「現代法学入門 (有斐閣双書)」伊藤正巳・加藤一郎 編

現代法学入門 (有斐閣双書)
現代法学入門 (有斐閣双書)

法学を一から学ぶ時に何が良いだろうと思って色々調べてみた結果、この「現代法学入門」が良いと評判だったので、数年前に購入し、しばらく本棚の肥やしになっていたのだけど、最近になって一通り読んだ。

1964年に初版が発行されて以来、現在の第四版までリニューアルしながら版を重ねているだけあって、薄手の本ながら内容はずっしりと読み応えがある。記述に偏りもあまり感じられないしとてもフラットで自分のものにしやすい感じがありますね。

序章からしてすごくいい。

(P3)
芸術的な感覚が、それぞれの人の個性や千変万化の社会現象に鋭い目を向けるのに反して、法は人を画一的に扱い、現象を規格化するところから、そこに法や法学への反感が生まれるのも当然かもしれない。

と、法に向けられる目線の厳しさを認めつつ

(P4)
およそ秩序正しい社会が実現されることはすべての人の幸福の基礎であり、そのために法が有用である以上、その正しい意味を探求しようとする法学の価値を否定することはできない。
(中略)
もとより民衆が法についての専門的知識をもつことまでも要求されないけれども、民衆が正しい法のあり方を理解し、その基本的な知識をそなえることは、法にあるべき姿をとらせるための条件である。一般教養として法学を学ぶ価値はそこにある。

というあたり、結構熱い。学生の時に読んでいたらその熱意にグラッと来ていたかもしれない。

その後の章立てとしては
第一章 法とは何か
第二章 法の適用
第三章 法の体系
第四章 法の発展
と続く訳ですが、基本的には、根本となる考え方についての記述がメインで細かく条文に踏み込んでいるわけではないので、詳しくなくとも読み進められると思う。

近代社会は地縁や血縁によって小さな社会が秩序付けられていた時代と違い、様々な背景を持った多くの人々によって社会が後世されているため、旧来の地縁、血縁的つながりに変わり、近代社会は法によって組織されている面が強くなっている。

(P8)
このようにして、人間の社会には、それを秩序正しく保持するための行為規範が存在することになる。法はこの行為規範に含まれるものである。

行為規範にはどのようなものがあるかというと、この本では以下の五つを挙げている。
1)流行
2)風習
3)しきたり
4)道徳
5)法
この本では、上から順に徐々に強制力が強くなっていき、法が最も厳しい義務付けを行うとしているが、現実は少し違うなとも思う。

特に日本においては二重構造的なところがあって、風習、しきたりによって形作られた道徳が、時に法を圧倒して人々に強い強制力を発揮することがあるように思う。いわゆる空気とか日本教とか言われるものだけど、多分それは日本の近代法概念が西洋のそれと違い、輸入して上書きしただけのものだからなんじゃないだろうか。

(P214)
当初、閉鎖的農業社会の法として形式主義的な特徴を示していたローマ法は、ローマが地中海を内海とする世界支配を確立するにいたって柔軟な世界法へと発展し(とくに取引法)、紀元6世紀に東ローマのユスティニアヌス帝によって、後に市民法典(Corpus Iuris Civilis)と呼ばれることになった大法典に編纂されたが、この市民法典(ローマ法大全)が12~13世紀のボローニャにおいて当時の社会的状態に適合するように再構成されたうえ、ひろく西洋諸国(イギリスを除く)に導入されたのである。ローマ法学の専門的知識を身につけた官僚は、行政においても司法においても、成立しつつある絶対王政の手足として大きな役割を演じた。こうしてローマ法は、職業的官僚制を支配の道具とする絶対王政を経由して近代化した大陸諸国において、「近代法」の骨格を形成することになった。

それに対して日本の場合

(P223-224)
日本における統一国家の形成は、諸領主が中央の身分制議会へと結集し、幕府がこの身分制議会と対抗しつつ独自の官僚制的支配を確立しゆくという形をとらず、幕府が諸領主をそのまま官僚に任命し、これに地方政治を委託するという形で行われたのである(近世の幕藩体制社会)。鎖国が可能であった日本では、常備軍を維持する必要がなく、それゆえ、ヨーロッパ大陸の絶対王政にみられたような、専門的知識をそなえた職業的官僚制による支配を確立する必要もなかったから、従来の領主に地方政治を委託することが可能であった。ここでは君主の意思を法として強制するための統一的な法典編纂が試みなれなかったのはいうまでもないが、統一的審級制度のもとで幕府と諸藩の判例の集積により実質的に法を統一する試みもなされなかった(イギリスの場合との相違)。常備軍の不要性においてイギリスと共通の事情にあったにもかかわらず、広大な市場の不存在のゆえに資本主義が発達しなかったことも、法の統一が進行しなかった理由のひとつであろう。

市場経済・貨幣経済は日本でも発展していたようなのですが、資本を集中投下して、労働力を使うという意味での資本主義は未発達だったのかなと僕は認識しています。農村の勤勉革命のように資本集約ではなく資本節約・労働集約型の発展はあったらしい。(→「Kousyoublog | 「仕事と日本人」武田 晴人 著」)で、概ねこの通りなんじゃないかと思う。

(P224)
すでに爛熟期にあった西洋市民社会の水準に一挙に到達するためには、ドイツの場合のように学説法によって徐々に市民法の形成を行う余裕はなく、安政の不平等条約を撤廃させるための緊急の必要もあって、市民法の形成はフランスおよびドイツの法典を下敷きにした法典編纂によって行われることになった。その成果が明治31(1898)念施行の民法典(および翌年の商法典)であって、これによって日本においても資本主義の発達を可能にする経済生活の枠が用意されたのである。

で、明治維新でとりあえず西洋の法典を下敷きにして、色々骨抜きにしつつ民法典を整備しただけ(→「Kousyoublog | 日本の個人主義思想は不平等条約解消のため名目上入れただけだった」)なので、日本の歴史的繋がりの上に法という存在が薄いんだろうなと思う。表向きこれからは法が重要です!と言いつつ、結局のところ法よりも強い何者かが存在し続け、二重構造が生み出されているのだろうなと思う。誰もが違法かどうかに汲々としながら、実際は法ならざる何かに意思決定を支配されるのはそういうところなのだろう。

まぁ、そういうざっくりとしたところを考えさせられつつ、この本で一番スペースを取っているのは勿論第三章の法の体系で、憲法から民法刑法国際法など広く日本の法体系と、その意義や背景がきっちりと書かれていてとても勉強になった。なんども読み返したいなと思う一冊。

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