向上しながら滅びる

最近、色川武大の「うらおもて人生録」をパラパラと読んでいるのですが、その中で彼はこういうことを書いています。

「うらおもて人生録 向上しながら滅びる―の章」(P222-223)
物事というものは、進歩、変革、そういうことが原因して、破滅に達するんだ。
(中略)
エラーが原因して、破滅すると言う例は、存外にすくないんだ。すくないといっても、むろんばかにはできないよ。エラーすれば自滅するのは当然だよ。
けれども、進歩していって破滅する例にくらべれば、圧倒的にすくないんだ。
自殺して消えていく人間は、全体からすると、ごくすくないだろう。
大部分の人間はね、生きようとしていって、そして生きてしまうために、それが原因で、死を迎えるんだ。

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5 出来るだけ若いうちに・・・
5 どう生きていったらいいかよくわからない人
5 フォームとスケール
4 異色の人生論
5 「座右の書」です。

どういうことかというと、作用と反作用の関係のように何かを得た代わりに何かを失っていて、例えば人類の大きな発明でプラスになったように見えても実は大きなマイナスもまたあると言う。

「うらおもて人生録 向上しながら滅びる―の章」(P224)
たたかいの場合、勝者と敗者ができるけれども、勝者が傷ついていないかというとそんなことはない。それなりに、勝ちを得た分くらいは傷がついている。もちろん敗者の方も傷だらけ。両者の傷をさしひいて、残りの部分でいくらか余裕がある方が、勝者というわけかな。

それでも、人は今日より明日を良くしたい、もっと自分らしく、自分の生きたいように生きたいという思いを持っている。そうして向上していきながらもその反面さまざまなものを失い、そして最後は死ぬ。向上しながら滅びる。
こういう円環的な人生観・歴史観は色川だけではありません。全然かけ離れた、一見色川と正反対にいるようにも見える人ですが、宮本常一も似たようなことを書いていました。

「民俗学の旅」(P234)
私は長いあいだ歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。それがまだ続いているのであるが、その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか、発展というのが何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。停滞し、退歩し、同時に失われてゆきつつあるものも多いのではないかと思う。
(中略)
進歩のかげに退歩しつつあるものをも見定めてゆくことこそ、今のわれわれに課せられてれているもっとも重要な課題ではないかと思う。

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4 渋沢敬三さんは良い師匠だ
5 良かった!!
5 自分の人生を考えてしまいした
5 地道なフィールド・ワークの記録

彼らは戦後の世界的な急成長を目の当たりにした。その雰囲気を河合隼雄が「生の急拡大」という言葉で的確に表現しています。

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」(P189)
現代というか、近代は、死ぬということをなるべく考えないで生きることにものすごく集中した、非常に珍しい時代ですね。それは科学・技術の発展によって、人間の「生きる」可能性が急に拡大されたからですね。

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4 現代の神話「1Q84」
5 魂を描く作家と魂を癒す心理療法家の対話
5 心のもやもやが形になってみえてくる・・・
5 平易な言葉で綴られる、深遠な世界!!!魂の深みに響く対談!
5 夫婦の共同作業は井戸を掘ること!

日進月歩で変わりゆく社会、科学技術の急発展による生きる可能性の急拡大という時代の中で、進歩のかげに退歩しつつあるものがあるのではないか、我々は向上しながら滅びて行くのではないかそういう冷静に見つめる視線があったということなのだろうと思います。
この背景にはもちろん個人主義思想、近代化という変化のなかであらたな道徳観として神聖不可侵な人格を人はみな持っているという人格崇拝の考え方が広がり、そのかけがえのない今を生きる、つまり生きるために生きるという人生の自己目的化がいわゆる「生きる可能性の急拡大」でしょう。
自己を何かしら掣肘していた家父長的大家族、村、地域、国家あるいは企業というさまざまな集団の力が弱まっていく中で相対的に人格の重要性が上がり続けてきたこと。その文脈上にライフハックブームだったり潜在能力だったり脳科学、空気読めとかがある訳ですが、一方で急成長の時代は終わり、進歩や成長は必ずしも幸福を意味しないようになることで生きる可能性の停滞縮小が始まると、相対的にこれまであまり見ないようにしてきた「死ぬ」ことの可能性が急拡大してきますね。死を取り扱う話題がここ10年目立つようになってきたように思います。
日本は自称無宗教な人が多いと言いますが(まぁ、自身の考え方の宗教性に無頓着というか、見ないようにしているだけなのですけれど)おそらく、これから50年ぐらいかけて日本はこれまでの反動のように宗教社会化を遂げて行くと思います。
高齢化社会というのはつまり死と向き合うことになる人の増加を意味する訳で、特にこれまで「生」に殊更重きをおいた人生を歩んできた団塊以降の世代が続々と歳をとり、「死」と向き合うことになったとき、「生」が重要であったということはその反面「死」も同様に極端に重いものになるからです。
「死」の重みをどのように「生」の中に内包させていくのか、が多くの人達の後半生の重要な課題となっていくなかでその意味を再定義するさまざまな信仰、宗教、物語が生み出されて行くのでしょうね。人は向上しながら、滅びる。その滅びをいかにして飲み込み、人生の物語に昇華させていけるか、ということに好むと好まざるとに関わらず向き合わざるを得無くなるのだろうし、その受け皿としておそらく宗教やあるいは宗教的なるもの、または思想などが次々と生まれてくるだろうなと思います。
生と死に新たな価値観を与える、あるいは自身で作り出すことを支援する動きとあわせてたぶん、極端な復古主義やナショナリズム、カルト、原理主義的思想なんかもね。既存の宗派宗教は一般の人々の宗教性との乖離が大きいままなので、このまま形骸化していく一方なのでしょうけれども、まぁ、米国のような宗教社会へと近づいていくんじゃないかとぼつぼつ思います。今はまだ現実味がないかもしれませんが、いわゆる全く違うかたちでしょうけれど、大覚醒運動的なのが日本で起きるんじゃないかと少し想像したり。
そんなことを寒くなってくるとついつい考えてしまうのですよね。ねこになりたい。

生きるとは、自分の物語をつくること
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4 黙っているということ
4 さるきちの物語は・・・。
5 心にしみる対談集。それはまるで、味わい深い二重奏の調べにも似て

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