村上春樹が語る、これからの英語の重要性と変化について

村上春樹氏の英語論についてはてなブックマークで話題だったので、関連して村上春樹氏の英語観がよくあらわされているインタビューを紹介します。

河合隼雄著「こころの声を聴く―河合隼雄対話集 (新潮文庫)」(P266)
確か去年村上さんは、小説を書く、物語る以上、言語を使わなきゃいけない、その言語はたまたま偶然に日本語だとおっしゃったと思うんです。そういう意識というのは非常に強く持っていらっしゃるんですか。つまり英語で書いてもいいのか、ということです。いま河合先生が言われたような「私」を出発点とした普遍性を扱っている以上は、物語るメディウムもやっぱりひとつの普遍的なものを目指したほうがいいんでしょうか。

1994年、ブリンストン大学のジョーンズホールで百人程度の日米の聴衆を前に行われた心理学者の故・河合隼雄氏とのシンポジウムで司会者(ブリンストン大学助教授ホセア・平田氏)からこう問われた村上春樹氏は以下のように答えている。

前掲書(P266-267)
村上 僕は日本で生まれて日本語を母国語として育ってきて、日本語で書くし、それ以外の選択肢ってのはありえないわけですね。ただはっきり言って確かに言語は変わらざるをえないだろうと僕は思います。これはあまり面白くなく思う人もいると思うんですが、日本語も変わらざるをえないと思います。いま世界は、情報量の圧倒的な増加によってすごく狭くなっているわけです。コンピュータのネットワークが行き渡っている。それは、好むと好まざるとにかかわらず世界が英語化されているということなんです。例えばEUを統合してヨーロッパ的になって、反英米になるかと思うと、共通言語は英語なんですよね。僕は五、六年前イタリアにいたときには、まわりでは誰も英語なんか勉強しなかったけれど、今はイタリアの人はみんな一生懸命、英語を勉強している。EUが統合したからです。
今セカンド・ランゲージとして英語を教える人はメキシコへ行っている。これは、メキシコとカナダとアメリカが市場統合したからですね。ということは、好むと好まざるとにかかわらず。英語が共通言語になって、それがネットワークに乗るわけです。そのネットワークに乗せるためには日本人も英語を使わなくてはいけないけれど、日本人みんなが急に英語ができるわけはないから、どうしてもコンピュータのトランスレーション・システムが必要になってくる。そういうプログラムが。でも今の日本語をプログラムに載せてもうまく翻訳できない。日本語の言語システムと英語の言語システムがまったく違うからですね。とすると、英語の言語システムに近づく日本語の言語システムをまたつくらなくちゃいけなくなってくる。これは言葉は確実に変わっていきます。
僕はもちろん翻訳システムを使って小説を書いているわけではないですけれど、にもかかわらず意識の中では言葉の組み換えみたいなものが少しずつ進行している。これはいい悪いではないんです。既に起こりつつあることだし、起こっていることなんですよ。

「メキシコとカナダとアメリカが市場統合」とは1994年に発効したNAFTA北米自由貿易協定のこと。wikipedia(参照)によると2008年時点で人口4.4億人GDP値16.7兆USドル一人当たりGDP値37,615USドルで、市場規模はEUについで二位の巨大経済圏。
僕は英語は辞書を引きながらなんとか漠然と、強引に読む程度でしゃべるのも聴くのもさっぱりなので、まぁ、ライフハック的なおはなしはなんにも出来ないのだけど、全体像として春樹氏が言うように、英語がいわば公用語として広がっていく過程で日本語は変質していくことになるだろうということは強く同意するところです。
一方で、英語の方も世界に広がっていく過程で、地域の言語と混ざり合い大きく変わっていくという指摘が英米圏ではなされています。以前紹介した「英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)」から簡単にまとめると、英語圏の現状(2007年のデータ)は以下のとおり。
「母語としての英語」(English as a Native Language :ENL):約3億2000万人~4億人
英国、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの人々。
「第二言語としての英語」(Englisg as a Second Language :ESL):3億5000万人
ナイジェリア、インド、シンガポール、南アフリカなど世界70カ国。
「外国語としての英語」(English as a Foreign Language :EFL):約7億5000万人
英語を母語や公用語としていないが学校教育で英語を取り入れている国。日本など。
例えばBritish EnglishとAmerican EnglishとAustralian Englishがそれぞれ微妙にあるいは大きく違うように、特に今後さらなる拡大が予想されるESL、EFL圏で英語が現地語の影響を受け独自発展を遂げて最終的に英語同士でも微妙に通じないことになるのではないか、と特に英国の英語学者たちの間で言われており、チャールズ皇太子も91年に危惧を示すスピーチを行っています。

寺澤盾著「英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)」(P198)
今後は、一部のENLの国(とくに英国や米国)が、国際語としての英語をコントロールしていくことは難しくなっていくと思われる。むしろ、多数派となった ESLやEFLの使用者が、インターネットやテレビなどのメディアを通じて国際語としての英語に大きな影響を与えるようになるかもしれない。
(中略)
たとえば、多くの非母語話者にとって発音するのが難しい英語のthの音は、類似の/t/や/d/に置き換えられる傾向があるが、将来「国際語としての英語」からthの発音が消えていく可能性がないとはいえない。ENLのなかでも、アメリカ黒人英語などではすでにそうしたことは起こっており、また、航空管制英語(エアスピーク)でも英語を母語としないパイロット・管制官に配慮してthの音は避けられている。

寺澤前掲書(P199)
将来、イギリス英語やアメリカ英語の話者も、ESLやEFLの影響を受けた国際英語と母語である英語変種の2つを場面に応じて使い分ける必要が出てくるかもしれない。その時、はじめて英語は、一部のENL話者の手を離れ、真の意味で国際化したといえるかもしれない。

寺澤氏の指摘通り、英語が拡大する過程で、地域語の変化だけでなく、地域語によって英語が変化していくことになるのでしょう。
また少し違った視点からお話すると、英語の重要性が増して、さらに英語話者が拡大していくと、逆に地方語が活性化するのではないかとも考えられます。つまり言語と文化アイデンティティは密接に繋がっていて、例えば今でも保守的な人が「日本語の乱れ」を危惧するように、いわば言語ナショナリズム的な傾向が各地で登場してくる。
歴史を振り返ると、共通語であったラテン語の衰退は出版資本主義の隆盛によってでした。

ベネディクト・アンダーソン著「定本想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)」(P77)
一六世紀当時、ヨーロッパ全人口のなかで二つの言語を使える者の割合はきわめて小さく、それはおそらく今日、世界の全人口に締めるその割合を超えることはなかったであろうし、プロレタリア国際主義にもかかわらず、その割合はきたるべき数世紀にもあまり変わりそうにない。当時もいまも、人類の圧倒的多数は一言語だけを話す人々である。したがって、資本主義の論理からすれば、エリートのラテン語市場がひとたび飽和してしまえば、一言語だけを話す大衆の提示する巨大な潜在市場が手招きすることになる。

そこで、例えばドイツ語訳聖書のように各地方語での書籍が十六世紀から十九世紀にかけて圧倒的な数出版されることで、地域語であった英語やフランス語が共通語としてのラテン語に代わり国民国家の言語として発展、ひとつの言語、ひとつの国家としてヨーロッパに登場した国民国家は次々と世界中に植民地を建設。国際語としての地位を築いていきます。
おそらく、これから英語の重要性は加速度的に増して行き、英語話者は日本でもどんどん増えていくだろうと思われます。しかし、今後、日常生活で英語を必要とする層が、一言語だけの層を上回るということはやはり考えにくい。そのような中で現在の標準日本語に変わって方言や琉球語、アイヌ語などの地域語、今でも見られるケータイ語・2ch語のような共同体内の日本語など細分化され、より日常に密接な言語が、巨大な出版資本主義と春樹氏がインタビューで書いている「コンピュータのネットワーク」上に広がるメディアに乗って、十六世紀から十九世紀にかけてヨーロッパで起きたように、復興・発展してくるんじゃないかと思います。
そのような細分化された日常語と、国際語としての英語、さらに今後10億人以上になることが予想される国際語としての中国語、それらの間で影が薄くなる標準日本語などが混交し、クレオール化していくプロセスが今後100年ぐらいのスパンで展開していくんだろうなと漠然と思ったりはします。社会学者のジグムント・バウマンはリキッド・モダニティ(流動化する近代)と言いましたが、言語もまたリキッド・ランゲージとして流動化し転変していくその入口にあるという現状かもしれません。
まぁ、そのようなことで英語だけでなく、これから徐々に加速していく様々な言語の流動化がどのように展開していくかが見物と言えば見物です。ただ、その過程ですごい反動と対立もあるんだろうなぁ。ということで、てきとーにじゃなくちゃんと勉強しておこう。言語って難しい。
たった一つの言語しか知らないものは言語を知らないものである」ゲーテ
たったひとつの言語すらわかりません。精進します。ゲーテ先生。
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