なぜ運転免許証=身分証明書の最たるものになったのか?

車。自由の翼か奴隷の足枷か – 深町秋生の新人日記
誰もが持っているものとの前提に街づくりが進み、郊外型のカー文化が形成されていった。そういうのを国道16号線的風景と私は名づけたけれど、別に国道16号線に限った話ではなく、私の地元を走る国道13号線も、九州を走る国道3号線も似たような風景が広がっていた。違いがあるとすればツタヤやゲオやイオンの店舗面積が違うことぐらいだろう。
(中略)
つまり車とはもう地方で生きる人間にとっては「脚」そのものである。ぜいたく品でもなんでもない。車を持っていない人間を雇う企業もそうはないだろう。そもそも企業自体がたいていは街外れにある車を利用しなければ行けないような流通団地にあるのだ。ちなみにバスも走ってはいない。
しかしそうして移動手段が車以外になにもないような状態になっても、依然として高額な税金が課せられる。そして二年に一度、十数万円は取られるビッグイベント車検が待っている。それと毎月毎月上がっていく燃費と、保険代と駐車場代がのしかかる。それでも車に依存しなければならないのが実情だ。だが車に乗ってさえいれば恩恵はある。広々とした自動車専用道路と、ほとんど使われていない有料道路で150キロのスピードで爆走することが可能だ。住民はそのために銭を稼いでいる。

深町先生のエントリーに深く同意。僕は3歳から32歳までのおよそ30年間を福岡で過ごしたのですが、都市部にも関わらず、概ね周りの人たちは車に重きを置く生活スタイルだったように思います。みんなが18歳になる高校を卒業する前後の時期になると同級生のほぼ8割ぐらいが当たり前のような顔して一斉に自動車学校に通い始め、成人式を迎えるまでには男女問わず9割近い人が自動車免許を取ってる。そして免許と車を持っている前提でのコミュニケーションが始まり、車持ってない人は軽く疎外感を覚えるし、免許を取らないなんて、常識では考えられないというような圧力が生じていました。しかしながら僕は免許を取らなかったんですよね。学生時代は貧乏だったし、社会人になってからも免許を取りに行く暇も金も無い状態で、機会を逃したまま生きてきて、結局東京に出てきたので自動車免許の必要性は感じないまま生活しています。まぁ、最近衛生管理者の免許を仕事の関係で取ったので、それを身分証として使うようになっていますが、レンタルの会員証は作れたけど実際どこまで通用するのか、まだ手探りです。

自動車免許証を持たない生活をしているとわかるのですが、免許証はパスポート、住民票、健康保険などの公的証明書より遥かに重要視されます。銀行口座を作るときでも、レンタルショップの会員になるときでも、引っ越して賃貸契約するときでも、自動車免許証だと、免許証のみで良いのですが、健康保険などだと、それだけでは身分を証明されないとみなされて、公共料金の支払い明細とかを合わせて提出することを求められることが多かったです。なので、以前は健康保険証と電気料金の支払い明細(直近3ヶ月以内)を常に持ち歩いていました。

自動車免許を取らない/取れない学生生活を送っている時に周りからは「自動車免許は乗らなくても身分証明書として使えるから取っておく方が良い。お金が無くても若いうちに借金してでも行くべきだ」と言うような趣旨のことをしきりに言われました。何故、自動車免許は身分証明書なのだろう、と言われるたびに不思議に思い、色々聞いてみるのですが納得行く回答をもらったことがありません。多分、写真があって本籍地と現住所と生年月日とを確認できる公的証明書だからなのだろうとは思いますが、釈然としないんですよねー。どういう経緯で自動車免許=身分証明書の最たるものという社会通念が生れたのか、そのきっかけが知りたいのですが、どうにも調べる術が思いつかないのでよくわからないままです。

おそらく、一般に自動車が普及する過程で、社会的に一般の人の身分を証明する必要性が強く発生して、その結果自動車免許証が身分証明書に最適だという判断をどこかの誰かor集団が行ったのだと思うのですが、そこらへんの発生のメカニズムがどうだったのかが謎ですねー。

ということで、なんとなく考える発生原因になりそうな候補としては以下の四つあたりでしょうか。

1)学校卒業後多くの人がサラリーマンとして会社勤めするようになり、入社時の身分確認として
2)個人が賃貸住宅・マンションに住むようになり(核家族化、一人暮らし世帯の増加)、契約時の身分確認として
3)個人の銀行口座開設意欲が強まり、銀行口座開設時の身分照明として
4)レンタルビデオ・CDなど会員制の娯楽が普及する過程で身分確認として

少なくとも僕が学生時代を送った80年代後半~90年代初頭には自動車免許証=身分証明書という社会通念は一般に浸透していたので、70年代ごろからなんじゃないかなぁと漠然と思っています。

運転免許証免許の保有者数など」を見ると、昭和44年(1969年)に全国で2400万人だった運転免許証保有者は、10年後の昭和54年(1979年)には4100万人、昭和59年(1984年)には5000万人にまで増えていますので、この間に何かあったように思います。

自動車免許の普及と時期的にマッチしそうなのは、2)、3)あたりかな。詳しいデータはよく調べられなかったのだけど、公団住宅の建築ラッシュが60~70年代で、公団住宅への憧れみたいなものが強くあった時代だと思います。また、実家を出て単身者が一人暮らしをするようになったのも70年代ぐらいからなのではないでしょうか。80年代のレンタルショップなど会員制の娯楽の普及も大きそうなんだよなー。この間、おそらく写真で本人か照合出来て、現住所などが分かる公的書類で最も普及していたのが自動車運転免許だったから、身分証明書として使われるようになったんじゃないか、と思います。

2~30万円も払って、自動車を運転しないのに身分証明書として取らなくてはならないのは、ちょっと高コスト。健康保険証が写真付きになるなどして代替になれば便利なのだけど、運転免許証取得は結構な利権になってそうだから変わらなさそうだなぁ。

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