山本有三記念館(山本有三旧邸)

先日、吉祥寺、三鷹付近を散策した際に山本有三記念館に行きました。

山本有三 – Wikipedia
高等小学校卒業後、父親の命で一旦東京浅草の呉服商に奉公に出されるが一度は逃げ出して故郷に戻る。その後、母親の説得で再度東京に戻る。正則英語学校、東京中学に通い、1908年(明治41年)東京府立一中を卒業。1909年(明治42年)9月一高入学。一高を1年落第を経て卒業し、東京帝国大学独文学科に入る。在学中から「新思潮」創刊に参加し、卒業後、1920年、戯曲『生命の冠』でデビュー。真実を求めてたくましく生きる人々の姿を描いた。一高時代落第後に同級となった菊池寛・芥川龍之介らと文芸家協会を結成し、内務省の検閲を批判する一方、著作権の確立に尽力した。だが、昭和に入ると、1934年(昭和9年)に共産党との関係を疑われて一時逮捕されたり、『路傍の石』の連載中止に追い込まれるなど軍部の圧迫を受けた。その一方で近衛文麿と親交(一高留年前の学年で同級)があり、1941年(昭和16年)には帝国学士院会員に選ばれるなどその立場は複雑であった。
戦後は貴族院勅撰議員に任ぜられた。自らが極度の近眼であったことからルビと漢字を憎悪し、国語国字問題に取り組み、「ふりがな廃止論」を展開したことでも知られる。憲法の口語化運動にも熱心に取り組んだ。1947年に第1回参議院議員通常選挙では全国区1位で当選。1953年まで6年間、参議院議員をつとめて緑風会の中心人物となり、政治家としても重きをなす一方で積極的な創作活動を行った。1965年、文化勲章受章。

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< 山本有三記念館

山本有三記念館
山本有三記念館は井の頭恩賜公園やジブリの森から徒歩数分、玉川上水の川沿いにある、作家・政治家だった山本有三が昭和11年から昭和21年まで暮らした邸宅で、昭和31年に神奈川県湯河原に移り住んだ山本本人によって児童の育成のために東京都に寄付、昭和33年より都立「有三青少年文庫」が開設され、地域の文庫活動や教育相談の拠点として活用、平成8年より記念館として公開されている建物です。

大正11年築のモダンな洋風建築ときれいに整備された庭園が魅力的でした。

路傍の石

路傍の石
正門のすぐ傍らには「路傍の石」と名付けられた大きな石がどーんと置かれ、案内板には以下のようにその由来が記されています。

案内板より
小説「路傍の石」執筆当時の昭和12年、有三は中野旧陸軍電信隊付近の道ばたでこの大きな石を見つけ、この家の裏庭に運び込んだと伝えられています。この石は、作品の名に因み、いつしか”路傍の石”と呼ばれ親しまれるようになり、その後、東京都に寄贈された山本邸が昭和33年有三青少年文庫として開設されるときに現在の位置に移されました。

山本有三が果たして「路傍の石」つながりでこの石を運んだのか、それとも単純に石が気に入っただけなのかは定かではありませんが、彼の代表作にちなんで注目を集める大きな石です。座ることはもちろん寝転がることもできそうなぐらい大きいので、おそらく山本もここに寝転がって空を眺めながら、作品の構想を練っていたのかもしれません。

山本有三邸

山本有三記念館

山本有三記念館

山本有三記念館の芝生

山本有三記念館の芝生

休日ということもあり、モダンな建物を眺めながらスケッチする人やくつろぐ人など憩いの場になっていました。
山本有三記念館の池

ランプと竹林

建物内では随時山本有三ゆかりの美術展等が行われています。所用などもあり建物内には入りませんでしたが、山本有三記念館のサイトなどをみるに、とても雰囲気がある家具や調度品等が見ることができるようでかなり良さそうですね。

しかし、山本有三って気難しそうなイメージがあり、もっと貧乏な感じなのかと思ってました(笑)政治家だったとは知らなかったです。
昭和初期の雰囲気を残す邸宅で、併設の庭園もとてもきれい。井の頭公園を訪れた際は足を伸ばしてみるといいかもです。


開館時間:9:30~17:00(月曜休館)
入館料:一般300円 団体200円(20人以上):建物内のみ。園内は無料
住所:東京都三鷹市下連雀2-12-27

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