「あのな、ええことおせちゃる」作家車谷長吉の母が説いた人生の言葉

車谷長吉(本名車谷嘉彦)は「最後の文士」「新無頼派」などと呼ばれ、また自身で「反時代的毒虫」と名乗る異端の私小説作家である。昭和二十年兵庫県飾磨市(現兵庫県姫路市飾磨区)の農家に生まれ、慶応義塾大学を卒業後、広告代理店に入社。のち雑誌出版社に転職するも、会社員生活に行き詰まり、三十一歳で無一文となって実家に戻ったのち、住所不定となって関西一帯の料理屋を転々とし、三十九歳で再起を図るべく再上京。つてを辿って嘱託社員として働きつつ、小説を書き、四十七歳のときに発表した短編「塩壷の匙 (新潮文庫)」が芸術選奨文部大臣新人賞と三島由紀夫賞のダブル受賞となって遅咲きのデビューを果たすと、続く短編「漂流物 (新潮文庫)」で平林たい子文学賞、五十三歳で発表の長編「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞、五十代に入ってようやく長く曲がりくねった道を経て一躍大作家へと躍り出た苦労人である。

彼の作品は、自身のことや家族、関わる人々の欲と業にまみれた様子について、ほぼ実名で赤裸々すぎるほどに深く描き、それゆえに幾度も裁判沙汰になっている。だが、その描かれる世界は、見てはいけないもの、禁忌だけが持つ魔力に満ちていて、一度読み始めるともはや逃れられない引力を持っている。

そんな彼の作品ではたびたび彼の母が登場する。特に短篇集「漂流物」に収録の「抜髪」は母信子が、無一文になって実家に引きこもる息子に対して語った様々な因果を含めた言葉で構成されており、異彩を放っている。その他、短篇集「飆風」に収録の「桃の実一ケ」も母の独り語りであり、どちらもその母のもつ生身の言葉に満ちている。そんな中から特に心に残った車谷長吉の母が説いた十の言葉を紹介する。

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1)うそとほんと

「あんたはほんまのこと言いすぎる。何よのことに言いすぎる。ほんまのこと言うたらあかんで。言うたら、恐いで。人に襲われるで。人は蠍やで。蝮(ハメ)やで。ほんまのこと言うたら、恙虫(ツツガムシ)に咬まれるで。けど、うそついたら、あかんで。ほんまのこと言うのも恐いけど、うそついたら、あとでわが身が困るで。うそにはならんようなうそを言うんやで。」

2)褒められるということは

「みな人にほめられたいん。ほめられとうて、ほめられとうて、犬が餌待っとるようなもんやが。あの人みて見ィ。ほめられたら、ええ気持ちになって。ころっとだまされて、お追従しよってやが。うちが思うには、ほめられるいうことは耳の穴に毒流し込まれることや。うちもじきにええ気持ちになる。」

3)因縁と銭

「言葉が因縁を発生させて行くんや。新興宗教の教祖さまな、次ぎ次ぎに言葉で因縁発生させて行ってや。そやさかい次ぎ次ぎに銭が取れるんや。愚か者が銭包んで持って行くんや。偉いもんや。これが新興宗教と陰陽師のからくりや。文学の世界の原稿料と印税と一緒や。」

車谷長吉の母信子は昭和十八年五月、数え十九歳のとき自作農で呉服屋も営む車谷市郎の元へ嫁入りしてきた。市郎は生来の吃音で、吃音は一生治らなかった。嫁入り後、親族の死や吃音に悩む夫の病気、金銭的な困窮、子供たちの将来など様々な生活の苦労から、いくつもの新興宗教に入信していた。
ここで言う因縁とは「ある結果の生ずる直接の原因を「因」といい、その因をして結果に到達させる間接の原因を「縁」という」仏教の根本概念から転じた呪術的思考、例えば車谷家の場合はお父さんも次男も失業し、長女は引きこもり、長男の車谷長吉もまた無一文で実家に戻ってきて、親族は変死するなど悪いことが重なっていた。その理由を家に取り付いている悪因縁、と母は考え、陰陽師や新興宗教などに多額のお金をつぎ込んでしまっていたという。
言葉が人を呪縛し、目に見えない何かにかたちを与える。そして、その言葉を操ることそのものが持つ業について、彼女自身の体験から発せられている。

4)孤独の弱さ

「生活に困っとう人のとこへは、人は寄って来んな。養老院へ行って見な。淋しいもんや。家族ですら、来てくれへんがな。捨てられてもて。けど、世ン中のえらい人のところへは、次ぎから次ぎへ人が寄っていくな。みて見な、みなおべんちゃら言いに行きよってやがな。ほちゃほちゃ言うて。まあ、えらい人は半分は自分で呼び寄せてんやけど。生活に困っとっての人のとこへや、寄って来んのは、半分はペテン師やがな。困っとう人には、心のどこぞに、ええ目見たい、いう気持ちがあるさかい、ころっと詐欺師にいかれてもてやァ。どっちもどっちやけど、人が寄って来てくれへんのは、淋しいな。」

5)人に見られるということは

「別嬪さんが見る世ン中と、うちみたいな鼻べちゃが見る世ン中とは、べつの世ン中や。同じ世ン中に暮らしとっても、目ェに写る風景が違うが。風景の色が違うが。男のおなごを見る目ェが違うがな。見られるいうことは恐いことやで。」

見る覚悟をすることもまた恐ろしい。男が想像しているよりはるかに、女性にとって鋭い風景が広がっているのだということは、身近な女性たちから伝え聞く範囲で実感する。そのような中で、僕は自身の見ることに対する無頓着さが恐ろしいと思う。

6)人の一生には勝負せざるを得ない時がある

「人の一生には、勝負せざるを得ん時がある。勝負やすんの、いややな、思とっても、そうせざるを得ん時が、かならず来る。野球の試合や見に行くのんは、人に勝負させといて、それ見に行くだけや。むごいィ。けど、そういう人にも、わが身が勝負せざるを得ん時が、かならず来る。あんたの場合を言えば、五十点以下の実力で勝負せんならんが。頭の決心と心の決心は別物やで。あんた頭ン中で立てた夏休みの計画が実行出来へんままに、自分をあざむいて、夏の終りむかえた、いうことがあるやろ。あれ悲しいが。情けないが。頭やたよりにならへん、いうことや。淋しいが。なんぼ頭がようても、頭がええだけ頓馬(トンマ)やが。けど、頭のええ人は頭にしがみ付いてん。わしはえらい、思て。そない思て、我が身の頭ン中の落し穴に落ちてん。はて、どななえらい人でも、人のえらさには限りがあるけど、人の愚かさは底無し沼やが。人が勝負しよってん、はたから見とるの楽しいィ。真剣勝負であればあるほど、楽しいィ。」

人の真剣勝負を見ることのむごさ。むごさを内包しているがゆえに、それを見ることは楽しい、という真理を突いているとおもう。それ以上に、自身を欺いて、自身の愚かさに嵌ることを鋭く指摘していて、はっとさせられる。自身の愚かさこそ見つめ、そして好むと好まざるとに関わらず訪れる勝負せざるを得ない時は頭ではなく心だと。それこそが難しい。

7)義理とお義理

「義理とお義理は違うで。水と油ほど違うで。世ン中では、お義理のことを義理と言うんや。そない言いくるめて、人を雁字搦めにするんや。そなな義理は踏み潰しといたら、ええんや。お上品のことを、上品と言いつくろうんや。」

この微妙な違いは、ほんとうにむずかしい。世間知というものなのだが、このような微妙な関係性の襞は、現代には無くなっているようで、実は根深く、菌類のように深く張り巡らされていたりもして、この違いでたびたび躓いてきた。たぶん一生わからないだろう。

8)悪をなさしめるもの

「人の一生は、金いう蠍に咬みつかれとうようなもんや。めんめらみたいな貧乏人は、ことにそうや。この世は一日たりとも、銭なしには暮らせへん。むかしは井戸の水やった。井戸の水はなんぼ使てもただや。けど、今日びのようにお上のお達しで、水道の水使て暮らさんならんようになったら、月づき何が違ても基本料金だけは、いるがな。水は命の水や。首根ッこ圧さえられとうようなもんやがな。基本料金とそれに使た分を払うために、その分どないしても余計に稼がな、ならんが。基本料金は水道だけやないで。電気、ガス、電話、新聞、TV、教育費、ガソリン代、税金、お医者はんに取られる銭、そのほか数え上げたら切りがないで。今日びでは子供を補習塾へ行かせるんも、スイミング・クラブへ通わせるのんも、生活の基本料金の内やがな。これが近代生活や。便利になって、楽して、横着して、その分ずつ生活が苦しいになって行くが。その分だけ忙しなって、追いまくられて行くが。それでも世ン中の仕組みは、銭を使わせるように、使わせるようになって行くが。そないなって行くさかい、その分だけようけ銭を稼ぎ出さなならんように、なって行くが。みな欲どしいが。その分だけ、世ン中の気風は悪うなって行く。みなえげつないが。欲どい人にならざるを得んように、追われて行くが。ひいひい言うて。これが新聞に書いたあるナウい生活や。うちは日本経済新聞読んどんや。人は墓穴を掘るんが好きなんや。人の性根は悪や。悪にならざるを得んように出来とう。だれも好き好んで悪をしようわけやない。みな、いややろ。けど悪をなさざるを得んように出来とんや。世ン中の仕組みも、人の心ン中も。」

長吉の母方の曾祖父(信子の祖父)は貧乏な家に生まれ、幼くして家を出されたあと、鍛冶職人を経て、妻(曾祖母)と高利貸しで財を無したという。特に曾祖母はヤクザ相手にも一歩も引かない豪胆な女傑だったのだそうだ。その銭が持つ本質に幼い頃から接してきたのだろう。

まさに悪人正機説的な視点で現代の資本主義社会を切り取っている。若干鋭すぎて、母の口を借りて長吉が言わせているのかもしれない、とも思うが、色々読んでみるとこれぐらいは言いそうな雰囲気もある。「悪をなさざるを得んように出来とんや。世ン中の仕組みも、人の心ン中も。」とずばっと言われると、僕自身薄々そうは思ってはいたものの、やはり鼻白む。

9)死に物狂いの藝をしろ

「あんた仕事捜しに行きな。今日はええ天気や。あんたのようにあれもいや、これもいやでは生きて行けへんが。あんたにはうちのこの嘆きが分るか。この悲しい気持ちが分るか。あんたはまだ崖の途中に引っ掛かっとんや。まだなんとかして、も一遍崖の上へ這い上がりたいんや。そやからそななこと言うとんや。皿を喰いなッ。わが身を崖の下へ突き落としなッ。恐いで。そら、恐いで。うちにはあんたを突き落として上げる、いうような親切心は一かけらもないで。自分で自分を突き落としな。だァれもあんたを助けてくれる人はないで。そなな人があるかいな。たよりになるのは自分だけやで。人に助けてもらお思たら、銭出さな助けてもらえへん。あんたにはその銭がない。一生、世ン中のドン底這いずり回って死んだら、ええやないか。あんた死ぬのが恐いんや。臆病や。野垂死にしたら、ええやないか。今日びでは野垂死にすんのも、イーズィーやないで。うちはこのごろ英語憶えたんや。朝日新聞で。日本経済新聞から宗旨変えたんや。うちころっと宗旨変えるん。尻が軽いやろ。販売員の人がうちの前で泪流したったん。お願いします、言うて。泣き落としやわな。半分は空泪やわな。けど、泣き落としやろうと、なんやろうと、見事なもんや。あれが藝や。
(中略)
あんたも藝をしな。一流の藝をしな。小説書くことも藝やがな。旅館で下足揃えてくれてんのも藝やがな。あんたは藝なしやったんやがな。小説家も旅館の下足番もいっしょやがな。ともに藝をしてんやがな。あんたはあんたに出来る藝をしな。それでええんやがな。」

車谷長吉は会社勤めをしながら小説家を志して、いくつかの作品を発表したものの、後が続かず、会社勤めにも行き詰って仕事をやめ、次の職にもつかず一文無しとなって旅館の下足番などを経て三十一歳のとき実家に戻り、何もしない毎日を送っていたという。

自室でぼんやりと小説を読んでいた長吉の姿を見るにみかねて母がぐさりと突き刺したこの言葉は、もはやぐうの音もでないすごい勢いだ。自分で自分を地の底へ突き落とせと。野垂死ぬ覚悟をしろと。しかし、あんたはあんたに出来る藝をすればいいんだと。

このあと一念発起した長吉は料理の専門学校に通い、家を出て関西の様々な料理屋を住み込みで転々としつつ働き、その中でいくつかの作品を書いて再び望みをつなぐ。そしてこの放浪生活の経験を元に書いた短編「漂流物」、長編「赤目四十八滝心中未遂」が後に彼の出世作となっていくのである。特に「赤目四十八滝心中未遂」は寺島しのぶをヒロインにして映画化され、彼女の体当たりの演技もあって映画賞を総なめにし、近年の日本映画の傑作としても知られている。

「あんたはあんたに出来る藝をしな。それでええんやがな。」・・・車谷長吉は車谷長吉にしかできない超一流の藝を身につけていった。

10)タダより恐いものはない

「あんた賞金百萬円ももうたん。記念のこなな立派な懐中時計ももうて。ほう。文学賞いうたら、えらい具合ええやないか。金と名誉が一遍に入って来んねやさかい、人が欲しがるはずや。そななもん、もうて。ほう。困ってまうな。けど、それはあんたがもうたんやないで。一時預かりの銭やで。あの人ら、いずれ元取ろうとしてやで。あんたに預けた百萬円、二百萬にして返してもらおうとしてやで。それやなかったら、あの会社が八十年も百年も続いてきたはずがないやないか。勿論、そなな顔はしてないけど。それがこの世やで。こななこと言うたら、身も蓋もないけど、人に銭もらうぐらい恐ろしいことはないで。あんたもいただいた百萬円、これから少しずつ返して行かな、あかんで。二百萬にして返さな、いかんで。その積もりやなかったら、この世は生きて行かれへんで。死の病やで。わが身の命と引き換えやで。ええな。うちは因果をふくめるで。」

四十七歳にして苦難の果てについに陽の目を浴びた長吉の文学賞受賞に際して、敢えて厳しい言葉を投げかけ、息子の身体にその言葉を刻み付ける母。
此の後も車谷長吉は傑作を書き続け、今や私小説の第一人者、大作家へと大成した。二百萬と言わず多くの銭を出版社へ返しただろう。

最後に、もう一つ。車谷長吉は幼い頃小次郎という名の百舌鳥を飼っていたが、その鳥がある日近所に住むおすみはんという女性が飼っていた猫梅子に食われてしまう。癇癪を起こした彼はその猫を殺してしまい、その幼き車谷長吉=嘉彦少年の残虐な振る舞いを後年振り返って、母は彼にこう言った。

「お母ちゃんが、あんたの代わりに地獄へ行って上げる。冥土で、小次郎と梅子とおすみはんの前に両手突いて、あんたに代わってお詫びして上げる。」

こう言われては、一生その罪の意識から逃れられないだろう・・・母の愛は時に呪詛である。このような弱さも汚さも全部引き受けて命がけでぶつかってくる母親像というのは、時に子供を支配し、呪縛してしまうものでもあると思うが、一方で子供の側がそれに命がけで向き合うことが出来たとき、その呪縛から抜けだして「私」を創り上げて、大きく飛躍させるものでもあるのだろう。

何度読んでも壮絶なので、まとめずにはいられなかった。

1,2,4~10は「漂流物 (新潮文庫)」収録「抜髪」、3は「飆風 (文春文庫)」収録「桃の実一ケ」より引用。プロフィールは「贋世捨人 (文春文庫)」付属の「車谷長吉自歴譜」他参考。

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