「アイヌ神謡集」知里幸恵編訳

アイヌ神謡集 (岩波文庫)
岩波書店
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アイヌ文学の中にユーカラ(神謡)と呼ばれる神々の自叙の形式を取る短編の詩曲がある。中でもカムイユーカラは特にアニミズム色が強く、神々と言っても例えばキツネ、フクロウ、カエル、オオカミあるいはウサギなど動物神のかたちを取り、神々が一人称で謡うもので、アイヌの人々の間では古くから祭儀の際にリズムにのせて歌い継がれてきた。

その代表的な神謡13編を知里幸恵さんがローマ字で表記し、日本語に翻訳したのがこのアイヌ神謡集だ。

神謡にローマ字をつけ日本語に訳し、編纂した知里幸恵さんは、1903年(明治36年)北海道幌別郡(現登別市)のアイヌ人の家庭に生まれ、祖母がカムイユカラ(神謡)の謡い手であったことから、アイヌのさまざまな詞曲を身近なものとして育った。また、学校でも日本語の読み書きを学び優秀な成績を修めるとともに、10代前半に函館のキリスト教会に預けられ、敬虔なカトリックとして英語やローマ字の知識も習得する。

国語学者金田一京助博士との出会いは1918年、15歳の頃のことだった。金田一はアイヌ語研究のため彼女の祖母の元をたびたび訪れ、ユーカラの聞き取り調査を行っていた。そのとき偶然幸恵さんに語学の非凡な才能があることを知り、またアイヌ語へのただならぬ熱意があることから、東京に誘い、幸恵もそれに応えて上京。金田一宅に住み込み翻訳作業に没頭する。

彼女が心血注いで編んだのがこの「アイヌ神謡集」で、元々心臓に持病を抱えていた彼女は、文字通り命がけで作業に取り組み、「アイヌ神謡集」が完成してまもなく、1922年(大正11年)9月18日、出版を待たずしてこの世を去った。享年19歳だった。
彼女の熱意は青空文庫で公開されている「日記」からも強く伝わってくる。

自分を捨てゝ人の為に……何といふ難かしい事であらう。私にはとても出来ない事であらう……が、此の前先生が仰った様に、自分を捨てきる事は出来ないけれども捨てゝ人の為にしようといふ努力はやはり尊いものである。努力、努力! そして出来るだけ完全に近い所へゆく……それが人間にとってもっとも尊い事である。

汝心を尽し、精神を尽し、意を尽し、主なる汝の神を愛すべし。これ第一にして大いなる誡なり。第二もまたこれに同じ。己の如く汝の隣を愛すべし。(太二二・三七―三九)
ほんとうに最も大きな誡、これだけを守る心がある人は全くのえらい人でせう。私にはとても出来ない。完全なえらい人になる事は出来ないのは当然だらう。が、先生がいつか仰った様に努力! 完全といふ目的にむかって真直に進んでゆく……それが私には最大なものである。

何故アイヌは、知識と健康を併得る事が出来ないであらうか。幸に知識と健康を得たとしても愛を失ってゐる。無味乾燥、少しのやはらかみのないものが出来上ったりするのではないかしら。
知識を得よう、知識を得ようと砕身粉骨に近い努力、先ず自分の最善を尽した私は、とう/\健康を失ってしまった。しかも、それほど望んだ知識なるものも望みの四半分も得る事が出来なかった。何故、私があまりに自然にさからったからか。さうかも知れない、さうでせう。自然にさからふ、それは大きな罪であらう。自然に伴ふべく最善をつくせばそれでよいのだ。

運命に逆らはう、自然の力に抵抗しようと思ふのは罪ぢゃないか。おのれたゞ人ではないか。小さい、いと小さい人の力が絶大無限の神の力にさからはうとするのはあまりに愚な事ではないか。何故神は我々に苦しみをあたへ給ふのか。試練! 試練※(感嘆符二つ、1-8-75) 胸に燃ゆる烈火の焔に我身をやききたへ、泉とほとばしる熱血の涙に我身を洗ふ。さうしてみがきあげられた何物かは、最も立派なものでなければならぬ。
私たちアイヌも今は試練の時代にあるのだ。神の定めたまふた、それは最も正しい道を私たちは通過しつゝあるのだ。捷路などしなくともよい。なまじっか自分の力をたのんで捷路などすれば、真っさかさまに谷底へ落っこちたりしなければならぬ。
あゝ、あゝ何といふ大きな試練ぞ! 一人一人、これこそは我宝と思ふものをとりあげられてしまふ。
旭川のやす子さんがとう/\死んだと云ふ。人生の暗い裏通りを無やみやたらに引張り廻され、引摺りまはされた揚句の果は何なのだ! 生を得ればまたおそろしい魔の抱擁のうちへ戻らねばならぬ。
死よ我を迎へよ。彼女はさう願ったのだ。然うして望みどほり彼女は病に死した。何うしてこれを涙なしにきく事が出来ようぞ。心の平静を保つことに努めつとめて来た私もとう/\その平静をかきみだしてしまった――だからアイヌは見るもの、目の前のものがすべて呪はしい状態にあるのだよ――。先生が仰った。おゝアイヌウタラ、アウタリウタラ! 私たちは今大きな大きな試練をうけつゝあるのだ。あせっちゃ駄目。ぢーっと唇をかみしめて自分の足元をたしかにし、一歩々々重荷を負ふて進んでゆく……私の生活はこれからはじまる。
人を呪っちゃ駄目。人を呪ふのは神を呪ふ所以なのだ。神の定めたまふたすべての事、神のあたへたまふすべての事は、私たちは事毎に感謝してうけいれなければならないのだ。そしてそれは、ほんとうに感謝すべき最も大きなものなのだ。

その敬虔な信仰心とアイヌへの想いに読むと胸が熱くなる。19歳の才能に溢れた年若い少女がアイヌ語を後世に残すという作業に、文字通り命を賭けることになったのは、その哀しきアイヌの歴史が大きい。

アイヌ文化は13世紀ごろ、青森から北海道一帯に広がっていた狩猟採集中心の擦文文化とオホーツク海沿岸に栄えた漁労や交易を中心としたオホーツク文化及びオホーツク文化を受け継いだトビニタイ文化が融合して成立した文化で、国家というよりはいくつもの部族が共存した社会で、文字を持たないこと、汎神論的な信仰、交易や漁労・狩猟が中心の生活などが特徴となっている。

しかし、地理的な状況からたびたび和人やモンゴル系の騎馬遊牧民、時代が下るとロシア人の侵略を受け続けてきた。戦いになると部族間で連合して対抗しあるいは交渉して難を逃れてきたが、18世紀ごろからロシアの南下政策と江戸幕府を背景とした松前藩の圧力の間で徐々に両国の支配下に入るようになっていく。

1854年日露和親条約によって外交的に北海道が日本領となり、1869年函館戦争終結によって明治維新が一段落付くと蝦夷地を北海道に改称、本格的に和人の入植を進めて行くようになる。1871年、戸籍法が制定されるとアイヌ人は「平民」に編入。開墾に従事させ、民俗風習を禁じ同化政策を推し進め、75年に屯田兵制、同年ロシアとの樺太・千島交換条約で樺太をロシア領、千島列島を日本領として樺太のアイヌ人を強制移住させ、1878年アイヌの呼称を「旧土人」に統一。1899年、悪名高い「北海道旧土人保護法」が制定された。保護の名の元にアイヌ人の土地没収、漁業・狩猟の禁止、アイヌの習俗の禁止、日本語使用の強制、日本語名への改姓などが強制され、この法律は1997年アイヌ文化振興法の施行までおよそ100年に渡り続いて行くことになる。

このようなアイヌ文化に対する抑圧と差別によるアイヌ人の貧困化や衰退の中で、苦境による人としての尊厳やアイデンティティの喪失、さらに命そのものの危機に、当時、彼女を始めとするアイヌ人が直面していた(今も直面し続けている)。彼女の日記を読んでも、上記で引用した「旭川のやす子さん」など幾たびかアイヌの知人の死に直面して悲しむ彼女の様子が見てとれて胸を締め付けられる。

そして、彼女が編んだ神謡を読み進めて行くと、アイヌの人々の信仰や日々の生活がゆっくりと伝わってくる。一つさわりだけローマ字と翻訳文を引用するので、ぜひローマ字を音読してみて欲しい。とても瑞々しいので。

アイヌ神謡集 (岩波文庫)
Kamuchikap kamui yaieyukar,
梟の神の自ら歌った謡
“Shirokanipe ranran pishkan”
「銀の滴降る降るまわりに」
“Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe
「銀の滴降る降るまわりに,金の滴
ranran pishkan.” arian rekpo chiki kane
降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
petesoro sapash aine, ainukotan enkashike
流に沿って下り,人間の村の上を
chikush kor shichorpokun inkarash ko
通りながら下を眺めると
teeta wenkur tane nishpa ne, teeta nishpa
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が
tane wenkur ne kotom shiran.
今の貧乏人になっている様です.
Atuiteksam ta ainuhekattar akshinotponku
海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓に
akshinotponai euweshinot korokai.
おもちゃの小矢をもってあそんで居ります.
“Shirokanipe ranran pishkan,
「銀の滴降る降るまわりに
konkanipe ranran pishkan.” arian rekpo
金の滴降る降るまわりに.」という歌を
chiki kane hekachiutar enkashike
歌いながら子供等の上を
chikush awa, unchorpoke ehoyuppa
通りますと,(子供等は)私の下を走りながら
ene hawokai:――
云うことには,
“Pirka chikappo! kamui chikappo!
「美しい鳥! 神様の鳥!
Keke hetak, akash wa toan chikappo
さあ,矢を射てあの鳥
kamui chikappo tukan wa ankur, hoshkiukkur
神様の鳥を射当てたものは,一ばんさきに取った者は
sonno rametok shino chipapa ne ruwe tapan”
ほんとうの勇者,ほんとうの強者だぞ.」

この神謡は梟の神がある村の上に来て村人の様子を眺めると、昔貧乏だった者は金持ちになっており、かつて金持ちだった者は貧乏になっていて、その子たちが弓矢で遊んでいるのが目に入った。貧乏な子がまわりにからかわれ、虐げられても一生懸命に自分を狙ってくるので、その貧乏な子が放った矢をこっそりと取り、撃たれたふりをして落ちて行く。子どもたちが競いながらも最後はその貧乏な子が梟を手に取り、そしてその梟を家に持ち帰ると、貧乏だが紳士然とした両親が迎え入れ、梟に対しても最大限の敬意を払ってくれるので、彼らが寝静まった後に宝物を与えて飛び去って行く。そして他にも貧乏だけれど正しい者たちが富めるように施してやり、そして村人たちが別け隔てなく仲良くなるようにはからい、村人たちも感謝をする、そして、「私も人間たちの後に坐して、何時でも、人間の国を守護っています」と梟が語って終わるという物語になっている。

このような、アイヌの人々の信仰と生活とが描かれた13の神謡がおさめられ、詞の一つ一つに心打たれる珠玉の一冊になっている。

金田一京助は、彼女の死を心から悼み、その後半生はずっと後悔と贖罪の日々だったという。彼女の弟、知里真志保は彼女の遺志を継ぎ、アイヌ語の研究に没頭し、金田一もまた彼を全力で支え、真志保は戦後アイヌ人初の北海道大学教授となり、アイヌ語研究を極め「その業績はもはや「アイヌ学」という一つの学問を築き上げている。」と称えられている。

最後に、ぜひ知里幸恵さんが死の直前に書いた同書の序文を読んでいただきたい。

アイヌ神謡集 (岩波文庫)」(P3-5)
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮祈っている事で御座います.
けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.
大正十一年三月一日
知里幸惠

アイヌ語の話者は今、10人に満たないという。

参考サイト
知里幸恵 – Wikipedia / 知里幸恵について / 知里幸惠編訳 アイヌ神謡集 / 青空文庫 知里幸恵 日記 / アイヌの歴史 – Wikipedia / 北海道旧土人保護法 – Wikipedia / アイヌ文化 – Wikipedia / アイヌ語 – Wikipedia / 金田一京助 – Wikipedia / 知里真志保 – Wikipedia

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銀のしずく降る降るまわりに―知里幸恵の生涯
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