村八分が始まったのは実は最近?

丁度今、森先生の「日本はなぜ諍いの多い国になったのか」を読んでいて、社会心理学者井上忠司氏の「世間体の構造」を引用して村八分について興味深い記述があった。
江戸時代から明治にかけて交通網の整備によって庶民の旅が一般化していったが、その反動として共同体においては村八分が生まれたという話。
旅が一般化していくことによって人々が村の外の世界(ひろい世間)を知るようになると

森真一「日本はなぜ諍いの多い国になったのか」P48~49「世間体」の構造の引用の引用
かつて強固であったムラの結束は、ムラ人が「ひろい世間」にふれればふれるほど、しだいによわまっていった。ムラの結束がよわまると(中略)ムラの掟やしきたりをまもらないものが、だんだんふえてきた(中略)それをそのままに放置しておくことが、ムラの崩壊につながったから、ムラの人たちは違反者にたいして、もっときびしい制裁をもってのぞむほかはなかった。それが、<ムラ八分>である。(中略)ムラ八分がにわかに多くなったのは、明治期になってからのことであった。(中略)明治になると、義務にたいする権利もみとめられるようになった。ために、権利を主張するものがずっとふえてきて、ムラの結束がよわまっていったのである。だんだんみんなの気持ちがちぐはぐになる、秩序をやぶるものがふえてきた。そこで、ムラの秩序をまもるために、ムラでは、ハチブが多くおこなわれるようになったのである。

上記同書(P52)
江戸時代中期から明治初期の旅行ブームによって、ムラの結束が弱まってムラ崩壊の危機に瀕したとき、ムラの規範を守らない者への制裁がきびしくなり、その一例が村八分である、という話をしました。ムラという仲間うち集団の維持が困難になって、かえって集団の規範がきびしくなったわけです。規範がきびしくなれば、規範違反者と周囲の人から見られないよう気を配らなければなりません。

興味深い。
村の成立自体、網野善彦氏によると十四~十五世紀に社会的分業、生産力の向上、文字の普及と貨幣経済の浸透による流通網の整備などによって生まれていったんだったと思うので、当然イジメや差別的なことはあったにしても、村八分自体、村という共同体の末期の現象でしょうかね。流通網の整備によって村が成立し流通網の整備によって村が崩壊していったということか。
トラフィックとコミュニケーションの増大は古いコミュニティを壊し、新たなコミュニティを作っていく。その過程でコミュニティにおける規範は時に深刻なレベルで強くなっていくという流れがありそう。まぁ、それは現代の様々なコミュニティも同様ですね。
とりあえず、今のところはメモ。村八分など含めた日本の村や都市の話はまた追々調べようと思う。

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