柔らかい身分理解という日本社会史の新視点

【江戸時代の身分制度論】士農工商から身分的周縁へ
「士農工商」とは何だったのか
江戸の身分制度研究略史
近世身分制社会の成立
近世身分制社会の構造~武士、朝廷、寺社、町人、百姓
近世身分制社会の社会的権力と身分的中間層
賤民制と身分的周縁を構成する社会集団
柔らかい身分理解という日本社会史の新視点

以上、長々とみてきたように、「士農工商えた非人」の認識から大きくかけ離れた江戸時代の身分制社会像が明らかになってきている。これは身分的周縁研究の成果が大きいが、一方で身分的周縁研究が下からの積み上げゆえの、俯瞰的視点での全体像把握という点で弱さを持っている。様々な社会集団の重層と複合の上にある分節構造としての把握という視点では確かに同時代の個別関係が見えてくるが、では、江戸時代の身分制社会はどのような社会であったのか端的に説明することは難しい。また、男女の間でも明確な身分差があったが、身分的周縁をジェンダーの視点からとらえる点で研究が遅れている。

一方で、身分的周縁研究の深化の結果、中世から近世、近世から近代と日本社会史を連続でとらえる傾向が強まっており、近世社会の研究を通して中世社会、近代社会をとらえるパースペクティブを提供できる可能性も指摘されている。特に近世の身分的周縁が近代化の中でどう変化していったか、は今後精力的に研究が進むと考えられている分野である。

ゆえに、身分的周縁研究を土台として身分制社会の全体像理解に向け「多様な試みが分散的に取り組まれている時期」が現在の研究状況なのだ。

いずれにしても、「士農工商」に代わって教科書に「身分的周縁」という言葉が掲載される日もそれほど遠くないだろう。しかし、そのためにはほとんどマイナーなこの言葉の認知度上昇とともに、いかに近世身分制社会の全体像を端的に描けるかにかかっている。教科書に近世身分制社会研究の最新動向を盛り込むことの難しさを久留島浩がこう吐露している。

「高等学校の日本史の教科書を執筆して、どうしても『士農工商、えた、非人』という叙述からなかなか脱却することができないと痛感しており、それは、この『柔らかい身分理解』をどのように限られたスペースのなかで取り込むかという現実的な課題でもある。このことは、おそらく教科書を執筆した経験のある人なら誰でも考えていることだと思う。」(久留島浩 2000 P56-57)

研究者諸氏の日々の地道な努力が教科書にわかりやすい記述として結実する日を楽しみに待とう。大体、最新研究動向が教科書へ反映されるタイムラグが一〇~二〇年ぐらいかなと思うので、あと二十年ぐらいすると江戸時代の社会に関する一般的な認識が、がらっと変わっている・・・はずだ。

参考書籍
赤坂 憲雄著「境界の発生 (講談社学術文庫)」(2002)
朝尾 直弘編「日本の近世 (第7巻) 身分と格式」(1992)
      朝尾 直弘「近世の身分とその変容」
      横田 冬彦「近世身分制度の成立」
      加藤 康昭「近世の障害者と身分制度」
      塚田 孝「『かわた』身分とはなにか」
鬼頭 宏著「文明としての江戸システム 日本の歴史19 (講談社学術文庫)」(2010)
久留島 浩編「支配をささえる人々 (シリーズ近世の身分的周縁 5)」(2000)
      久留島 浩「支配をささえる人々――支配する側とされる側とをつなぐ者たち――」
      渡辺 尚志「庄屋」
久留島 浩 他編「身分を問い直す (シリーズ近世の身分的周縁 6)」(2000)
      渡辺 恒一「近世前期の社会と『身分的周縁』論」
      高埜 利彦「幕藩制社会の解体と身分的周縁」京都
      久留島 浩「『身分的周縁』から武士身分を問う」
      塚田 孝「身分的周縁と歴史社会の構造」
後藤 雅知 他編「身分的周縁を考える (身分的周縁と近世社会 9)」(2008)
      町田 哲「請負制論」
斉藤 洋一・大石 慎三郎著「身分差別社会の真実 (講談社現代新書)」(1995)
高埜 利彦編「民間に生きる宗教者 (シリーズ近世の身分的周縁 1)」(2000)
      高埜 利彦「民間に生きる宗教者」
      井上 智勝「神道者」
      西田 かほる「神子」
      保坂 裕興「虚無僧――普化宗はどのように解体したか――」
      梅田 千尋「陰陽師――京都洛中の陰陽師と本所土御門家――」
塚田 孝 他編「賎民身分論-中世から近世へ」(1994)
深谷 克己著「江戸時代の身分願望―身上りと上下無し (歴史文化ライブラリー) 」(2006)
藤木 久志著「刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))」(2005)
藤田 覚著「江戸時代の天皇 (天皇の歴史06)」(2011)
村山 修一著「日本陰陽道史話 (平凡社ライブラリー)」(2001)
吉田 伸之著「成熟する江戸 本の歴史17 (講談社学術文庫)」(2009)
吉田 伸之著「都市――江戸に生きる〈シリーズ 日本近世史 4〉 (岩波新書)」(2015)
歴史学研究会日本史研究会編「日本史講座〈5〉近世の形成」(2004)
吉田 ゆり子「兵農分離と身分」
      渡辺 尚志「村の世界」

参考論文
大島 真理夫「士農工商論ノート」(1998)
吉田 勉「歴史/身分論から差別論・穢れ論・境界論・地域社会論へ―歴史学・民俗学・人類学・宗教学などの成果 前近代部落史研究の課題と展望」(2014)

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