奇祭キリスト祭の動画を見ながらぼんやり考えた

第45回キリスト祭・ナニャドヤラ

青森県三戸郡新郷村(旧戸来村)に伝わる日本の奇祭キリスト祭の動画。イエス・キリストの墓とされる十字架の前で謎の「ナニャドラヤ」踊りを奉納するという、とってもシュールな映像です。昨年6月の映像だとか。

キリストの墓 – Wikipedia
1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド[1]確認のため青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来。)を鳥谷とともに訪ねていた竹内巨麿(たけうちきよまろ)[1]は、2間~3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。[2]
この後竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるという。
この後「古代史書研究会」が来村、戸来村の村名は、ヘブライに由来するとした。[3] アメリカ在住の川守田英二が現地の伝承歌であるナニャドヤラがヤハゥエをたたえるヘブライ語の歌であるという書簡を戸来村に送った。[4]

オカルトの世界では有名な竹内文書の発見者(?)にして天津教開祖の竹内巨麿ですが、この人明らかにアッチの人なんで、まぁ、信憑性が~とか学術的に~とかそんな話は笑い飛ばすしかないんですけど、興味深いのは、こういう、少しいっちゃってる新興宗教の教祖が多分思いつきで適当に言っただけの、当時の人としても半信半疑どころか三割信七割疑ぐらいだったろうと思われるようなヨタ話が徐々に土地に根付いて、伝統行事化して行っているというところですね。

ほとんどの場合、「はいはいわろすわろす」ぐらいで流されていくはずのネタが、その土地や風土や時代背景なんかと結びついて定着していくメカニズムってどうなんだろう、と考えちゃったりするんですよねー。丁度、戦後の共同体解体という過渡期に村落共同体のアイデンティティとしての位置にするっと入り込んだのかなとか、新旧織り交ぜたソフトな宗教性が成功の秘訣だろうか、とか、これはあと50年ぐらいしたらどうなっているだろうか、とか、そんなことをぼんやりと考えつつ変な踊りを眺めてたのでした。各時代の雰囲気に対して「一風変わっている」限り、村のアイデンティティであり続けるんじゃないかなぁ。

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)
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島田 裕巳

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