「交路からみる古代ローマ繁栄史」中川 良隆 著

「すべての道はローマに通ず」の言葉通り、ローマ帝国は最大版図五百万平方キロメートルもの広大な領土に十五万キロメートル(うち八万キロメートルは舗装道路)ものローマ街道が張り巡らされていた。ローマ帝国はその広大さ故に隅々まで行き渡る水陸の交易路を使ったヒトと物資の移動流通網があって初めて成り立っていた。本書はシビル・エンジニアリング(土木技術、構造工学などの総合的な概念)の観点から、ローマ帝国を支えた陸の道と水の道を解説した一冊である。著者は工学博士。

目次
第一部 すべての道はローマに通ず
 第一章 ローマ街道の意義
 第二章 ローマ帝国以前の諸外国の道路網
 第三章 ローマ街道を使った国家統治・防衛と旅の安全・楽しみ方
 第四章 ローマ街道の建設技術
第二部 河川・海上交通がローマの繁栄をもたらした
 第五章 何を、どこから運んだのか
 第六章 船と運航者
 第七章 航海で必要なインフラ(港と灯台、地図やガイドブック)
 第八章 海賊征伐が帝政ローマをつくった
第三部 道とローマの繁栄

ローマの街道はすべて軍用道路として整備された。古代地中海の都市国家、ギリシャもフェニキアもローマもいずれも植民市を次々建設したが、前二者が母市と植民市とは通商関係に留まったのに対し、ローマは軍事的関係を重視した。ローマ防衛を目的とした植民市建設という観点から、両者を繋ぐ街道が次々作られる。その最初期の例がアッピア街道(B.C.312年)である。この建設でサムニウム戦争を有利に進め、イタリア統一への第一歩を標した。

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軍用道路の5つの必要条件

軍事用道路の必要条件として以下の五点が挙げられる。
1)大雨や大雪でも「ぬかるみ」や「わだちばれ」等が発生せず、行軍が妨げられないよう、敷石等で舗装した堅牢で、十分幅のある道路。
2)敵軍等からの妨害の障害が発生しづらい道路。
3)敵軍の妨害や不通箇所発生でも目的地に達成できるように、複数経路が確保されていること。
4)投石器等の重量物を運搬するため、直線で勾配の緩い道路。
5)道中、宿泊飲食や馬の交換、馬車の修理が可能な施設が設置されていること。

まず、1)については、特に「十分な幅」というのが重要だ。「例えば、三万人の兵士が一列縦隊・一メートル間隔で歩くとすると、延長三〇キロメートル」(P26)になる。三列縦隊程度が可能なだけの十分な幅が必要で、すでに紀元前四五〇年に定められた初の成文法「十二表法」に「道路の直線部は二・四メートル幅。曲線部は四・八メートル幅」(P24-25)と定められており、実際建設された道路も「交通量の比較的多い街道は三・五メートル~五メートル。幹線道路では八メートルのものもある。」また、山道だと二・七メートル~三・四メートルだという。

次の2)について、「障害が発生しづらい道路」の障害とは町のことだ。都心は混雑するし、城塞都市が基本だから城門を閉じられると移動できなくなってしまう。また、町が敵に選挙されるとこれまた移動が妨げられることになる。さらに城塞都市は丘陵地に作られることが多いから道路の平坦性という条件にも合致しない。ゆえに、町を通らないというのがローマの道路の基本思想で、これはアケメネス(ハカーマニシュ)朝ペルシアの「王の道」の影響にあるとされる。現代の高速道路を想像すればいいようだ。3)の複数経路の確保も最初期のアッピア街道がラティーナ街道の複線として設計されたように、基本思想としてあった。5)はアウグストゥスによる駅伝制度として高度にシステム化される。

ローマの道路建設技術

ローマの道路建設技術はかなりのもので、カエサル~アウグストゥス時代の技術者ウィトルウィーウスの著作「建築書」による道路建設のプロセスが本書でまとめられているが、舗装の施工法については「現代の道路工事との違いは、機械か人力かの違いだけ」(P87)で、「道路構造は不明なところもあるが、五層構造の堅牢なもの」(P87)となっており、基本的な建設技術を踏まえつつ、現地で調達できる材料や基礎地盤の強度に応じた柔軟な道路建設が行われた。道路建設とその後のメンテナンス作業に従事したのは軍だったと著者は述べている。

ローマがこれほど街道敷設に熱心だったのは、ローマ防衛の基本方針が「攻撃こそ最大の防御」であったからだ。大規模な軍を迅速に移動させ、一気に敵を殲滅してローマ周辺から敵の脅威を取り除く。そのために軍を高速移動させる軍用道路が必要だったのである。帝政ローマ時代になると、軍事費の際限ない増大を抑えるため、軍団の有効配置が必要になる。初代皇帝アウグストゥスは六十あった軍団を半減させる一方で、この規模の軍団で広大なローマ帝国の防衛と拡大を可能とする施策として、退役兵による植民市の建設、軍団駐屯地を要衝に分散させて拠点を中心とした防衛体制を築く、住民叛乱を防ぐ慰撫、駅伝郵便制度の制定などを行った。軍の有効配置と高速移動を可能とする体制を築いたわけである。

また、古代エジプト、クレタ島クノッソス宮殿の幹線道路、ペルシアの「王の道」、秦帝国の道路網などとの比較も考察されていて面白い。軍用道路の基本思想は上記の通り「王の道」の影響が非常に強く、駅伝制度は古代エジプトに倣っている。また、秦帝国は大規模道路「馳道」の使用を始皇帝が独占したのに対し、ローマ帝国は駅伝制度や公共宿泊施設の利用は許可制としつつ、街道の往来自体は一般開放した。

カエサルのライン川橋梁建設作戦

特に面白かったのがローマ帝国軍の土木技術についての描写だった。マケドニアのアレクサンドロス大王も東征に際して侵攻ルートとなる道路建設を目的とした工兵部隊を先行させ彼らの活躍が破竹の快進撃を支えたが、ローマ帝国軍も同様だ。その鮮やかな技術力の例として本書で紹介されている一つがガリア遠征時カエサル軍によるライン川橋梁建設(B.C.54)である。

「カエサルの橋は、ケルンとボンの間にあり、川幅約四〇〇メートル、水深最大八メートル、流速毎秒二メートル程度と想定されている。橋を架けるには非常に厳しい条件である。杭だけで約二七〇本。そのうち、約六割が斜坑である。これを材料の調達、船の製作、橋の建設と、一〇日間で成し遂げたのだ。」(P100)

木製の杭打ち機とクレーンを搭載した作業筏を各十二隻程度用意しての突貫工事、さらに敵の破壊工作にも対応しなければならない。上流からの流木攻撃対策として、三本一組の防衝工を設置していたという。橋の完成後戦闘が終わると、さっさと破壊してしまっている。またカエサルは翌年にも少し上流に二度目の架橋を行いこれも数日で完成させて、作戦が完了すると今度は三度目を想定してか「敵側の六〇メートル側だけを壊し」て軍を引いた。

カエサルの架橋作戦の他、トラヤヌス帝がルーマニアのドナウ川に建設したという長さ一〇〇〇メートルのトラヤヌス橋など実例多数。トラヤヌス橋は瀬戸大橋と類似の設置ケーソン工法と呼ばれるコンクリートを使った技術が使われていたというから驚きだ。コンクリートの発明は偉大である。

戦争に次ぐ戦争に明け暮れたローマ軍だが、実際の兵士の仕事は訓練訓練訓練と繰り返した後は土木・建築・資材調達・運搬・・・ときどき戦闘、という感じだったようだ。遠征ともなれば毎日全軍の野営地を設営しなければならないし、その役目は先発部隊の仕事で簡易なものとはいえ結構な重労働だった。

古代ローマの海上輸送網

ローマ帝国時代の輸送コスト比は「海上:河川:陸上=一:四・九:二八」(P7)で、陸上は基本的に軍用道路としてか定時性の必要な郵便・通信としての利用だった。一方で海路は大消費地であるローマへ全領土から様々な物資を運ぶ動脈として機能した。エジプト・アフリカ・ガリアから小麦が、地中海沿岸からワインとオリーブ油が、エジプト・シリア・小アジアから木綿や麻が、ガリア・ブリタンニアから羊毛が、没薬はアラビアやソマリアから、輸送・交易網が張り巡らされた。地中海には6つの海上輸送ルートが確立している。

特にローマが重視したのが小麦である。一にも二にも三にも小麦!小麦!小麦!である。地中海覇権の確立とともに進んだ大規模農園経営は小作農の没落を招き、没落した小作農が都市に流入、貧困層を形成する。中小小作農の没落は市民兵制度をとっていたローマにとって徴兵対象者の減少につながるから、軍事力の低下に直結、負のスパイラルが進む中で、グラックス兄弟の改革(B.C.123)により、ローマ市民に小麦の無料支給が決定された。以後、対象範囲・数の変更は何度かあるが、一貫してローマ市民へ小麦の無料または安価な支給が行われた。このために小麦が属州から収奪され、ローマに大量に運ばれた。「パンとサーカス」の提供は非常に重要だったのだ。

ローマの覇権を可能とした軍用道路を使った軍の高速移動と展開、駅伝郵便制度を使った情報伝達システム、「パンとサーカス」の提供を可能とした、海路・水路を使った大物流網。ローマの変質と繁栄、衰退について、交易路の確立を可能とした技術的側面から俯瞰するとてもおもしろい本である。特に兵站や軍事土木技術について興味がある人には多くの発見をもたらしてくれると思う。

同著者には本書のほか、「水道が語る古代ローマ繁栄史」「娯楽と癒しからみた古代ローマ繁栄史―パンとサーカスの時代」があり、三部作的な位置づけになっている模様。他の二冊は未読。

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