桃太郎に、鬼をみる

車谷長吉の短編集「鹽壺の匙」に「なんまんだあ絵」という十数ページほどの短編がある。昭和四十年代半ばごろの田舎の農村、主人公のおみかはんは十七で川向こうの村から嫁入してきて、六十年弱。七十五歳になる老婆だ。ある夏の日、都会に働きに出ていた孫の哲雄が帰郷するのにあわせて、おみかはんは、代々の先祖がそうであったように自分の死顔を描いてもらいに行く決意をする。全編に漂う死の匂いに、胸の奥にかすかに生じる言葉にできないざわつきと、息が詰まる思いに駆られる佳作だが、おみかはんの半生を語るこの一節が、初読以来ここ十年ばかし、ずっと気に掛かっている。

車谷長吉著「鹽壺の匙」P8
おみかはんはこの村へ嫁に来る前、仲人からあんたの嫁入先は村で一、二の大地主やと聞いた。しかし敗戦直後の農地改革で土地はあらかた失ってしまい、それから二十五年たった今も、その時の農林大臣和田博雄を自分の家から財産を取り上げた鬼だと固く信じていた。桃太郎さんに宝物を取り上げられた鬼の気持が痛いほどよく分かった。そんなことを考えていると、宝物を取り上げた桃太郎の方こそ鬼ではないかと思ったりした。しかしそんなことを口に出すと、負け惜しみを言っていると人に嗤われるので、口惜しい気持ちを顔に出さずにいようと必死だった。ただただ御先祖様に申し訳ない気持でいっぱいだった。

塩壷の匙 (新潮文庫)
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車谷 長吉
新潮社
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車谷長吉は徹底した私小説作家である。多くの作品は彼自身や係わった人々の実話、殊更、彼らの内に秘めた悪意が何かの拍子に漏れ出したその瞬間を抽出して描かれている。おそらくおみかはんもモデルが――己の中で桃太郎に鬼を見、それをぐっとこらえて生きた人が――いたのだろう。この「なんまんだあ絵」は彼のデビュー作だった。

桃太郎伝説は誰もが知る勧善懲悪の物語であり、桃太郎はまさに正義の象徴だが、実は近代にその物語は大きく変質している。

桃太郎伝説には現在知られているような川上から桃が流れてきて中から桃太郎が登場するものの他にも、桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんが桃太郎を産んだものなどがあり、多種多様であったようだが、その根底にあったのは「優れた小子を神より賜はつて、それを大切に育てて下界の生活を美しくしようという希望」(柳田國男「桃太郎の誕生」:島薗進著「宗教学の名著30 (ちくま新書)」より孫引き)だったという。川上から流れてくるというマレビト信仰もあっただろうが、いわば共同体の平穏を保つためにとても大事な物語として語り継がれていたのだろう。

この桃太郎伝説が変質するのが明治時代で、鬼退治という勧善懲悪が強調され、道連れであっただけのイヌ、サル、キジは家来となり、戦装束を身につけ、日の丸の鉢巻で勇ましい日本国を象徴する物語として教科書に掲載される。明治二十年のことだそうだ。明治国家の成立にあわせて国家の英雄として桃太郎は生まれ変わったのだった。

この変質に気付いた作家もいた。芥川龍之介は大正十三年、そのものずばりの作品「桃太郎」を発表している。書籍は絶版だが、青空文庫でその物語を読むことが出来る。

桃太郎
桃太郎
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(2012-09-27)

芥川龍之介 桃太郎
桃から生れた桃太郎(ももたろう)は鬼(おに)が島(しま)の征伐(せいばつ)を思い立った。思い立った訣(わけ)はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白(わんぱく)ものに愛想(あいそ)をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗(はた)とか太刀(たち)とか陣羽織(じんばおり)とか、出陣の支度(したく)に入用(にゅうよう)のものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧(ひょうろう)には、これも桃太郎の註文(ちゅうもん)通り、黍団子(きびだんご)さえこしらえてやったのである。

・・・お爺さんお婆さんのように地道に働くのが嫌な桃太郎は一攫千金を狙って平和を愛する鬼たちが住む鬼ヶ島の侵略を企て、お婆さんが作ったに過ぎないキビダンゴを「日本一のキビダンゴ」と大ボラを吹いて飢えた野良犬や猿、雉を仲間にし(当然キビダンゴを半分に値切ることは忘れない)、当然欲得だけで結びついている三匹なので仲は悪く、それをなだめるため彼らには鬼ヶ島の財宝をちらつかせる。そんな一行は鬼ヶ島にたどり着くなり平和を享受する鬼たちを徹底的に侵略した。「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」こうして桃太郎一行は見事金銀財宝を手にするのである。

とても風刺が効いていて笑いがとまらない物語だが、素朴な民間説話の主人公が明治国家の英雄にすりかわった欺瞞を作家として敏感に感じていたのであろう。芥川は「その後」を予感させる終わり方をさせている。

芥川龍之介 桃太郎
人間の知らない山の奥に雲霧(くもきり)を破った桃の木は今日(こんにち)もなお昔のように、累々(るいるい)と無数の実(み)をつけている。勿論桃太郎を孕(はら)んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉(やたがらす)は今度はいつこの木の梢(こずえ)へもう一度姿を露(あら)わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……

桃太郎は、実は暴力的な権力の象徴という顔と、日々の暮らしの平穏を支える説話というふたつの顔を持つ怪物であったのだが、おみかはんにとって、幼い日より慣れ親しんだ桃太郎という物語は揺るがすことの出来ない正義・共通善の象徴として彼女を呪縛していたのだろう。日々の暮らしの中の辛さからどうしようもなく芽生える鬼への共感と桃太郎への憎悪は、実は桃太郎なるものの本質を突いていたのだとしても、彼女の生きてきた常識の中では大きな、大きすぎるスティグマとして彼女を苛んでいた。そしてそれをぐっと飲み込んで生き抜いた。

桃太郎に、鬼をみる。その善なるものの呪縛を解き放つことができない苦しみが、人の心に鬼を生むのだろうか。

桃太郎の誕生 角川ソフィア文庫
KADOKAWA / 角川学芸出版 (2013-09-12)
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