「センセイの鞄」川上弘美著

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センセイの鞄 (文春文庫)
川上 弘美
文藝春秋
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川上弘美の「センセイの鞄 (文春文庫)」を読んだ。

川上弘美という作家の魅力はその無境界性にあるとおもう。生物と無生物の、人と人外の、わたしとあなたのそういった二項にわけられるものだけでなく、心と体と精神と命と過去と未来と死と大地と海とありとあらゆる言葉であらわすことのできるものと名付けることの出来ないあらゆるものとが渾然一体となって、その作品世界にたゆたいながら無造作に不定形なかたちを創りだしては、そのかたちを変えていき、読む者を侵食していく。

川上弘美の作品を手にするとき、僕は溶かされたいと思いながらページを開く。「蛇を踏む (文春文庫)」「溺レる (文春文庫)」「龍宮 (文春文庫)」「神様 (中公文庫)」などどの作品でも、その望み通り、僕はページを読み進めるごとに境界を失い、夢とうつつのあいだに、時間のはざまに溶かされていった。

この「センセイの鞄」もその無境界性は至る所に感じられる。過去の短編、例えば「溺レる」や「竜宮」などのようなプリミティブさとは違うがしなやかな無境界性がある。30代後半の女性「ツキコ」さんとツキコさんの高校時代の国語担当の教師「センセイ」が年齢差を超えて次第にその関係を育んでいく様子が描かれるわけだが、その心の交歓は身体を超えてとてもリキッドに、川が流れるようにゆらゆらと心地良く進んでいく。

特に、僕が「ああ・・・」と思ったのはここ。ツキコさんが独りの正月でふと昔の恋人のことを思い出して、そしてその気持ちのすれ違いを思い返し、その思いを引きずりつつ、夜の散歩に出る。

P93-94
オリオンの三つ星がきれいに見えていた。まっすぐに、歩いた。元気よさげな歩調で、歩いた。歩いているうちに、少しだけ体があたたまってきた。どこかの犬に吠えられて、一瞬涙が出た。じきに四十歳にもなろうというのに、子供みたいになっている。子供のように、手を大きく振って、歩いた。空き缶があれば、蹴った。みちばたの枯れ草を、何本も折りとった。自転車が何台も、駅のほうから走ってくる。無灯火の一台にぶつかりそうになり、おこられた。また涙がじんわりと出た。座りこんでしくしく泣きたくなった。しかし寒いので、やめておいた。

すっかり子供になっている。バス停の前に、立った。十分ほど待ったが、来ない。時刻表を見ると、最終のバスはすでに出てしまっていた。ますます心ぼそくなった。足ぶみをした。体が、あたたまらない。こういうとき、大人ならば、どうやってあたたまればいいのかを、知っている。今わたしは子供なので、あたたまりかたが、わからない。

そのまま駅に向かって歩いた。いつも見慣れている道が、よそよそしかった。長く道草をして、日が暮れて、家までの道がぜんぜんちがうもののように感じられた子供のころに、すっかり戻っていた。

僕もこのツキコさんと同世代なのだが、歳のせいなのだろうか、僕も散歩をしていてよく子供になる。昔から犬は大の苦手だったが、今は普通に歩いていても犬に吠えられると本当に泣きそうになる。元気よく手を振って歩き、住宅街や川沿いの道をまさに子供の気分で抜けて行き、しかし何かの拍子に泣きそうになる。そして、ふと、見慣れているはずの道が、未知の異世界へと繋がる道になったように感じる。たぶん、多くの人は笑い飛ばすだろうし、あるいはおかしくなったと思うのだろう。だが、僕はしきりに子供になる。

「子供になる」というのは、つまり、世界を認識する際に自己の理解の及ぶ範囲を秩序だてられた「わたし」とし、その外部を未知とする二元論的な空間認識を行うことだ。「わたし」の外には混沌が広がる。そして秩序と混沌とのあいだは流動的になる。「わたし」が揺らぐとき、混沌は秩序の世界に侵食してこようとする。そのような無境界性あるいは境界線の流動化が、子供になるということだ。日常の世界を侵食する非日常の世界。その境界に見え隠れする「ぜんぜんちがうもの」。この部分の描写は川上弘美の魅力である、無境界さ、混沌さが不意に顔を見せたところだったとおもう。それゆえに、自身のこととも重なってとても印象的だった。

「ツキコさん」と「センセイ」の関係は、身体という境界を飛び越えて、かたちのないこころのレイヤーで少しづつある一定のかたちを創り上げようと緩やかに進んでいく訳で、その様子が美しかった。かたちのないものが、徐々にその姿を顕していく過程で、かたちのあるものも結ばれていく様子が心地良かった。そして、最後に残った空っぽの「センセイの鞄」が伝える、何も無いという存在感に少し込み上げてくるものがあった。

P270
そんな夜には、センセイの鞄を開けて、中を覗いてみる。鞄の中には、からっぽの、何もない空間が、広がっている。ただ儚々とした空間ばかりが、広がっているのである。

空っぽの鞄の中にある無と有の境界を超えて存在するもの。川上弘美の真骨頂だとおもった。

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