宗教とは何かを理解するための6つの諸類型かんたんなまとめ

最近、もろもろな事柄について基本をきちんとおさえていないことを反省することが多いので、しばらくいろいろ基本的な理解をまとめていこうと思う。ということで宗教の類型について。
宗教とは何か、といっても宗教は一様ではなく、様々な地域や人々に応じて多種多様な発展を遂げてきている。宗教学の入門書の金字塔として知られる脇本平也著「宗教学入門 (講談社学術文庫)」ではオーソドックスな宗教の諸類型が紹介されており、その類型を知ることで世界の諸宗教の全体像を把握するアプローチについて理解ができる。以下「宗教学入門」P80~98からを中心にまとめ。
1)有神的宗教と無神的宗教
■有神的宗教
キリスト教をベースとした宗教の研究はアニミズムから唯一神信仰へと至る進化論的な図式に当てはめて捉えられた。
精霊崇拝→デーモン崇拝→多神教→単一神教・交替神教→唯一神教という一直線の進化思想である。
a)精霊崇拝
「精霊」:「アニミズムに基づく霊的・人格的存在ではあるが、まだ十分に個性化していないもの、主として自然現象や自然物と結びついてとらえられるもの、たとえば雨や風の霊とか花や鳥の精霊」(P82)などを指す。
b)デーモン崇拝
「デーモン」:精霊から神に至る途中の段階にあるものとされるが、その意味は明確ではない。善なる神に反抗する悪しき悪魔や、現世を超越する神に対して、現世的な英雄や鬼神などを指すことが多い。
c)多神教
デーモンや精霊などの霊的存在が発展し、固有の名前を持ち、固有の職能を司る存在となって人格化・個性化が進むことで「神」の観念が成立する。このような「神」が複数の形で崇拝される形態が多神教と呼ばれる。
d)単一神教
多神教信仰がさらに発展する過程で神々の間でも、神々が同等ではなく上下の階層的位置づけがなされ、一柱の神が神々の最高位について神々の王として君臨するような形態を単一神教と呼ぶ。ギリシア神話など。
e)交替神教
単一神教の神々の王にあたる最高神が、時と場合によって替わっていく形態を交替神教を呼ぶ。宗教学者マックス・ミュラーが命名した。古代インドのヴェーダ聖典など。
f)唯一神教
c~eなど複数の神々に対する信仰が徹底して純一化され、真に神の名に値する神だけを唯一絶対のものとして成立する形態を唯一神教と呼ぶ。キリスト教やイスラム教など。
唯一神教とその他の類型では決定的な違いがある。特に多神教系の宗教は、基本的に人間の都合で神への信仰がなされる。つまり社会の諸現象ごとに神々がおり、特に社会に密接な神(農耕・太陽・大地・狩猟など)が信仰の対象となり、その重要度や貢献度(祈ったのに不作だった、日照りが続いたなど)によって信仰が乗り換えられるなど現世利益的特徴を持ち、主導権は人間の側にあるのに対して、唯一神教は絶対的な神が存在するため、神を選ぶなどの主導権は人間には無い。唯一神の下では基本的に人間は罪人とされ、神の教えに基づいた日々の信仰や努力が重要となる。また、唯一神の下では人々は平等であり、それゆえに多神教と違って普遍主義的傾向も持つようになる。
■無神的宗教
有神的宗教のような神観念を中心として、その神の数を基準にする「神を立てる宗教」の分類はキリスト教の立場に立ち、キリスト教のような唯一神教を最進化系とした進化論的類型だが、これに対して、神観念を中心としない「神を立てない宗教」も多く存在する。
a)マナイズム
マナはメラネシアの先住民たちの間で信じられている「何か超自然的で非人格的な力であり、人間生活の吉凶禍福を支配する」力のことで、このマナ的な力の前で「驚きや怖れや不思議の感や畏怖の情にうたれて、自分の行為をとくに慎み、おそれかしこんで」日々の生活を送ろうとする信仰がマナイズムと呼ばれる。
マナの前で、慎まれる凡俗な行為がタブー(禁忌)と呼ばれ、このマナとタブーの組み合わせが原始宗教社会の最小限度の定義であるとされた。
日本においても、マナと類似の観念として「いつ」(稜威、厳、逸、著)が該当すると考えられている。逸材、逸物などのように何かすぐれて不思議な力を示し、この「いつ」の前で行為を慎むタブーが「斎く」とされる。
西行法師が詠った「何ごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」などはマナ的観念と類似のスピリチュアルな感覚のあらわれであるようにも思われる。
b)仏教
仏教はそもそもは神仏など人格的・心霊的存在ではなく「人間が聖なる法を悟り正しい道を行じてみずから解脱することを述べた宗教」であり、その法(ダルマ)を覚った、いわば最高の知性の持ち主が仏陀(ブッダ)として敬意を表された。その法が四諦八正道という四つの真理とその真理に基づいた八つの道であるとされる。
このため、仏教は多神教か唯一神教かなどの神観念の有無や神の数では測ることが出来ない。
c)ヒューマニズムの宗教
特に近代において、宗教は否定しないが人格神としての神は信じない。そのかわり普遍的理想への信仰という傾向が大きくなる。例えば人類愛や世界平和などで、これらは特にキリスト教世界では有神的宗教をベースにしつつ宗教否定の無神論とも違う無神的宗教の一類型として「ヒューマニズムの宗教」と言われる。
この「ヒューマニズムの宗教」の例として、「宗教学入門」では二十世紀前半の思想家ジョン・デューイの「コモン・フェイス」という考え方が紹介されている。
デューイは既存宗教の役割は近代に入ってすでに終わったとして、既存宗教に代わる「ヒューマニズムの宗教」を提唱する。

P85-86
しかしながら、過去の歴史上に成立した諸宗教が今日否定されねばならないとしても、宗教的なるもの(ザ・レリジャス)は、依然として人類にとって否定することのできない大切なものだというのです。そして、ここで「宗教的なるもの」と呼ぶのは、特定の神を信じるとか、教団の権威に裏づけられた教義を信ずるとかいう事柄とは全く別である。そうではなくて、ひとりひとりの人間が、心の内に社会的・人類的な理想にめざめ、これに身を捧げてひたすら生きるということを意味している。つまり、人間として究極的な意味をもつ理想におのれを賭け、全人的に命を燃やして生きる。デューイはその生き方をザ・レリジャスと呼んだのです。

ほぼ、キリスト教の持つ普遍性に対する信仰の側面が強化された形態の一つとして捉えられるようでもある。
この有神的宗教と無神的宗教の類型は、例えば唯一神教とされるキリスト教も、その発展の段階でイエスや精霊、さらに天使など多神教・単一神教的な側面があり、さらに近代に入っては神や聖書をそのまま信じるのではなくその普遍的理念こそ重視する無神的宗教の傾向を強くしていった。また仏教も無神的宗教として始まりつつ諸仏が神格化されていき、また各地に伝播する過程で諸宗教と混じり合い多神教・単一神教的傾向を強くし、あるいは、唯一神教的な形態にもなるなど、有神的宗教の側面を取り入れていった。
2)権威主義的宗教と人間主義的宗教
リベラリズムの思想家エーリッヒ・フロムはファシズム批判の文脈で宗教を権威主義的宗教と人間主義的宗教とに分類した。
a)権威主義的宗教
フロムは人間自身とは異なる、絶対的な外在的権威に盲目的に従う態度を権威主義と呼び、ファシズムも権威主義的宗教の一つとして批判した。
b)人間主義的宗教
外在的権威を排し、理性・愛・自由・創造性など人間自身の中に権威を見出すものを人間主義と呼び、その人間性の尊厳を守る人間主義的宗教を称揚した。
このように、フロムは基本的にナチスドイツに代表されるファシズムを権威主義的宗教として批判し、それに人間主義的宗教を対置させたが、この権威主義的宗教も人間主義的宗教も実際に純粋な形で歴史上の諸宗教に当てはめることは出来ない。基本的には一つの宗教は権威主義的側面も人間主義的側面も持っており、各宗教が持つ「尊厳なる人間性を開発し錬磨してゆくようなはたらきの側面」が人間主義的宗教(ヒューマニズムの宗教)とされた。
3)神秘主義的宗教と預言者的宗教
■神秘主義的宗教
例えば絶対者である神と一つになる、あるいは森羅万象の法則を悟るなどといった神秘的な体験を中心として展開する宗教のこと。
a)神秘体験を重視するため浮世離れして、この世の善悪をも超越し超倫理的な傾向が強い
b)個々の内心の神秘体験を重視するため、個人主義的傾向を持ち、時間を超越する非歴史性に傾く。
c)宗教の違いに拘らず、共通の体験を容認し、他宗教に対しても寛容な傾向を持つ。
■預言者的宗教
預言者が神の言葉を預かり、多くの人々に伝えることで神の意志を実現しようとする召命体験を中心とする宗教のこと。
a)神の意志に従って社会改革をしようとし、善悪の基準など宗教倫理の確立を目指す傾向が強い
b)独特な共同体形成を志向し、歴史性を重視する。
c)自身の信じる神の意志を重視するため、他宗教に対して非寛容的傾向を持つ。
これで面白いのは、仏教は開祖である釈迦の神秘体験から始まる神秘主義的宗教の特徴を持っていたが、その展開過程で徐々に仏陀が神格化し超越者となっていく過程で、預言者的な聖人たちが仏の言葉を預かる預言者的宗教の側面を強くして行ったのに対して、キリスト教やイスラム教などは開祖のイエスやムハンマドが神の言葉を預かりそれを広める預言者的宗教として始まり、その展開過程で様々な修行者によって神秘体験が重視され、神秘主義的宗教の側面を強くしていった。
この二つについても、特に普遍宗教であれば両方を合わせ持つ相補的な類型であるように見えるが、預言者的宗教は、その始まりは基本的に唯一神教であるのに対して、神秘主義的宗教は有神的宗教、無神的宗教を問わず広く当てはまる。預言者となること自体が神秘主義的であるからだともいえるだろう。
4)汎神的宗教
神秘主義的な立場に基づいて有神的・無神的を問わず「神的・絶対的な存在や理法が、宇宙一切の存在にあまねく行きわたっている、あるいは宇宙全体と一致しているというような宗教の立場」を汎神的宗教と呼ぶ。エックハルトが説いた神との合一、仏教の一切衆生悉有仏性などは汎神的宗教の側面と考えられる。
5)救い型、悟り型、つながり型
有神的宗教、無神的宗教、汎神的宗教など神観念を中心とした類型に対して宗教学者岸本英夫は救い型、悟り型、つながり型の三つの類型に分類した。
a)救い型
キリスト教などに特徴的な、人間を罪人とみなして、神がその救済を行うという信仰を根本としている宗教。
b)悟り型
仏教のように神からの救済ではなく自身の悟りを重視する宗教。
c)つながり型
各種民族宗教のように、生まれた時から民族や共同体などでの信仰に組み込まれ、その社会とのつながりの中に人生の意義を見出す宗教。
救い型と悟り型は例えば大乗仏教が一切衆生を救済する仏という思想であるように、一つの宗教で両方の類型が併存することが多い。また、つながり型について、宗教学入門では日本の神道を例にしているが、神道についてはそれ単体ではなく、神仏儒や土着信仰などの混淆としての信仰が村落共同体に対するつながり型的側面を持つものであったように思うので、敢えて例には挙げなかった。おそらく神道単体で「つながり型」的に機能したのは、二十世紀初頭の数十年だけではないだろうか。
6)民族宗教と世界宗教
民族宗教は原始宗教、ユダヤ教、神道など主に一民族内で信仰される宗教、世界宗教は仏教、キリスト教、イスラム教など広く信仰される宗教とされるが、どちらもかなりアバウトで広い類型になる。
民族宗教と世界宗教は大きく以下の5つの点で対象的であるという。
a)民族宗教は信者の範囲が概ね特定の一民族に限られているのに対して、世界宗教は特定民族の範囲を超え諸民族の宗教として普遍的に信仰される。
b)民族宗教は該当する民族の血縁的・地縁的つながりに基礎をおいて成立しているため、その共同体の社会環境を重視し、現世志向的傾向を持つのに対し、世界宗教は特定の民族、階層に左右されず個々人を対象として信仰が説かれる。そのため、現実の社会で機能する階層や差別など現世の秩序に否定的で、普遍性を追求する傾向を持つ。
c)民族宗教は多くの場合、自然発生的に誕生したものであるのに対して、世界宗教はそれぞれの教祖によって提唱された。前者を「自然宗教」、後者を「創唱宗教」という。
d)民族宗教では、生まれながらにしてその宗教の信者となり、個人の選択の余地がないことが多く、社会集団と宗教集団が未分化である傾向が強い。それに対して世界宗教は教団組織内で役割分担が明確で、社会集団と宗教組織は分化され社会の中の特殊集団として位置づけられる。また、その教団のメンバーになるかどうかは個人の信仰や自由にまかせられる。
e)民族宗教は政治と一致しようとする傾向が強いのに対して、世界宗教は政治から独立しようとする傾向が強い。
———–
このように宗教の様々な類型があるが、どれも純粋な形で存在するものは無い。各宗教が持つ様々な特徴の一側面を切り取って、その宗教を理解するアプローチとして類型立てられている。このような諸類型が流動的に組み合わさって宗教は成立していると考えるべきだと思う。
よく類型やタイプ分けは固定的なものとしてとらえられがちだが、あくまで対象を理解するためのきっかけであり、宗教に限らず人の営みである以上、対象は多様で動的なものであるとおもう。
対象を固定的で一面的に解釈することの危険性は河合隼雄がこう書いている。宗教ではなく精神分析についてであるが、重要な指摘だとおもうので一応紹介。

河合隼雄著「ユング心理学入門」(P38)
まず、タイプを分けることは、ある個人の人格に接近するための方向づけを与える座標軸の設定であり、個人を分類するための分類箱を設定するものではないことを強調したい。類型論の本を初めて読んだようなひとがおかしやすい誤りは、後者のような考えにとらわれてしまって、すぐに人間をA型とかB型とかにきめつけてしまうことである。
(中略)
類型学を一つの座標軸として考えると、むしろ軸上に存在したり、ずっと静止していたりするひとはまれである、軸からのずれや、軸を一つの起点としてその動きを追跡することによって、個人の特性をみてみようとするものであって、この点はるかに実際的である。

例えば宗教を一般的なイメージである「宗教」――あらゆる宗教は権威主義的宗教のような偏狭さで民族宗教的な不自由さ、マナイズムや精霊信仰的な非現実性のものである――と固定的に思い込むのは間違いで、想像以上に多様で動的であり、その様々な側面をよく理解することが大事だと思う。それは上記引用部分の本筋であるように宗教だけではなく、対人関係でこそ重要であり、さらに忘れてはならないのは対他だけではなく自身に対して言えることだ。
自身を何らかの類型に当てはめ、固定的に考えることで、その類型に当てはまらない側面を切り捨て、あるいは目を向けようとしないことは往々にして起こりうる。一面的に見て、一つの型にはめることで安心するからだ。しかし、その切り捨てられた側面は、見えなくなっているだけで抑圧されている可能性がある。その抑圧された自身の心理的側面のことをコンプレックスと呼び、望まずして様々な問題を引き起こす要因にもなる。
同様に他者や集団、宗教、組織などについても一面的に類型に固定して相手を捉えるとき、それは対象を抑圧している可能性に思い当たる必要があるだろう。そしてその抑圧が、相手を追い詰め、時にかたくなにしているかもしれない。
多様性に目を向けるアプローチとして類型をとらえることが重要であり、決して類型という型にはめて、目先の安心を得ようとしないこと。それが他者や自己の理解への第一歩だと思う。これは、僕自身強く自戒したいこととして、少し本題からずれるが、類型うんぬんを取り上げるについて敢えて書いておく。
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