「戦争と読書 水木しげる出征前手記」水木しげる/荒俣宏 著

後の漫画家水木しげるがまだ二〇歳の画家志望の青年武良茂だったころ、徴兵検査を受けた直後の、戦争への召集が現実的な避けようのない課題として突如立ちはだかってきた、昭和十七年十月~十一月にかけて記した手記集である。本書は三章構成で、第一章でその水木しげるの手記が、第二章で荒俣宏による彼の手記と水木の手記の内容と通底する当時の戦争と読書の関係についての歴史的社会的背景に関する論考が、第三章では戦後すぐ復員後に家族へ宛てた水木の手紙が、収められている。

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水木しげる出征前手記(昭和十七年十月~十一月七日)

二〇歳の青年武良茂は否応なしに直面せざるを得ない戦争という不条理、死の恐怖、そして求められる死の覚悟と、どのように向かい合ったか?手記から明らかになるのはその葛藤と克服を読書に求めたということだ。読書を通しての思索と知的格闘の中に自身の生と死、そして人生の目的とを浮き彫りにしようとした。手記の一言一言が実に切実で誠実、しかし苦悩に満ちている。

水木がエッカーマンの「ゲーテとの対話」を座右の書として戦地にも持って行っていたことはよく知られているが、この時期の彼はそのゲーテとともに、キリスト教に非常に接近していたことが本手記から見えてくる。

吾を救ふものは道徳か、哲学か、芸術か、基督教か、仏教か、而してまよふた」が、まず「仏教のような唯心論には反対」としつつ、「基督教を信仰するに最も困難な事は神の存在である。そして最も重大なるはこの神なんだそうである。神を理解する程度に基督教を理解するとは真か、そうであるとすれば俺は救はれない。道徳と愛とが自然(カミ)と関係のあることを知らぬ、自然は盲目だと思うから……」と信仰に迷う気持ちを率直に吐露する。

そのような信仰の迷いの中から改めて自身の目的として画家の道を見出そうとする。「美を基礎づけるために哲学をする。単に絵だけを書くのでは不安でたまらん。俺は哲学者になる。だが画家だ。あくまでも画家だ。」と宣言するもすぐに撤回、あらためて散歩したときに「風景に感激した」ことから、「生活即ち芸術とする事」を志し、芸術の基礎としての哲学に改めて道を見出そうと葛藤する。その「哲学の一番面白い所は形而上学だ」とし、カント以後は「形而上学は失せて倫理学が哲学に代つた」として、「形而上学は自然科学の世界に求むべきだ」と、自然科学、特に博物学に取り組む意思を明らかにする。「死なう、博物学とともに死んでやらう」。

それでも「自然科学を本尊にいたゞいたつて、治まりそうにもない」と不安な胸中をあきらかにし、あらためてキリスト教を見出そうとする。ここは名文だ。

「濁世に落胆して芸術の世界に遊ぶのはイエス的ではない。
むしろ濁世を改めようとして戦ふ事がイエス的だ。

芸術にもイエスはあり得る。真剣と言ふ点に於て……
だとすれば俺はイエスのような画家たらんか。」

そこからさらにニーチェやハムレットとの格闘を経て、

「信者なんて言ふものはつまらない。人と生まれた以上は、十人十色だから各々変つた自分の人生観と言ふものを持ちたいものだ。
キリスト教はキリストのもの、仏教は釈迦のもの……
どんなに苦しくても、どんなにつまらなくなつても自分の道を造るためにこの混乱不安の中にとどまらうではないか。」

という境地に至る。信仰、思想、自然科学、そして芸術へと一ヶ月の間に大きな思想的展開を遂げながら、二〇歳の若き武良茂は己の道を見出そうと葛藤している。

そのような生きる道を見出す試みを通して、いかに死ぬか、死の覚悟をどう決めるかという葛藤ともまた真摯に向かい合っている。「独ソ戦を見よ。大量に人を殺してしまふ。」と近代戦の残酷さに衝撃を受け、結局「時代に順ずるものが幸福だ」、すなわち時代に流されてただ死ぬことが幸福なのではないかと諦観に駆られるが、上記のような生を問う中であらためて「生ある限り戦ふ事だ」と自身を奮い立たせ、自身の愚かさ、怠惰、嘘と向かい合い、その罪深さを直視しようとする。「罪業、一にも二にも罪業で形造られし過去の生んだ汝は、罪業の塊である。」と自身を突き放した上で、手記はこう結ばれている。

「武良茂は嘘つきの悪人じや、馬鹿者だ。
こんな事では自殺したって土が喜ばぬ。
生きていたつて空気が喜ばぬ。寝ていては夜が喜ばぬ。
死んだとて、死ぬ資格はない。地上がけがれる。
幾萬と重なる罪業の負債を、生ある限りをつくして支払ふならば死ぬ資格もあらう。」

と、生きるための死に物狂いの戦いを静かに決意している。これが、彼の、水木しげるの太平洋戦争の中でどういう効果を持ったか、死ぬ資格を求めての生ある限りの戦いの結果として、片手を失いながらも生き残ったことの重みが漫画を書く原動力になるわけで、水木しげる作品の読者として強い感動を覚える手記である。

荒俣宏による水木しげる出征前手記の背景

本書の主題はここからさらに深入りするものだ。荒俣宏は、このような読書の中に戦争と向かい合う力を獲得しようとした水木しげるの活動を、水木特有のものではなく、当時の若者たちに共通する現象だとする。水木の手記を通して戦時下の近代日本の「戦争と読書」の姿を描こうというところに、本書の面白さがある。

荒俣は水木同様に出征した兵士たちの遺稿を「きけ、わだつみのこえ」などから次々紹介しつつ、「読書に対する飢えのようなもの」(P77)が存在していることを指摘する。当時の教養主義は「日本人を無批判に戦争に駆り立てた」(P75)一方で、「当時の真剣な読書は、自分の命を左右する戦争の恐怖や理不尽から自分を衛る防壁の役目を果たした」(P75)。戦後鋭い批判にさらされることになる戦時下の教養主義を再評価しつつ、水木しげるの手記がその強い影響下にあることを明らかにしている。

荒俣によれば、明治維新以降、国民皆兵で徴兵制が敷かれることになるが上意下達の軍規に徴兵された一般国民はなじめない。そこで、上意下達の関係が徐々に社会一般の規範へと拡大されていくことになった。その契機は日清日露戦争で、軍部が台頭していく過程で軍国主義化とともに、軍独自の慣習が社会全体へ広まっていくことになる。一方で、近代化は西欧の様々な思想・文学・宗教の名著が大量に流入し、近代文学が勃興する時代でもある。丁度大正後期から昭和初期にかけて大衆文学の普及に牽引されて出版の黄金期を迎えることとなり、読書ブームが到来する。しかし文化・教養を、書籍を通じて獲得しようという大きな潮流は、必然的に軍国主義と衝突せざるを得ない。読書への飢えと出版・言論統制の間で、戦争という難題に直面する若者たちは一方で「時代に順じ」て軍国主義精神を受け入れ、他方でそれが出来ない者たちは「深遠な生死の問題の解明と、哲学による心の慰安」(P76)を求めて貪るように本を読むようになる、とおおまかに言うとこんな流れがある。

これについては、水木しげるが哲学者梅原猛との対談でもこう書いている。(「水木しげる 鬼太郎、戦争、そして人生」(P16))

「水木 私の若い頃は、だいたい20歳で戦争に行くでしょう。死ぬでしょう。そのために18、19の頃に出来るだけ本を読んだんです。哲学書とかをやたらに。

(中略、以下梅原と水木の若い頃読んだ哲学・思想書論議が続く)

梅原 大学に入ってからはハイデッカーに移ったんですが、彼は『人間は死への存在』、つまり『人間は死ぬもの』だという。そういう哲学になぜ夢中になったかというと、やっぱり戦争体験ですよ。

水木 そう、若い者を哲学に押しやったのは、兵隊に行って死ななきゃならぬということですよねぇ。今は20歳ぐらいで死ぬなんて、考えられないでしょう。」

荒俣は後者の読書青年たちに強い影響を与えた二冊の本を紹介している。一冊が昭和十三年刊、河合栄治郎編著「学生叢書シリーズ」の中の「学生と読書」。もう一冊が大正三年刊、阿部次郎著「三太郎の日記」である。

河合は軍部ファシズムとマルキシズム双方を批判する当時を代表する自由主義者の一人であり、「単に社会や思想を磨き上げるのではなく、自分自身を磨き上げ、人格を高潔にし、教養を高め、この教養と人格によって人びとに幸せをもたらす」(P116)という教養主義的な自由主義者であった。河合は「学生と読書」において、「読書とは自己教育であり、自己とは何であり、何であるべきかの内容を与えるのが読書である」(P121)こと、科学と哲学の読書から培われた教養が「自己が『何をなすべきか』という道徳と芸術の問題」(P121)の回答を与えることを論じた上で、読むべき本の紹介を行った。同書は発売から二年半で五八刷の大ベストセラーとなり、若き武良茂も十代で読み、本書の書評を参考にして後に座右の書となるエッカーマン著「ゲーテとの対話」を購入、ゲーテに夢中になり次々と読書の幅を広げていっている。

学生叢書シリーズからは河合の「学生に与う」だけが今読むことが出来る。

阿部次郎「三太郎の日記」は今青空文庫でも公開(合本三太郎の日記)されていて、本書から興味を持って読み始めたところだが結構なボリュームでまだ読み切れていない。というわけで、ここでは荒俣の紹介に従おう。阿部次郎は夏目漱石、九鬼周造、和辻哲郎、岩波茂雄らを教えたラファエル・フォン・ケーベルに師事した哲学者で大正教養主義の代表格であり、自身の思索の過程を青田三太郎(アホだ三太郎のもじり)という身近なキャラクターを使って描いた「三太郎の日記」という作品を発表、大きな影響を与えた。その特徴は「水木の手記と同じく、悶々としながら思索し、最初に出した結論が、もう翌日にはひっくり返っているという、混迷のプロセス、思索の迷路の状況を正直に書い」(P145-146)たもので、「迷い迷って到達するそのプロセスに『哲学』が宿る」(P148)という大正教養主義のモデルとなった。「つまり、ふつうの市民が心迷うことに、哲学的な意義を与えた」(P148)のだという。

河合が何のために、どんな本を読めばいいのかを提示し、阿部が、その読書を通じた思索のプロセスのモデルを具体的に描いてみせたことで、若者たちはそれを参考にし、踏襲することができるようになった。この大正・昭和の教養主義が指し示す読書ノウハウが、戦時下の苦悩する若者たちに教養主義的な読書を浸透させることになり、その若者の中に水木しげるもいたというわけだ。

水木は教養主義の強い影響にあることを示すような文章を多く手記に書き留めている。

「教養と言ふものを得るまでは、ヘーゲルが言つたように自己を捨てる事が必要だ。
青年の不完全な教養は不完全な観念を生む。
無智程駄目なものはない。
青年時代の使命は、自己を知識にする事。
あらゆる手段を以てそうする事ではないだらうか。」

自分の頭で考えよう、などと無責任なことをいう論者はいつの時代もどこの世界にもいるが、二〇歳の武良茂青年は、そんな軽薄さとは対極にあることがよくわかる。水木の言葉を借りれば「あらゆる手段を以て」「自己を知識にする」過程でそれでも否応なく生まれる「不完全な観念」との格闘である。そして、後に「資料蒐集の鬼」と呼ばれるほどの熱意と創作姿勢の土壌が垣間見えるようで、これまた非常に面白い。

荒俣は、「これまで水木しげる二等兵を『日本兵としてまれにみる自由主義者』と考えてきた」(P7)が、この手記を読み、その背景となる当時の青年たちが直面した死にものぐるいの読書の過程を通して認識を改め、「武良茂という青年はけっして突出した個性の人ではなく、当時のすべての二〇歳となんら変わらない深い苦悩の中にいたことを、知らされた」(P7)という。そのような普通の青年が、やがて水木しげるとなっていくわけだが、その変化を支える土壌もまた、この頃に育まれていた、ということが垣間見える。

これから水木しげるは神話化されていくことになるだろうが、敢えて一人の人間武良茂に近づくために非常に多くの示唆を与えてくれる一冊になっているのではないかと思う。若き日のこの切迫した思索と苦悩の日々はどのような影響を水木しげるに与えただろうか。また、最近流行りの「反知性主義」について、少し距離をおいて考える上で、この時代の教養主義と若者について水木しげるの手記を入り口にして考える切っ掛けとしても本書は有用ではなかろうか。

最後に、本書の手記から、昭和十七年十月十八日の一節を紹介して終わりにしたい。

「死こそは無限のトゲ。笑ひこける人をも、喜びおる人をも、愛にひたりおる人をも、一新して、固く口をつぐませてしまふ。
この世に死がある以上、芸術はなければならぬ。
芸術無くば涙はどこへぶちまけるか。死は正に芸術を造るなり。」

水木しげる先生、素晴らしい作品をありがとうございました。そして武良茂さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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