寺社を歩いて回ると、確かに歴史が見えてくる

20代後半から30代前半、自分なりに旅をして – finalventの日記
それほど広範囲に見たわけでもないけど、ただ、足で回る。意味もなく。宗教に関心があるわけでもないけど、寺社や墓を目安に回るというだけで、そうやって、歩き続けると、奇妙な歴史のようなものがなんとなく見えてくる。というか、膨大な無名な人がさまざまに死んでしまったという奇妙な実感というか。 

これはよくわかる、ってfinalventさんと同じものが見えているかはわからないけれど、僕も東京都内の寺社を中心に、それなりに歩いて回ったけど、一歩一歩歩いていると、歴史がそこにある感じを味わいますね。連続している歴史、断絶しながら重なっている歴史、置き去りの歴史、消え去っている歴史・・・。
とても奇妙な感覚を確かに感じるところあって、日常よりも、より地形というか空間に密接な歴史とでもいうのかなぁ。人だけではなく様々な想いも含めて、ああ、ここで死んだんだな、という実感と、数多くの人々の祈りみたいなのとがその土地とつながって目の前に広がっている感じ。
「個人を追求していくと、歴史に行くしかないんじゃないか」と村上春樹は言ったけど、春樹が言う意味での「個人を追求」というその行為と「足で回る。意味もなく」とは同じなんじゃないかと思う。そこに歴史に行くしかないという意味での歴史が見えてくる。ということを最近実感しはじめた30代後半です。

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