やるなら裁判員制度より立法員制度じゃないかな?

タイトルで言いたいことは言いつくしているのだけど。

日本で裁判員制度なんかできるわけないよ、と思う。

何より関係性を大事にする社会性だから裁判員同士で気を使いあって、「ほんとは無罪だと思うけど○○さんは有罪だと言ってるし、私も有罪と言っておこう」とか「話し合いの時はついみんなに乗せられて死刑だと申し上げましたが、あとから考えたらやっぱり無罪だと思いますので、取り消しますー」って裁判所に電話掛ける人がいたり「いやーあの被告は男らしくない。そもそも日本人たるもの~」とか関係ない方向の道徳が持ち出されたり、「君はまだ経験が無いから年長者の意見をちゃんと聞きなさい」とか言い出すおっさん(大企業の部長クラス)が出てきて引っ掻き回したり、裁判員同士で派閥争いし始めたり、あげく裁判員の会議では何も決まらなくて時間だけが過ぎていき、被告も原告もそっちのけの嗚呼ニッポンな光景になるだけだと思うけどな。できればそういうグダグダに巻き込まれたくないです。

まぁ、それはさておき、裁判員制度は実際、時期尚早だと思う。司法に参加するよりは、まず立法の過程にもう少し一般人が入る方が、現状有意義じゃないかなと思う。いや、議員になれば立法に参加できますけど、そうじゃなく、一般人が立法の過程に参加するだけでも意味があると思うんですよ。

そもそも、法意識というのは日本人は弱くて、江戸時代は法はお上が定めたもので庶民には関係ないものだったし、明治維新期に近代法が成立したと言っても民法典・商法典をほぼ輸入してよっこらせと乗っけただけ。なので、日本の文化社会のつながりの上に法が無いんですよね。

だから、現状、議員先生や官僚の皆さんが市民の代表として作っている法律の立法過程に、無作為に選ばれた市民が直接参加することに意味があるんじゃないかなと思う訳です。今はパブコメ参加ぐらいしか無いですよね。最初は行政でやってる委員会とか審査会とか専門家で構成される会議に参加するとかでも良くて、後々、内閣だったり各国会議員だったり委員会だったりの法案の検討過程に参加出来るようになれば良いんじゃないかな。

順番としては裁判員制度は、その後、現代の法に対する市民の認識が強まった後に検討すべきものなんだと思いますね。

で、もし立法員制度が制定されれば、無作為に選ばれた立法員が集まって会議が開かれるわけですよ。何より関係性を大事にする社会性だから立法員同士で気を使いあって、「ほんとはフェアユースだと思うけどジャスラックさんは著作者の権利優先だと言ってるし・・・(以下略)」

・・・立法員の会議では何も決まらなくて時間だけが過ぎていき、国民も当事者もそっちのけの嗚呼ニッポンな光景になるだけかもしれないんですけど、それでも、人を裁くことに直接関与するより、法を作ることに直接関与する方が、今の日本人にとってははるかにマシだと思いますがどうでしょうね。

関連エントリー
Kousyoublog | 「現代法学入門 (有斐閣双書)」伊藤正巳・加藤一郎 編
Kousyoublog | 「法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由」稲垣 重雄 著
Kousyoublog | 日本の個人主義思想は不平等条約解消のため名目上入れただけだった
Kousyoublog | 源泉徴収制度は当初、戦費徴収目的で導入された
Kousyoublog | 江戸の華と言えば喧嘩だが実はほとんど口喧嘩だけで決着した
Kousyoublog | 誹謗・中傷がタブーになるまでの日本の1000年の歴史をざっくりと
Kousyoublog | コミュニティの秩序維持機能としての悪口祭
Kousyoublog | 江戸時代の著作者への原稿料は・・・「今夜は好きなだけ飲んでよ~」だけだった

裁判員制度の正体 (講談社現代新書)
裁判員制度の正体 (講談社現代新書)
西野 喜一
これ一冊で裁判員制度がわかる
これ一冊で裁判員制度がわかる
読売新聞社会部裁判員制度取材班

スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする

関連コンテンツ

スポンサーリンク
スポンサーリンク