日本人はいかにして時間に最上の価値を置く社会になったかの150年史

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問題はこの、時間はどんなことがあっても本人が頑張れさえすれば守られるし、守るべきだと考える「時間強迫性障害」は、一個人の病と言うよりは、社会全体の病であるということなんですよね。だから、どんなにその障害に侵されていない正常な人が「数時間ぐらいの遅刻が一体なんでそんな大事になるんだよ?」という正論を一人で言っても、狂った社会の「時間を守るのは社会人の常識」とかいう俺常識によって、弾圧されてきたわけです。そしてそんな中で、それこそ時間に追われて、時間を守ることが万人に強制される、誰も幸せになれない、そもそも幸せとは何か考える時間すら与えられない、そんな世界が作られてきたわけです。

時間に正確で、ちょっとの遅れでもパニックになる日本人ですが、実はこのような社会性になったのは明治維新以降のことでした。以下続きを読むから。


■江戸時代の時間意識

江戸時代の暦(旧暦)は、二十四節気という「1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付し」て、二節気を一ヶ月とし、一日は夜明けから日暮れまでと日暮れから夜明けまでをそれぞれ六等分した「不定時法」と呼ばれる暦でした。個々の一節気の長さや時刻は長さが微妙に違います。「暦に見る日本人の知恵」によると一節気は「短いときには約一四・七二日、長いときには約一五・七三日にまで達し、その間を移動し」たそうですし、一日の一刻の長さもそれぞれ夜明けから日暮れ、日暮れから夜明けの時間に左右されますので、一定ではありません。そんな時間の意識なので、江戸時代の人びとの多くは、当時来日した欧米人から見ると時間にルーズでゆっくりとした人びとに見えたそうです。

英国の外交官アーネスト・サトウは

「時間意識の近代」(P56)
当時は一般の人々は時計を持たなかったし、また時間の厳守ということはなかったのである。二時に招かれたとしても、一時に行くこともあり、三時になることもあり、もっとおそくでかける場合もよくある。実際、日本の時刻は二週間ごとに長さが変わるので、日の出、正午、日没、真夜中を除けば、一日の時間について正確を期すことはきわめてむずかしいのだ。

と語り、後に貝塚を発見したことで名高いエドワード・モースも道路で馬車がやってきているのに、「日本人がぼんやりとした形でのろのろと横に寄る」姿を見て以下のようにあきれている。

「時間意識の近代」(P56)
日本人はこんなことにかけては誠に遅く、我々の素速い動作に吃驚する。彼らは決して衝動的になったりしないらしく、外国人は彼等と接触する場合、非常に辛抱強くやらねばならぬ」

■太陽暦の導入

江戸末期、次々と現われる外国艦船との交渉で初めて西洋のグレゴリオ暦と出会います。(厳密にはキリスト教伝来時にグレゴリオ暦も輸入されたがキリスト教弾圧もあって浸透しなかった)

「暦に見る日本人の知恵」(P77)
日本人が初めて非常な緊張感をもって太陽暦とそれと一体になった西洋の時刻法に接したのは、幕末に来航してわが国に門戸の開放を迫った外国艦船つまり軍艦との応接においてであろう。文書や口頭で大小さまざまな接触に伴う日時についての合意や要求期限などが日本と外国との時間と日付について強く意識された。

外国との交渉時に西洋の時刻にあわせることが重要視され、徐々に公的機関で使われるようになっていきます。そして明治維新を迎え、明治五(一八七二)年十一月九日、翌月の十二月三日を明治六年一月一日とすることが発表されます。これ、賛成派と反対派とが議論をしている最中に突如発表されたもので、様々な関係者も驚き、また各地で反対運動が起きたりしてかなりの大騒ぎになったらしいのですが、急な発表には裏がありました。

明治六年は閏月があるため通常の年より一ヶ月多い。しかし明治政府は設立直後で財政は逼迫しかなりの危機的状況だった。そこで太陽暦に改暦すると閏月が消滅して給料を一か月分払わなくて済む。なんとお得な!という判断が急な改暦発表になりました。あまりに拙速に導入したので、暦の計算を間違っており、明治三十一(一八九八)年五月十一日に改正、現在我々が使っている太陽暦が成立します。

■「鉄道」「軍隊」「学校」

暦が出来ただけではそれまでのんびりと時間なんて気にしない国民性は替わりません。ドンと呼ばれる正午の号砲を打ったり、各地に時計台が出来たりしましたが、最も影響が大きかったインフラはやはり「鉄道」でした。分刻みで時刻が表示された鉄道に合わせるため、人々もまた分刻みの時間を意識するようになります。

「時間意識の近代」(P141)
時刻がくれば列車は駅を走りでてしまう。だが、当時の人びとには時刻どおりに行動をする習慣がない。列車を乗り過ごさないようにするためには、乗客には少し早めに来させて列車を待たせるしかなかった。

しかし、列車の方も定刻どおりとはいかなかったようです。

「時間意識の近代」(P145)
注目すべきは、列車を発車させるにも到着させるにも、必ず定刻に運行することはできない、と無類の正直さをもって述べていることである。時刻表どおりに列車を走らせることは、いわば努力目標だったとみてよい。

その努力目標も鉄道開通の十年後には乗客も乗員も慣れてほぼ正確な運行が出来るようになったそうです。

また、「国民皆兵」として敷いた徴兵制度と学校制度で時間の規律を徹底的に教え込まれました。学校や軍隊で時間の規律を教えられ、それは徐々に日常生活に浸透していきます。

■「時は金なり」「能率」「科学的管理法」

これまで述べたような土台の上で、時間に対する様々な考え方が日本人に浸透していきました。

・「時は金なり

スマイルズの「西国立志編」を通して日本に輸入されたフランクリンのこの言葉は、現代では「時間は貴重・有効なものだから、むだに費やしてはいけない」という教えになっていますが、元々の意味を要約すると

「時間意識の近代」(P181)
労働時間をつうじてお金を得ることができる。その金は、さらに適切に寝かしておけば時の経過にしたがい、ひとりでに利子を生み増えてゆく。勤勉に働き、無駄や浪費を防ぎ、倹約に努めれば、金はおのずと貯まってゆく。賃金と利子と、この二重の意味で「時は金なり」なのだった。いいかえれば、フランクリンは、かならずしも労働がそれ自体価値のあることとする労働倫理をもっぱら説いているわけではない。

フランクリンが労働に当てたのは一日四時間程度で、残りの時間は余暇にあて、もっぱら投資でお金を増やしていたそうです。つまり蓄財のコツとしての「時は金なり」だったのが、日本では小さなことでもコツコツ頑張りましょう。時間はお金のように大事なのです。という道徳にすりかわりました。主に学校でこの「勤勉思想」は教えられたようです。

・「能率

この「能率」という言葉は時間を考えるときに大きな影響を持っています。大正二(一九一三)年、「能率増加法の話」で始めて能率”Efficiency”という言葉を日本に紹介したのは上野陽一でした。彼はテーラー主義を日本に浸透させた人物として知られています。彼が進めた「能率研究」は以下のような目的の上で進められました。

「時間意識の近代」(P217)
「ムダとムリとを発見してこれをのぞき、ひいて世の中のムラを少なくしてこの世に正しい道をしき、人間生活をしあわせにすることを目的とする」

この目的の上で、上野は「能率道」を提唱、テーラーの科学的管理法を推進していきます。つまり時間を研究し、作業スピードをストップウォッチで計測してムダを省くというこの考え方は近代化を進める当時の日本においては官公庁は勿論、工場を次々と建設していた当時の企業にも次々と導入されていきます。のちにトヨタでジャスト・イン・タイム方式と呼ばれる管理方法もこの上野の提唱した「能率」に大きな影響を受けています。

上野は組織で能率増進のための時間研究にあたる人物像の資格をこう定義しました。

「時間意識の近代」(P221~222)
(1)作業者と強調でき、しかも統制指導の能力のある人
(2)分析総合の能力のある人
(3)公平な人であること
(4)忍耐力と強い精神力とを持ち、しかも丈夫な身体をあわせもっていること
(5)創意工夫の持ち主であること
(6)技術的知識と現場の経験をもっていること
(中略)
上野のことばをみるかぎり、時間研究は知識、技術、経験に加え、人格的高潔さまでをそなえた、きわめてすぐれた人物でなければつとまらない。「科学的管理法」を支える根本的な「科学」とは、じつは「道徳科学」だったのか、と思えてくるほどである。いったい、どこにそのように傑出した人物を見いだせるだろう?

この上野の思想に基いた科学的管理法と時間の規律は工業化を重点とした日本の企業において広く浸透します。遅刻、早退は勿論、残業、定年制など時間を基準にして企業が運営されてきたのです。近代化を推し進めた戦前、戦後復興を目指し高度成長を推進した時期には上手くマッチしたものだったと思いますが、時間に対して、独特の思想や道徳観を結びつけたものの結果だったように思います。

■時間に正確な民族の誕生

高度経済成長期に入っても、外国人からみると日本は時間に正確とは言えなかったようです。しかし、全国に高速道路が敷かれ、マイカーが普及し、新幹線が開通、ラジオ、テレビで時報が流れ、多くの人びとが科学的管理法の影響下でタイムレコーダーが導入された企業で働きはじめた1960年代になるころには、時間通りに動くインフラが整備され、のんびりとしたかつての日本人の姿は無く、時間に正確な、正確ゆえに時間に追われる国民へと変化していました。フランス人ビジネスマンのポール・ボネは70年代に来日して近代化を成し遂げた日本の印象を「交響曲」に例えてこう語りました。

日本人たちは、第一楽章から、第四楽章までを矢のように走り抜けた。

そして、「ヨーロッパは第三楽章を終えたところで疲れてしまった。日本人は疲れを知らなかった。」と。近代化が時間を最上の価値とするものならば、日本は時間に哲学を与え、隅々まで時間の重要性を行き渡らせ、近代らしい近代社会を作り上げました。

これまで紹介した様々な考え方をベースにして、時間に対する現代人の価値観は成り立っているように思います。つまり、時間を守ることは高潔な人格に繋がるとでも言うような、「時は金なり」の思想とあわせて、上野の思想を逆転させた価値観に覆われているのではないでしょうか。このような背景を考えたときに、「時間」と「道徳」を結びつけて絶対視せず「時間」に対してどのような接し方をするかを考え直す時期が来ているのではないかなぁと思う今日この頃です。

ちなみに僕は時間は極力守るが、他人が時間を守れないからと言ってその人を否定することはなく(仕事上だと困っちゃいますが、困る以上でも以下でもない)、日々の生活は時間を意識せずゆったりと暮すことにしています。前近代的ですけど、時間に思想性や人格は見ないように距離を取っている感じですね。

追記(2008/6/21):
ポール・ボネのコメントを「時間意識の近代」から引用したのですが、彼って実はフランス人のふりした日本人だったみたいです。知りませんでした。てへっ。作者ともども気付かなかったようです。(→Kousyoublog | ポール・ボネって・・・

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