アメリカ第二の内戦「文化戦争"Culture War"」

1960年代以降、アメリカでは伝統文化擁護派の宗教的な保守主義者とカウンターカルチャー推進派の自由主義的な世俗主義者との間での対立抗争が激化し、政治、社会を巻き込み、時に軍事的な衝突の様相すら呈すほどに激しさを増しているという。この両者の対立をアメリカの宗教社会学者ジェイムズ・D・ハンターは「文化戦争”Culture war”」と呼んだ。今まさにアメリカはこの第二の内戦の真っ最中とも言えるようだ。

蓮見博昭著「宗教に揺れるアメリカ」ではハンターによる文化戦争の要旨を以下の通りまとめている。

1)アメリカは、道徳の理解に関する異なるシステムに根差す政治的・社会的対立抗争の真っ只中にある。それらは結局、自分たちの住むこの世界について、何が根本的に正しく、何が間違っているのか、自分たちの共同体において、何が究極的に善であり、何が最終的に容認できないのかをめぐる論争である。

2)それらは、「外部の」「定義できる」「超越的な」権威にコミットする伝統主義(オーソドクシー)と、現代の時代精神や合理主義、主観主義の精神によって道徳的権威も規定されるとする進歩主義(プログレッシヴィズム)の争いである。大部分の世俗主義者たちも、このような進歩主義に引き付けられている。

3)これは、アメリカの現実やナショナル・アイデンティティーを規定する権力を獲得・維持しようとする一種の権力闘争でもある。戦争、闘争、対決といった言葉は単なる文学的表現ではなくて、アメリカの公的文化において争われている多くの諸問題が決着される方法を描写するのに適切な手段なのである。文化戦争は軍事的作戦と同様、常に戦略・組織・資源といった実際的諸問題をめぐって決着がつけられ、最良の戦略、最も効率的な組織、資源へのアクセスをもつグループが有利になり、最終的な勝利を得る可能性が強い

4)このような文化戦争は、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教徒それぞれの内部でも分裂、分極化を引き起こす反面、各宗教の伝統主義派、進歩主義派おのおのの横断的な連合体結成をも促進する。この意味で新たな文化的再編成の原動力ともなっている。

この二つの勢力の対立構造は、建国時のピューリタン主義とアメリカ独立時の啓蒙思想というアメリカを形作ってきた二つの思想が近代化の中で変化にいかに対応するか、その対応の仕方を巡って生まれた対立構造だと言えるだろう。建国の精神にあるキリスト教的道徳観・人間観に基づいた社会への回帰をするのか、啓蒙思想から生まれた進歩主義と多様性を重視した社会の建設を進めるのか。

60年代以降保守派の復活と洗練によって顕在化してきたが、特に激化したのは90年代のことで、共和党の政治家で保守主義者のパトリック・ブキャナンが大統領候補を決める92年の共和党全国大会でアメリカの伝統に対する脅威からの防衛という主旨で「文化戦争」という表現を使い一躍有名になった。
様々な局面で両勢力の対立はあるが、特に主要トピックになっているのが妊娠中絶、同性愛結婚、学校での祈り等宗教教育だ。

特に妊娠中絶を巡ってはプロチョイス派(中絶賛成派)とプロライフ派(中絶反対派)での対立が激しく、中絶医や病院、女性団体への暴力的な攻撃が多数発生し、90~99年の10年間の間で殺人七件、殺人未遂十七件、爆破十五件、放火九十七件が発生したという(河野博子著「アメリカの原理主義」P94)。これら暴力行為を繰り返すのはジ・アーミー・オブ・ゴッドやクリスチャン・アイデンティティといったキリスト教原理主義団体や極右団体が多い。

これら妊娠中絶、同性愛結婚への反対、学校での宗教教育の推進を強く主導しているのが宗教保守派団体で90年代に圧倒的な組織力を誇ったクリスチャン・コアリションはこれらキリスト教保守派の思想を共和党への強い影響力を背景にして半ば強引に進めていった。

特に悪名高いのがステルス戦略と呼ばれるもので、公職選挙時に競争相手の候補者に知られないように隠密に進める運動のことだ。アメリカの教育委員会制度はいくつかの制度が併存しているが多くの州で公選制が取られている。80年代までは概ね無風選挙で各委員が決まっていたが、クリスチャン・コアリションはそこに目をつけた。隠密裡に立候補者を立て、候補者は表立っての選挙活動は行わず教会のネットワークを駆使して教会会堂内での有権者登録勧誘などを通して運動し、投票日に当選してみせるという例が続出。教育委員会の過半数を握ると公立学校での祈り復活、創造科学の促進、性教育制限など教育現場における保守派の主張を押し通した。これに対してリコールなども続発。90年代、教育委員会選挙は文化戦争の主戦場となっていったという。

両勢力のこのような手段を選ばない抗争が民主主義の機能不全をもたらし、90年代に利益団体政治化が進んだ。

ハンターは泥沼化する文化戦争の解決策として以下の3つを提示する。

1)公的な議論の言語を取り戻し、紛争が政治や訴訟に入ってしまう前に、実質的な議論を行って行く必要がある。
2)さまざまな権利を主張する人々は、それにともなう義務と責任をもきちんと受け入れ、議論と説得の手法を再活性化させるべきである。
3)単なるパワーの行使は文化的論争を解決しないし、緊張も緩和しないが、政治の放棄にも回答はありえない。政治の限界の範囲内で政治に新しい活力を与えるべきである。

実際問題としてはこれらのことは一定の有効性があるが、文化戦争はもっと根深い価値観の問題であり、それゆえに先鋭化しやすい問題のようにも見える。

そのような価値観の対立構造の中で90年代以降徐々に「癒し」の文化が普及していったという。善か悪か、道徳的か非道徳的か、正しいか間違っているかという対立から健全かどうかの価値判断へとシフトしていっているらしい。特に政治家の演説に以下の四つの特徴が見られるという。

1)自己自身および他者との関係を理解するため、感情に一層大きな力点を置き、理性や理屈よりも感性・感情に訴えて共感を得ようとする。
2)さまざまな犠牲者や社会的弱者の気持ち・心的態度になって物事を考える。
3)一人の人間の内面的な働きを公に表明したり、共有したりする習慣を重視する。
4)道徳的な権威の源泉として自我を高めていく。

そのような背景でアメリカでは心理療法の受診者数が急増し、「癒し」的手法が様々な局面で使われるようになったという。この癒し文化の浸透はピューリタニズムの人間性悪説と反対に自己崇拝的な性善説という特徴があり、進歩主義との親和性が強そうである。一方で「癒し」を売りにしたマインドコントロール系の新宗教も増加し、アメリカを変容させつつあるようだ。

そのような文化戦争の最中に起きたのが9.11のテロ事件で、外敵からの攻撃で一時休戦・・・とはいかず、戦争による愛国心の高揚が逆に保守派、特に極右や原理主義勢力に勢いづかせているという。2001年はアメリカで炭疽菌テロやそれに似せた脅迫事件が急増し「炭疽菌(に類似したもの含む)による脅し」が、2000年の30件に対し、2001年は554件まで増加したという(河野前掲書)。

その後ブッシュ政権下で宗教保守派は全盛期を迎えるが、その極端さに対する嫌気もあり、オバマ政権の成立へとつながってくる。この長きに渡る文化戦争をどう決着させるか、オバマ大統領の舵取りに注目が集まるものの、政権運営は困難を極めているようだ。医療保険制度の成立と引き換えに先延ばしした不法移民問題をめぐる移民制度改革が新たな文化戦争の火種になっていくだろう。

根本的な人間観、社会観を巡る戦いであるが故に文化戦争に終りは見えないが、極端な抗争も含めた様々な価値観の対立は民主主義の深刻な危機をもたらす一方で、これらの葛藤によってはからずも社会の多様性を生み出す結果にも結びついている。深刻な文化戦争の果てにより柔軟な社会が待っているのだろう。

この文化戦争の遠因にはアメリカが封建制と階級闘争を経ずに成立したことによると見る見方もある。日本もまた深刻な階級闘争を経ずに成立した社会だが、もしかするとこれから深刻な文化戦争へと至るのかもしれない。その萌芽はちらちらと見え隠れしているようにもおもう。

参考書籍
・蓮見博昭著「宗教に揺れるアメリカ―民主政治の背後にあるもの
・河野博子著「アメリカの原理主義 (集英社新書)
・渡辺将人著「見えないアメリカ (講談社現代新書)
・中岡 望著「アメリカ保守革命 (中公新書ラクレ)

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