「世界を変えた火薬の歴史」クライヴ・ポンティング 著

三大発明といえば火薬・羅針盤・活版印刷術である。中でも火薬は産業技術から軍事技術まであらゆる面で中近世世界に革新を促すものだった。八~九世紀ごろの中国で誕生し、宋代の中国で一気に実用化されて様々な発明品を生み出し、イスラーム世界を通じて拡大し洗練され、十四~五世紀の欧州へと渡って社会構造を激変させ、やがて近代を生みだす引き金になった。十九~二〇世紀初頭の高性能爆薬の発明によって軍事技術として一線を退くまでの黒色火薬の歴史を概観する一冊。

火薬は、軍事技術として数多の人々の命を奪い傷つけることになるわけだが、皮肉なことに、錬丹術師たちによる不老不死の探求の中で生み出された。

火薬は硝石と硫黄と木炭の混合物だが、それぞれ硝石は延命に硫黄は精力増強に効くと考えられていた。これを混ぜあわせるようになるのが四世紀頃、808年の記録に硝石と硫黄とウマノスズクサ(炭素を含む)による発火作用の記録があり、850年頃には硫黄、硝石と蜂蜜(乾燥していれば炭素を含む)、鶏冠石(二硫化ヒ素)の化合物で発火事故が起きた記録が残る。火薬の誕生はこの頃のようだ。

火薬が生み出されると、すぐに軍事技術として利用されるようになる。当時、原料の一つ硫黄の最大の調達地として日本が十一世紀から十七世紀、特に十五世紀以降大規模な対中輸出をしていたという話は前回の記事「「アジアのなかの戦国大名: 西国の群雄と経営戦略」鹿毛 敏夫 著」でも紹介した。宋王朝は建国時から遼・金そしてモンゴルという強力極まる北方遊牧国家との恒常的戦争状態にあったから、火薬の軍事転用はそれこそ凄まじいスピードでイノベーションを起こした。十一世紀から十三世紀にかけての中国で、後の近代兵器の祖型がほぼ出揃うのだ。焼夷兵器、毒ガス、火炎放射器、爆弾、ロケット、そして大砲と手銃である。このあたり、すごく面白い&中二的熱さがあるので少し詳しく紹介したい。

焼夷兵器として有名なものとして七世紀のビザンツ帝国の「ギリシア火」がある。製法は謎だが、蒸留した液体石油にナフサや生石灰が加えられたものだろうと推定されている。しかし、これよりはるか前、紀元前四世紀ごろには中国で同様の焼夷兵器が使われていた。後に「猛火油」として知られるが、火薬の登場で「猛火油」は改良が加えられ、発火装置として火薬を使った「猛火油櫃」となる。

「毒薬煙毬」は硝石の含有率が低い火薬化合物にトリカブトとヒ素を加えて刺激臭を発生させる毒ガス兵器である。また、「火槍」は竹の棒に火薬を入れた容器をつけたもので、火を点けると約五分間炎が噴き出す簡易的な火炎放射器だった。後に多砲身式のものや、大型の八本の火槍を搭載した車輪付きの火炎放射装置、さらに金属の砲身で陶器の破片やくず鉄などを炎とともに噴射する「火筒」なども作られた。本物の砲への第一歩である。

「霹靂砲」は竹や紙の外殻を内側の火薬の爆発力で粉砕する最初期の爆弾である。殺傷能力はほぼ無かったが、敵の混乱を誘うのには充分だった。続いて鉄製の外殻を持ち殺傷能力がある爆弾「震天雷」が登場、宋・金・モンゴルの戦闘で使われた。後に日本に侵攻した元軍が使用して鎌倉武士を驚かせたことはよく知られている。さらに改造が加えられ、ナパームの一種を含んで爆発するとあたり一面火の海となった爆弾「飛燕毒火薬」なども登場している。「天墜砲」は投石機で敵の上空に打ち上げ、空中で爆発、敵の頭上から焼夷弾が降り注ぐものだ。1250年頃には最初の地雷「無敵地雷砲」が登場しているが、これは効果が薄かったとも言われる。十四世紀半ばには最初の水雷兵器「水底龍王砲」も開発されている。

最初のロケットは矢の先端に火薬を仕込んだ焼夷矢の「火箭」と爆竹の一種である花火「地老鼠」を組み合わせて約十八メートルの木の棒の先端に鉄製の矢じりをつけ、火薬の詰まった紙筒を胴体に装着、点火してロケットとして飛ばすものだ。遅くとも1200年ごろには実用化されていて、1206年の襄陽包囲戦で使われている。どこに飛ぶかはわからないので命中率は相当悪かったらしいが、後に改良されて多発式発射装置が作られ、密集陣形に対する攻撃に利用されるようになった。1350年になると多段式ロケットも開発され、主に海戦で利用されたという。まず運搬ロケットに点火されて発射され、これが燃え尽きると導火線をつたって自動的に多数のロケットに点火、飛距離を伸ばし焼夷矢が敵に降り注ぐ。

大砲については、ルーツがはっきりしない。欧州の発明だという説も有力だし、その一方で中国の方が先だったという説もある。その両者にどれだけ関連性があるかも、伝播の過程もよくわからない。少なくとも中国の砲は現代の大砲の直接のルーツではなさそうに見える。しかし、本書では「過去二〇年のあいだに、歴史的調査によって中国人が少なくともヨーロッパ人より二〇〇年早く砲を使っていたことが明らかになった。」(P68)としている。

火炎放射器から物体を高速で打ち出す発射装置として、爆弾「霹靂砲」を改良して毒煙砲弾を発射する「飛燕霹靂砲」が開発され、噴火器が登場する。これが大砲に進化するためには火薬の爆発に耐えうる素材の開発と、適した設計という二段階をたどる必要があって、1280年代には実用化されていたと考えられている。「さまざまな種類の砲が一一〇〇-一三〇〇年ごろに使用されたのは明らかだが、それらについてはほとんど何もわかっておらず、より大型の砲についてはとりわけそうである。」(P70)という。また、携帯型の「火銃」という銅製の武器が元寇の際に使われた記録があるが、これも砲だったか噴火器だったかははっきりしない。

何にしろ、宋から元にかけての時期、中国では火薬の発明から猛烈な勢いで――まぁ、シヴィライゼーションだったらそれから百年もしたら宇宙に行っていたであろうレベルで――、技術革新が起きていたことだけは確かで、この技術が十五世紀ごろまでに一気に世界に広がったのである。

その伝播者となったのがモンゴル帝国である。宋・金との戦争の過程で火薬技術も吸収したモンゴルは西征の過程で各地に火薬技術を広めた。まずイスラーム世界がモンゴル軍の猛攻の前に屈して、モンゴル軍が使う様々な火薬兵器を学び、やがてその技術はオスマン帝国へ引き継がれる。コンスタンティノープル攻略時には巨大大砲ウルバン砲「マホメッタ」がコンスタンティノープルの城壁を粉砕した。インドでは1300年にモンゴル軍がランタンボア包囲戦で火薬兵器を使用、インド北西部のムスリム国家ヴィジャヤナガル王国がデリー・スルタン朝との戦いでも使用し、ティムールも1398年に火薬地雷を使っているという。ムガル帝国は1525年にマスケット銃兵隊を組織しており、オスマン帝国から技術者を招いて火薬兵器の使用を前提とした軍の編成を行っているという。

ヨーロッパへの伝播は最初に、十三世紀半ばにモンゴルで伝道したフランシスコ会修道士ルブルック経由でロジャー・ベーコンは火薬の存在を著書に著したことから始まる。ヨーロッパでは火薬の原料となる硝石と硫黄が決定的に不足しており、その製造は困難を極めた。しかし、戦乱に明け暮れるヨーロッパで火薬兵器が輸入されて使われるようになると、その威力は絶大で、すぐに各国とも火薬の製造に乗り出す。

ヨーロッパでおきた画期的な火薬の技術革新がコーニング(粒状化)であった。十五世紀、硝石を水に溶かしてペーストし顆粒を作る粒状火薬が登場、これによって火薬の燃焼速度が増して爆発力が増大、同時に火薬が非常に長持ちすることになった。この新型火薬の使用に耐えうる外殻として、中世ヨーロッパで着実に育っていた冶金技術が効果を発揮した。

中国やイスラーム世界のような画期的で斬新で強力な火薬兵器の発明は難しかったが、粒状火薬と卓越した冶金技術の組み合わせは火器の標準化と大量生産を可能とした。マッチロック式マスケット銃(火縄銃)からフリントロック式マスケット銃へと進歩を重ね、大砲も攻撃力は弱いが射出速度と連射性も優れたカルヴァリン砲が登場、野砲や艦載砲としても活用されることになる。

火薬と火薬兵器への高い需要と浸透は近代の扉を開く要因になった。剣と弓矢から銃と砲へと軍の主力武器が一変し、それにあわせて軍編成の標準化が推し進められた。三十年戦争時のスウェーデン王グスタフ2世アドルフは砲兵部隊を中核とした機動力のある旅団を編成、後世、軍事革命と呼ばれる。国内で火薬の原料を調達するため、君主は権力を行使してさまざまな法令を制定、硝石や硫黄の調達に強制力を発揮する。

それでも不足する硝石の調達地として、欧州が目をつけたのがインドだった。最初はオランダ商人が、のちに英国がインドからの硝石輸入で主導権を握る。奴隷と香辛料と砂糖の三角貿易は有名だが、「香辛料」のカテゴリにはシナモンやジンジャーなどとともに硝石も含まれていることは意外と知られていないかもしれない。

また、火薬の研究は様々な技術革新を波及させた。蒸気機関もその一つだ。動力としてレオナルド・ダ・ヴィンチ以来「火薬機関」の研究が進められていたが、どうにもうまくいかない。火薬を使って水を汲み上げる「ホイヘンス機関」から着想を得たホイヘンスの弟子ドニ・パパンによって蒸気機関が発明される。

火薬と火薬兵器の原料調達と製造と技術革新、それらをより効率的に可能とし活用する体制として官僚制と常備軍とを備える主権国家が登場、新しい技術と新しい戦争に対応出来なかった君主たちは次々と脱落し、欧州は一気に再編成されていったのだ。その過程はまさに火薬兵器の革新と実験と大量の犠牲者の上に成し遂げられていくことになる。ヨーロッパによる火薬兵器の優越が明らかになるのは十八世紀後半から十九世紀初頭で、なんだかんだで、中国もインドもオスマン帝国も技術力では言われるほどには大きな差はなかったようだ。

中国、イスラームを経てヨーロッパは十六~十七世紀から火薬技術の最先端地域となって、世界に火薬兵器を広めていく。隔絶した地であった新大陸では、まず南米で銃火器と疫病の前にインカ帝国が滅亡しスペインによって最初の植民地が築かれる。1543年、日本に伝来した鉄炮と大砲は戦乱の中で急速な技術革新を経て一気に広まり、従来の戦争を一変、天下統一にも大きな影響を及ぼした。アフリカでは奴隷貿易を通じて流通した欧州産の銃が奴隷貿易の富を背景としつつ強大な集権的国家の誕生を促して十七世紀、銃火器を備えた軍隊を持つアシャンティ王国やダホメ王国、モロッコでもサアド朝・アラウィー朝などが誕生した。アメリカ独立戦争でも火薬資源の少ない革命軍をフランスが支援、大量の火薬兵器と火薬が運び込まれてその趨勢に大きな影響を及ぼした。

黒色火薬の時代は十九世紀から二〇世紀初頭にかけての、ニトログリセリン、ダイナマイト、ゼリグナイト、綿火薬、TNT(トリニトロトルエン)といった新型高性能爆薬の登場によってようやく歴史の表舞台から去るが、確かに火薬は世界を変えたのだった。

主に軍事技術を中心に火薬技術の進展からみた世界の歴史を一望できるとてもおもしろい一冊だと思う。

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