日本中世の聖から賎への商業観の転換

日本の歴史をよみなおす(全) (ちくま学芸文庫)
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虹が立つと、かならずそこに市を立てなくてはならないという慣習が古くからありました。(中略)
勝俣さん(勝俣鎮夫氏)は、虹の立つところに市を立てるのは、日本だけではなくて、ほかの民族にもそういう慣習があり、それは虹が、あの世とこの世、神の世界と俗界とのかけ橋なので、そこでは交易をおこなって神を喜ばさなくてはいけないという観念があったのではないか、といっておられます。

市の場では、モノにせよ人にせよ、いったん、神の世界のものにしてしまう。また別のいい方をすれば、だれのものでもないようにしてしまう。そのうえでモノとモノの交換がおこなわれるのではないかと思うのです。

これが交易の元々のかたちと網野善彦は言っています。
また金融は出挙に始まると網野は書いています。

出挙は、稲作と結びついており、最初に獲れた初穂は神に捧げられますが、それは神聖な蔵に貯蔵される。日本列島の社会では、それを管理したのは共同体の首長だと思いますが、この蔵の初穂は、次の年、神聖な種籾として農民に貸し出される。収穫期が来ると、農民は蔵から借りた種籾に、若干の神へのお礼の利稲(利息の稲)をつけて蔵に戻す。

この出挙は元々中国の仕組みだったのが、律令国家でまず徴税の仕組みとして導入され、その後一般の社会でもおこなわれるようになったそうです。

出挙は決して国家だけではなくて、一般の社会でもおこなわれており、これを私出挙といいますが、このような貸借関係が、出挙と表現されたことに注意しておく必要があります。また利稲はふつうは五割で、私出挙でも、国家は利息を元本の倍以上取ってはいけないという規制をしきりにしていますが、利息が五割、十割というと大変な高利率のように見えます。しかし農業生産を媒介とすれば、それほど高いわけではありません。
このように金融行為が神のものの貸与、農業生産を媒介とした神への返礼、という形で成立したことを確認しておきたいと思います。

利息十割は酷いなぁなんて思ったりするのは現代人だからでしょうか。

交易にせよ金融にせよ、俗界をこえた聖なる世界、神仏の世界とかかわることによってはじめて可能であったのですから、交易、金融にたずさわる商人、金融業者は、俗人にはたやすくできなかったのです。それ故、中世では商人、金融業者は、いずれも神や仏の直属民という立場で姿を現しています。

こうやって始まった聖なる行為としての商業は特に十三世紀以降の銭、金属貨幣の流通以降、出挙でも利銭の貸付が行われたり、次第に世俗的な性格を持ち始めるのだそうです。貨幣経済が浸透していく過渡期で神仏の権威を背景にしていた職人、芸能民も世俗的なものと捉えられるようになったと書かれています。

十四世紀の南北朝の動乱の中で、日本の社会における権威の構造が非常に大きく変わってきたと考えられます。それにともない、これまで、神仏と直接つながりをもっていることを根拠に、一般の平民とは異なる聖別された身分という意識をもっていた職人たちも、もはや古い神や仏に頼っていたのでは、とうてい自分たちの特権を保持していくことができなくなってきます。
ですから十五世紀になると、商人や手工業者たちは守護大名のような、世俗的な権力に特権の保証を求めていくようになります。

そして、価値観が大きく転換する過程で思想的な背景になったのが鎌倉新仏教ではないかと。
鎌倉新仏教の中の律宗の僧は勧進上人、勧進聖として寺社の修造のための寄付金集めに活躍したり、その寺社の修造の際に職人を動員したりした工事の請負人だったと。

律僧は勧進によって集められたものを資本として運用する企業家であり、また貿易商人としての役割もはたしていたということになります。

また、禅僧は荘園管理に活躍したそうです。

室町時代になりますと、「荘主」といわれる荘園の請負人として、禅僧が非常に広く活動しています。これは荘園の経営に関する正確な計算、決算に、禅僧がすぐれた力を持っていたことがかかわりがあるのではないかと思います。

また鎌倉新仏教系の寺院で「無縁所」と呼ばれる寺院が現われますが、そこは金融と勧進とで寺を経営していたそうで、かなり鎌倉新仏教と商業とが強く関わっていたと見られているそうです。
かつての神仏の権威が崩壊する中で、鎌倉新仏教が新たな聖なる意味を商業に付与しようとしていたのではないかと網野善彦は言います。

キリスト教がはたした役割を、日本の場合、鎌倉新仏教がはたそうとしていたのではないかと考えることができるかもしれません。つまり、贈与互酬を基本とする社会の中で、神仏とつながりをもった場、あるいは手段によって行われていた商品交換や金融が、一神教的な宗派の祖師とのかかわりで、行われるようになってきたと考えられます。
(中略)
マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』のようにはいかないとしても、日本の社会の場合にも、これと共通した問題を、鎌倉新仏教と商業、金融あるいは手工業とのかかわりの中に探っていくことができるのではないかということです。

しかし、十六世紀にキリスト教や各鎌倉新仏教などの宗教はことごとく弾圧され、仏教は檀家宗教として江戸時代は制度の一部としてしか残らないし、商人も身分制度の最下層におかれます。
このような歴史的背景と商業に対する賎視は関係がありそうなんですよね。
十三世紀~十五世紀の転換として、
商業・金融業:聖なるもの→世俗のもの
悪の概念:勇敢→乱暴なもの
ケガレを清める聖なる職→穢れた蔑まれるもの
というように、今に繋がる価値観の転換が起こっているようなんですよね。
で、それまでの神仏に代わってそれらを救済したり、支えようとした鎌倉新仏教が、守護大名との間で権威を巡って争い、大名が勝った。そこで民衆の価値観がどう変わったのか、が商業への賎視という価値観のバックグランドの一つになっているんだろうと思うのですが、実際、江戸時代以降の民衆はどう思っていたのか、というのと、本格的な資本主義経済が導入された明治以降の人々の考えはどうだったのか、というのがなかなか想像しにくい。ただ、そもそも神仏に捧げるべき交易で私欲を得ていることに対する嫌悪感みたいなものが・・・あるのかなぁ。倫理観として私欲を得ることへの抵抗感がおそらく醸成されていったのかもしれないとは思います。
「金は天下の回りもの」
という言葉もなにやら、お金を管理するのは人ではないという意味合いがあるような気がしますが、そこにはどんな価値観があるのだろうか。
もっと掘り下げてみたいなぁ。
僕自身お金はほどほどにあればそれでいいという考えなんですが、その根源にあるものはなんだろう、というのも少し考えてみたいと思います。
十五世紀の転換については異形の王権が面白い。

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