「山怪 山人が語る不思議な話」田中 康弘 著

マタギ・狩猟に関する著書が多い著者がマタギ、猟師、山で暮らす人々や山岳関係者から収集した山にまつわるちょっと不思議な話集。

著者が「この本で探し求めたのは、決して怖い話や怪談の類いではない。言い伝えや昔話、そして民話でもない。はっきりとはしないが、何か妙である、または不思議であるという出来事だ」(P248)と言う通り、物語性の強い怖い話は少なく、語り手の体験の主観がよりくっきりと現れた他愛無い雑談という雰囲気が強い。

語られる不思議な話の多くに共通するのが何につけ狐や狸に化かされたという結論に至る話が多いことで、最近になっても狐に化かされるという話が説得力を持っているようだ。面白いのは、狐に化かされたというオチになる話の多くが、例えば、間違えるはずのない慣れた山道で迷ったとか、待てど暮らせどなかなか来ない待ち人が実は狐に化かされて遅れたとか、姿が見えなくなったのでみんなで探しだしてみたら意味不明なことを呟いているので狐に化かされたらしいとか、狐に化かされたとすることで、その事態を丸く収める意図が伺える点だ。中には単に酔っ払って暴れているとしか見えない話も、酔っ払って狐に化かされているという話で語られていたりする。あるいは、道に迷ったという事実と、山のプロというプライドとの矛盾の落とし所として知らず知らず狐に化かされるというエクスキューズになっているようでもある。もちろん当人たちには至極不思議な現象の体験談である。

狐に化かされたという話を信じないというあるマタギのコメント「第一妙なことがあるとみんな狐のせいにすっけど、それは自分の間違いを狐におっかぶせているだけだって(中略)都合の悪いことは全部狐のせいよ」(P47)がおそらく心理の真相を突いているのだろう。一方で、確かに狐のせいにすることで、その場は丸く収められるし、どうにも説明が付かない体験談にも一つの落とし所を見つけられるし、そういうことにしておけば、山での様々な不安のはけ口になる。様々な他愛のない話の中から、狐に化かされる、という怪異の存在理由が見えてきて面白い。

また、面白かったのが「怪異現象」とすることで、山での冷静な行動を促す結果になっている話が多く見られる点だ。こんな話がある。

白山連峰の猟師が登山道の拡幅作業で山に入った時のこと、天気が急変して三十センチ先も見えない濃霧のなかで五人の作業員で下山することになった。そのとき班長は「いいか、何か来るかもしれないけど絶対に慌てるな!落着いて黙ってるんだぞ、絶対に慌てるなよ。そうすれば何もしないんだから」と厳命する。一列になって前の人のリュックを掴んで細心の注意を払ってしばらく歩くと突然最後尾の男性が「何かが来た」という。何者かにリュックを引っ張られたらしい。そこで班長は後ろを向かずにその場で一斉に座るよう指示、再度立ち上がって様子を伺うが最後尾の男性はまだいるという。着座と起立を、いなくなったと言われるまで繰り返したのだそうだ。

濃霧の中での下山、しかもちょっとしたことで滑落や遭難など大きな事故につながりかねない状況で、「何かがいる」と想定することで限界状態にあるメンバーの不安を解消した行動に読めた。得体のしれない何かに動揺してイレギュラーな行動に出るより、何かがいると怪異の存在を前提にしておく方がリスク回避になる。そういう登山時の知恵っぽくてとても面白い。

不思議な現象をまるっきり信じていない人から、思いっきり繰り返し繰り返し山での不思議な現象を体験する人まで幅広く紹介されている。小人に会ったとか、民話の迷い家よろしく不思議なスペースに出たが二度とそこに行けなかった、ライオンのような怪物と対峙した、見たことの無い道に吸い込まれるように入ってしまった、などなどの不思議体験から、狐火あるいは人魂と呼ばれる現象の正体を巡る見解の相違まで、山人たちが体験する不安や恐怖といった山での心理と知覚の変化が不思議な話としてどう形作られているのかが垣間見える。基本的に著者は不思議な話を不思議な話として否定せずあるがままに紹介しているようだ。

まぁ、怖い話や世にも奇妙な物語的なストーリーテリングを期待すると期待はずれに終わるだろうが、民俗学的なフォークロア集としては、「遠野物語」とはまた違って、より卑近な話集になっていて個人的に好ましかった。まぁ、出版社側は怖い話路線で売りたいようではあるが、内容的にミスマッチを生むだけじゃないですかね。

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