制が最終的に採用されなかったのは、流通銭貨「量」の問題というよりも、銭で見積もられた貫高に対する『信用』の問題であり、領国支配の強化を図る広域公権力にとって、質の異なる貫高の並存状態の解消が当面見込めない以上、貫高よりも石高の方が権力編成(知行給与や軍役賦課)の基準数値として有効であり、信長や秀吉もそのように理解したものと考える」(P106-107)

「銭で見積もられた貫高に対する『信用』」については以前「「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ」桜井 英治 著」「いかにして中世日本で市場経済が浸透したか?」で紹介した桜井英治氏も指摘していて、僕もそのように理解していたが、さらに進んで石高制の優位点まで分析されている点、なるほどと思った。戦国末期~江戸時代前期にかけての貫高制から石高制への移行は後の江戸幕藩体制を考える上でとても重要なので、このあたりの分析や議論はもっと調べてみたい。

大まかな流れとして十六世紀初頭から十七世紀半ばまでをシルバーラッシュの時期と捉えているが、このシルバーラッシュは東アジア海域で人や物の流れを活発化させ、各地で政治体制の変動を起こし、外交・通商をはじめとする国際関係の構造的変化をもたらして、鎖国下での管理貿易体制の確立を経て十七世紀半ば、銀生産の縮小による銀貿易から銅貿易への移行によって終焉することになる。

西国大名の積極的な貿易と銀の流通を巡る国内の変動、海外への影響などいろいろとダイナミックな動きがコンパクトにまとめられていて、とても読み応えのある一冊であった。また、海賊については「「海の武士団 水軍と海賊のあいだ」黒嶋 敏 著」、倭寇と交易については「十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン」など以前書いた記事をあわせて読んでいただけると。

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