羽根木神社と子育不動尊(せたがや百景:羽根木神社の参道)

9月朔日、羽根木神社周辺を散策しました。

現在の羽根木は、かつて世田谷村の一部でしたが、世田谷村の総鎮守である世田谷八幡宮は遠く、祭りに参加できず寂しい思いをしていたそうです。

そこで、北原(きたっぱら)のお稲荷様と呼ばれていた現在の羽根木神社と南の飛羽根木神社(現在の松羽稲荷神社)との二つの神社で一年おきに祭りを行い、集落の人々で盛り上がったといわれています。

羽根木神社参道
羽根木神社参道

羽根木神社参道

世田谷百景の一つにも選ばれている羽根木神社の参道はかつては神社までけやき並木が続いていましたが、今はわずかに六本の樹が残るだけとなっていますが、その姿は当時を偲ばせるに足る威容です。地域住民の運動によって一部残されたのがこの並木なのだとか。

この参道のけやき並木が途切れてから、住宅街の間を5分程度歩くと、羽根木神社にたどり着きます。

羽根木神社

羽根木神社の創建がいつのころかはわかりませんが、江戸末期ごろでしょうか?あるいはもう少し古いかもしれません。追って紹介する子育地蔵尊が享保年間と言われていることからその前後かもしれません。

羽根木神社
羽根木神社

小さな境内では、丁度9月の第一土日に行われるお祭りの準備の最中でした。今でもずっと愛されているのだなぁと思いました。

また、羽根木神社社務所は有名建築家がデザインしたシンプルかつクリエイティブな造りの建物です。

羽根木神社社務所紹介サイトキャプチャ

羽根木神社社務所の詳細 | 東京都の建築家 田中 幸子さん | 注文住宅を建てる~建築家と出会う場所 ハウスコ
敷地は、東京の密集した住宅地の端に位置し、緑豊かな給水場に面している。神社の境内は高木が茂る鎮守の森である。1階に神社のサポート施設である社務所、2階には神社の運営を助ける賃貸オフィスを併設している。社務所は日常、社殿の背景として静かに佇む存在でありながら、神事となると多様な顔を見せる。数人から最大60人の氏子が会合を行う「集会所」、延べ数百人が訪れる行事(初詣、祭り、餅つきなど)を準備する「楽屋」、そして社殿を引き立たせる「背景」となる。それに応じる仕掛けとして建具や家具を組み込んだ開閉式の木格子を設け、様々な活動にあわせたしつらえを用意する。2階オフィスは両側の樹木に対して大きく開き、開放的な執務空間をつくりだしている。

このような社務所だということを帰ってから知りました。もう少し良く見ておけばよかったです。リンク先にはほかにも社務所の色々な写真があり、とてもすてきですね。賃貸オフィスかー。賃料おいくらぐらいなんでしょうかねー。

子育地蔵尊
子育地蔵尊

羽根木神社参道入り口のすぐそばに子育地蔵尊と名づけられた地蔵と庚申塔、馬頭観音が祀られています。現地の案内板は少し古めかしい言い回しなので簡単に説明すると、約300年前の享保年間(一七一六~一七三五)の頃、不作と疫病で人々が苦しんでいた頃に、村の古老の夢枕に地蔵菩薩が立ち、「わたしを石橋のほとりに祀りなさい」と語ったという。当時、このあたりには馬屋を営む宇田川家という屋敷があり、その裏の杉林から湧水が湧きだして、石橋がかかっていました。そこで、村人たちは、一里塚のそばに地蔵尊を祀り、熱心に拝むうちに天候も安定し、疫病もなくなったと伝えられています。また、赤子の瘡が治る、乳の出が良くなるなどの祈願も行われるようになったと伝えられ、子育地蔵尊として現在まで残っています。地蔵尊には享保一八丑年(一七三三)造立とあるとのこと。

地蔵尊の両脇に祀られているのは年不詳の庚申塔三塔、寛文十一亥年(一六七一)寄進の庚申塔と馬頭観音とのこと。

羽根木神社など、小さな小さな神社であってもそれを取り巻く人々のいろいろな思いとか生活が目に見えない形で刻まれていて、こういう、名も無き人々の名も無き場所にこそ歴史の重みが存在しているのだなぁと思わずにいられません。

参考文献
・世田谷区生活文化部文化課編集「ふるさと世田谷を語る-代田・北沢・代沢・大原・羽根木-」(P160-163)

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