役に立たないムダ知識、奈良時代の陰陽師の組織と労働環境

最近読んでいる「陰陽道の発見(NHKブックス)」という本に八世紀ごろの陰陽寮の組織体制が説明されていたので、その資料をもとに、ちょっと組織図を作ってみました。

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中国の戦国時代(紀元前403~前221)、陰陽説と五行説という二つの思想が生まれた。相対する現象が陰と陽の変化と循環運動により律せられると考えられた二元論的思想の陰陽説と、木火土金水の五つの素材が循環すると考えられた五行説であり、その二つは結合し陰陽五行説となって中国において「自然や人間生活の全般を説明し、儒教・医学・天文・音楽をはじめとする中国諸文化の基幹をなす理論」となりました。さらに十干十二支をあわせた六十干支と結びつくことで森羅万象すべてが説明可能であると考えられるようになり、占いが発展。さらに儒教、仏教、道教にも陰陽五行説は強く影響を与え、漢代以降中国では陰陽五行説に基づいた天文や暦の研究機関である太史局が設置される。その長官として有名な人物に歴史家の司馬遷がいます。

日本には六世紀後半以降、術数(天文や暦数を元に未来の吉凶を卜う技術)の知識が百済を通じて輸入されたと伝えられます。特に百済とは人材交流が活発で儒学の五経博士や暦博士等が派遣されていたといいます。ターニングポイントとなったのは西暦660年の百済滅亡で、当時百済・高句麗から多くの知識人や貴族が大和朝廷に亡命し、彼らを受け入れることで、先進的な知識や技術を元に大和朝廷は急速に国内体制を整えることが可能になった。この当時、60~70名以上の亡命貴族が一気に官位を授けられ、大和朝廷の組織に組み込まれました。

西暦675年、陰陽寮の存在が初めて文献にあらわれ、西暦701年、有名な大宝律令の制定によって仏教の僧侶に吉凶を卜相することを禁じ、陰陽寮の組織体制が整備されました。上記の組織図は西暦757年に制定された養老律令の職員令に記載の資料に基づいて作成しています。

中務省は天皇の補佐や、詔勅の宣下や叙位など、朝廷に関する職務の全般を担う最重要の省庁で、陰陽寮はその下に財務管理を行う内蔵寮、図書の管理を行う図書寮などと並んで陰陽(占術)・暦・天文・漏刻等の管理を行う組織として設置された。

長官職として陰陽頭とその補佐の陰陽助、以下事務部門が陰陽允、大属、少属と下級役人にあたる使部が20名、雑用係の直丁が3名となっています。

技能分野は以下の四つ

1)陰陽部門(占筮と地の吉凶を占う)陰陽博士1名、陰陽師6名
2)暦部門(毎年の暦を作る、日月食を予報する)暦博士1名
3)天文部門(天文や気象の変異を占う)天文博士1名
4)漏刻部門(水時計の管理と時報を行う)漏刻博士2名、守辰丁は漏刻博士に従って時報の鐘をつく役割。

それぞれ、実習生として陰陽生、暦生、天文生が配置されている。

大宝律令での制定当時は亡命した百済・高句麗の知識人と、それまで占卜を行っていた僧侶たちを還俗させて人員にあてた。

実は、陰陽寮に関する資料は結構詳細に残っているらしく、例えば実習生たちはそれぞれ任官するにあたって以下のテキストを習得しておかなければならないとのことです。

陰陽生:周易・新撰陰陽書・黄帝金匱(こうていこんき)・五行大義
天文生:史記天官書・漢書天文志・晋書天文志・三家簿讃(さんかぼさん)・韓楊要集(かんようようしゅう)
暦生:漢書律暦志・晋書律暦志・大衍暦議・九章・六章・周ひ(骨へんに卑)・定天論

どれもそれぞれの分野における当時最高水準の専門書だとのこと。

また、実は評価制度や勤務状況などの資料も残っています。

律令制度下では毎年出勤日数や勤務態度に関する四種類の善、それぞれの職務に関する「最」の有無などにより上上から下下までの九段階の勤務査定を受けた。704年~714年ごろの文書と考えられる「官人考試帳」は、当時の査定表で、陰陽師や陰陽博士、天文博士らの査定が残されている。

例えば陰陽師の高金蔵さん。官位は正七位下行。能としては太一、遁甲、天文、六壬式、算術、相地に通じている。勤務態度は「恪勤すること懈(おこた)らざる善」、職務についても占卜の効験多き者の最、とのことで非常に有能だったと残っています。ちなみに出勤日数は年間309日。官人は基本240日出勤だったそうなので休日出勤ばりばりで激務だったようです。

同じく陰陽師の文忌寸広麻呂(ふみのいみきひまろ)さんは従七位下守。能が五行占、相地しかなく、これらはどちらも占具を用いずテキストに基づいて行うものだそうで、ちょっと能力的に劣っていたようです。でも勤務態度も成果も高金蔵さんと同じで頑張っていた模様。出勤日数は294日とやはり多め。

誰だよ、昔はそんなに労働時間が長くないとか言っていたの・・・って感じですが~。まぁ、一日の労働時間が短いのかもしれないですが、それでも現代と比べてもかなりシビアに評価され、勤務日数も多めで、激務っぽいですねぇ。もし2chが当時あったら新人陰陽生あたりが「陰陽寮に勤めてるんだが俺はもう駄目かもしれない」とかスレ立ててるかも(笑)

また、陰陽頭は初期は技術者が出世して統括する役割になっていたようですが、8世紀から9世紀にかけては陰陽寮官人であった大津大浦が謀反事件に連座して左遷、続いて時の陰陽頭兼天文博士であった山上船主も別の謀反事件に係わった罪によって失脚するなど不祥事が相次ぎ、約80年の間、儒家や貴族官僚が陰陽頭に就いていたとのこと。

ちなみにかの有名な安倍晴明は陰陽師から天文博士を経て主計寮(税務を司る部署)の主計権助(助と允の間:六位相当)に異動し、めざましくキャリアアップしていきました。

こういう資料を見ると、1000年経ってもそれほど実質は変わってない感じがひしひしと伝わってきてとても身近に感じますね。この頃はまだ技術官僚としての役割がほとんどで、物語に描かれるような呪術を使ったりはしませんでした。陰陽師たちが呪術を用いた呪術宗教家と化していくのは平安時代、怨霊信仰が貴族たちを中心に広がってからのことです。

ということで、何の役に立つのかさっぱりわからない陰陽師の組織に関するまとめでした。

参考サイト
陰陽道 – Wikipedia
陰陽寮 – Wikipedia
日本の官制 – Wikipedia

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