現代人にとってのプロテスタンティズムとしてのニューエイジ思想

最近、とてもニューエイジ思想に傾倒した起業家の事業計画プレゼンを聴く機会があったのだけど(自然の偉大さを~とか、生命エネルギーを分かち合うとか、自分が変わることで世界を変えるとか、そういう「経営理念」の(笑))プレゼンの間、早く終わんねーかなーと思いつつも、ニューエイジ思想が何故これほど、特に『ソーシャルベンチャー』ブームのように、若い起業家たちに受け入れられているのだろうか?というところは考えさせられました。

なんか、プロテスタンティズムが資本主義を生み出した原動力の一つになったような、経済と信仰との間で、「お金儲け」にエクスキューズを与えるような要因になってんのかな、とか思うんですよね。

つまり、今の資本主義的よのなか、って本質的には分業じゃないですか。で、分業が高度化することで、自身と社会との繋がりが見えなくなってそれが労働観のゆらぎみたいなのに繋がってる(んで、新たな労働観の創造が今求められてる)と思ってるんですけど、ニューエイジ思想ってのはその自身の「働く」ということと「社会」とを一定の思想で繋いでくれるような信仰形態なんじゃないだろうかなとか。

今、現代人が直面している「働くイミ」と「セカイ」を一気につなげてくれる役割としてのニューエイジ思想なのかなーとか思ったり。

あ、で、上記の事業計画プレゼン自体はとてもよく出来たプレゼンでしたよ。優秀なプレゼンって、本質的には神話的構造を持ってるなーというのを再確認。

つまり、起業家なので、創造型の起源神話が語られるんですよ。いかにして事業を思いつき、そこに人為的ならざる力が及ぼされて経営理念なりなんなりを考え付いたか。そしてどのいうな偶然の産物によって実行するに至ったか。という話があり、そして、神話学者キャンベルの言う英雄神話的なセパレーション(旅立ち)、イニシエーション(苦難)、リターン(帰還)という構成のプレゼンになってるという。

これ、例えば話題になったり、人が心打たれる経営者の、創業インタビュー記事って大体この構造取ってて、不思議だなーと思うんですよね。普通になんでも良いんで適当に経営者のインタビューとか読んでみるとわかると思うんですが、大体、いかにして事業を始めて、どのような苦難を経て、今の地位に「還ってきた」か?だから。あるべき地位に戻ったor自分らしく生きられるようになったか的な構成で面白いんですよね。

経営者って知らず知らずのうちに自分神話を作ろうとしているんじゃないかな。この心理って面白いなーと思います。その補強をするのに、ニューエイジというものは結構マッチしている、あるいはマッチするように形を変えてきているのかなと思う今日この頃なんですが、いかながもんですかねー。

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