重巡洋艦「足柄」の呼称「飢えた狼」についての新たな発見まとめ

旧日本海軍の重巡洋艦「足柄」のニックネームとして知られる「飢えた狼」について、最近、次々と新資料の存在が明らかになっていることが、話題になっていました。以前「艦これの愛すべき残念美人、重巡洋艦「足柄」はなぜ「飢えた狼」なのか」という記事を書いたこともあり、改めて最近明らかにされた情報をまとめておきます。

詳しくは、
重巡洋艦「足柄」さんは別に飢えていなかった – Togetterまとめ
【小報告】小林宗之助司令官の講演と「飢えた狼」について : 「飢えた狼」の探索
有村悠さん、若林宣さんによる発見を中心に、足柄の「飢えた狼」について情報がまとめられています。

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英国空母イーグルと比較しての「狼」

上記の記事を書いてからも少し「飢えた狼」発言が無いか英国の当時の新聞記事等検索してみたのですが、やはり見つからないままでした。今回明らかになったのは、「国立公文書館アジア歴史資料センター」収蔵、第4戦隊司令官として足柄に乗って観艦式に出席した小林宗之助少将の帰国後の講演会の記録、「28.英帝戴冠式及観艦式に参列して(附.新興独逸と英国勢力の観測)」です。昭和十二(1937)年八月のもの。

同資料によると、足柄がシンガポールに寄港した際、「或る人」から英国空母イーグルとの比較で「イーグルは女性を想はせるが、足柄は狼(ウルフ)のやうである」と小林少将が言われ、「成る程我が『足柄』は艦首は尖り上甲板は波を打って細く長く、重い武装を持って居って狼のやうにも思」ったという。

 在留邦人は今回「足柄」が寄港して、久振りに新鋭なる帝國の軍艦を見た事とて非常に感激を以て迎へてくれた。領事等のレセプションに於ても、イギリスの官民は勿論非常に努めて出席をして約四千名餘りの出席者があったが、斯かることは近來非常に珍しいことで、日英の空気が好轉して非常に有難い事だと言って居った。
 シンガポールには接伴艦としてイギリスの航空母艦イーグルが居ったが、イーグルはでっぷり太った線に丸味を持った艦である。其のイーグルと我が「足柄」が並んで碇泊して居ったが、或る人が之を見て「イーグルは女性を想はせるが、足柄は狼(ウルフ)のやうである」と批評して居った。さう言はれて振り返って見ると、成る程我が「足柄」は艦首は尖り上甲板は波を打って細く長く、重い武装を持って居って狼のやうにも思はれる。

「28.英帝戴冠式及観艦式に参列して(附.新興独逸と英国勢力の観測)」海軍少将小林宗之助
外務省外交史料館外務省記録日本外交協会講演集 第二巻【 レファレンスコード 】B02030916800より

或る人が誰だったのか、どのような状況だったのかなどは不明。「振り返って」とあるからおそらく並んで碇泊しているところでの会話と思われます。従来この後の観艦式時に「飢えた狼」と呼ばれたとされているが、相変わらず当時の新聞記事等の資料は見つかっていないようです。

イーグルと足柄

参考までに比較画像。

Category:HMS Eagle (ship, 1918) – Wikimedia Commonsより英国空母イーグル
航空母艦イーグル

観艦式のためスピットヘッド沖に停泊した足柄(「重巡 妙高・足柄 (ハンディ判日本海軍艦艇写真集」P81より)
観艦式に臨む重巡洋艦足柄

和辻春樹博士の随筆による「飢えた狼」発言

もう一つは、以下のツイッターにもある、造船技師和辻春樹博士(1891~1951)による昭和十五(1940)年の随筆「随筆 船」による以下の記事。


「随筆 船」については図書館等で入手出来なかったので、上記のツイートの画像から孫引きします。

先年英国の戴冠式後の観艦式に参列する爲巡洋艦足柄が派遣されたことは私達の記憶に新たなことであるが、英國ともあろう國は足柄の寄港地には殊更に大きい軍艦を碇泊させて足柄を小さく見せることに苦勞し、植民地に於ける本國の威力を示すことを忘れず、その優越さを維持することに汲々としてゐるのは、はたの見る眼も氣の毒だが、観艦式に参列した足柄の外観を見た倫敦人は「飢えた狼のやうな形をしてゐる」といつた。虫の好かないジョン・ブルながら、こればかりは蓋し適評だと譽めざる得ない。しかしながらわが軍艦足柄をものともあろうに、今にも噛みつきそうな狼の姿にたとえたところは、とりもなほさず我が軍艦設計の優秀性を言はず語らずの間に、激賞したのも同じことだ。

「随筆 船」和辻春樹著P27~28孫引き

つまり、足柄を空母イーグルと比較して「狼」と例えたという昭和十二年の史料と、観艦式で「飢えた狼」と呼ばれたとする昭和十五年の随筆があって、その間「飢えた狼」と呼ぶ史料は見つかっていないというのが現況。

これは観艦式へ向かう途上シンガポールで狼と呼ばれたという話が、昭和十五年までに観艦式で英国人が貶めるために「飢えた狼」と呼んだという話へ、話が膨れ上がって変化したという流れではないかという推測がこの史料を見つけた方々の間でされているというわけです。

特に、昭和十五(1940)年というと、前年のドイツによるポーランド侵攻に始まる第二次世界大戦の進展で、日本でも米英に対する敵愾心が非常に盛り上がっていた時期で、1939年から全国各地で排英運動が活発化、排英同志会の結成が相次いだ時期でもあり、このような時局を踏まえて、英国に侮辱されたというストーリーは形成されやすかったのかもしれないですね。和辻春樹氏の随筆も、「優越さを維持することに汲々と」する「虫の好かないジョン・ブル」からの侮辱を「我が軍艦設計の優秀性を言はず語らずの間に、激賞したのも同じこと」とやり込めてみせる内容になっています。

「飢えた狼」神話(と呼んでいいのかもしれないですが)の形成は引き続き、史料の精査と裏付けが重要でまだまだ明らかとは程遠いようですが、ぜひ近代史専門のどなたか調べていただけると、そして、論文か書籍にでもしていただけると非常にありがたいです。

ほか、こちらは2010年の記事ですが、「巡洋艦/足柄の艦内新聞 「足柄新聞」 – システム担当ライブラリアンの日記」によると、当時「観艦式に参加する航海の3ヶ月余りの間」、「足柄新聞」という艦内新聞があったことが明らかにされています。これにもしかすると、なんらか記録が残されている可能性がありそうです。

また、ジャン・コクトーが足柄を誉めたという話も実は足柄ではなく、愛宕だったということが「ジャン・コクトーは「足柄の機能美を絶賛」したか?――1936年のコクトー来日の検討 : 「飢えた狼」の探索」で明らかにされています。これも興味深い内容です。

何にしろ、以前書いた記事はそもそも「飢えた狼」という呼称自体存在があやふやなものとなってきているので、侮蔑か褒め言葉かという二択自体が意味の無い物となっていきそう。さらにいうと、その選択自体が戦時下の排英的機運に絡め取られる危うさを孕むかもしれないですね。

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