「ハイパー宗教」化する現代の新宗教運動

十九世紀末以降近代に入ってから登場した宗教は、それまでのキリスト教・イスラム教・仏教等伝統宗教に対して新宗教(新興宗教)と呼んで区別されることが多い。特に日本では幕末~明治初期と昭和初期~第二次大戦後の時期に多くの新宗教が登場した。ただし、この頃の新宗教は新とは言ってもかつての伝統宗教と教義や儀礼等の面で一定の連続性や影響があり、明確に区別されうるものではないとされる。

これに対して1970~80年代以降に登場する新興宗教群はその特徴において旧来の伝統宗教からの影響が不明確なものが多く登場してきており、新宗教と区別して新新宗教としてくくられることもある。その近年になって登場してきた新新宗教群の特徴を宗教学者の井上順孝は「ハイパー宗教」と呼んでいる。

「ハイパー」というのは伝統宗教に囚われないハイパー・トラディショナルという意味とともにインターネット用語であるハイパーリンクのように、過去の様々な伝統宗教の素材を自由につなぎあわせて新たな宗教を作り上げている側面を指している。

井上順孝著「若者と現代宗教―失われた座標軸 (ちくま新書)」P198
ハイパーという語に含めた意味を一般的に表現するなら、個々の情報の要素が、伝統的に受け継がれてきた体系的なまとまりから解き放たれて、自由な結びつきを開始するということにある。当然そこには一味違った創造性がみられる一方で、カオス(混沌ないし無秩序)的状況がもたらされる。伝統宗教の座標軸が見失われる一方で、伝統と断絶した宗教運動があらわれるという現象は、こうした文脈から理解されるのである。

伝統宗教の衰退は情報化社会の進展という観点からみた場合、二つの点が指摘される。一つは「専門知の逆転現象」もう一つは「価値の相対化」である。

かつては専門的な情報にアクセスし、その知識を習得するのには多大な困難があったが、今や様々なデータベースが構築され、多くの人々が高等教育を受け、一次資料や、様々な研究成果にも当たりやすくなり、解説本も多く出版されることで、一般の人々がその伝統宗教について専門知を身につけやすくなった。その結果、「ごく一握りの人が自分たちだけに通じるような知識を専有することで、一般社会に対して優位に立つというようなことは、そもそも難しくな」り、また、それぞれの宗教に関する情報を教団の公式的解釈から解放した方が、よりその宗教思想・教義の真髄に迫れるのではないか、という宗教教団の存在意義自体を揺るがす状況になってきた。

もう一つは様々な宗派・宗教に関する情報が溢れてくるようになると、伝統的であることそのものの価値は相対的に低下するようになる。「新しく出現した宗教も、ただちに伝統宗教と肩を並べて、「宗教ユーザー」の選択を待つという事態」となり、自由競争化が進展していわゆる市場原理に基づいて伝統宗教も新宗教も関係なくユーザーフレンドリーな(現世利益的、わかりやすい、親しみやすい)宗教が隆盛を迎えることになるという訳だ。

そのような中で最大の要因として井上先生が挙げているのが「伝達経路の弱体化と喪失」である。

井上順孝著「若者と現代宗教―失われた座標軸 (ちくま新書)」P199
伝統的神仏の観念や、それに関わる教え、昔からの集いの形式といった、伝統的宗教に関わる事柄が、もはや当然のこととして受け止められなくなっている。それは、一つには従前の伝達経路の弱体化、さらには喪失である。もっとも中心的な伝達経路であった家族と、地域共同体が、その機能を失ってきたからである。

この井上先生が挙げるうち前者二点については若干情報化社会という切り口に依存しすぎている嫌いがあるが、共同体の喪失については確かに少なからず影響があっただろう。この三点で全てを説明できるわけではないと思うが、少なからず伝統宗教の衰退の一因ではあるだろう。大きいのはこれら外的要因と別にやはり「個人化」=人格崇拝の進展と生の急拡大、という点にあるように思うが、それについてはまた別の機会にでも。

井上順孝著「若者と現代宗教―失われた座標軸 (ちくま新書)」P200
伝統的なものと新しいもの、人々の歴史的吟味をへたものとそうでないものが、まったく並置され、人々の好みにしたがって選択されるという構造に移りつつある。
(中略)
ハイパー宗教は、さまざまな宗教伝統、さらには宗教的伝統以外のものからも、さまざまな要素を取り出して、それらを組み合わせる。そこでは、情報時代の感性にあった新しい価値が生み出されるかもしれない。だが他方では、伝統を切り離したことが、個々の人間にはカオスと不安をもたらす原因にもなりうる。そして、後者は確実に起こることであり、今後は、多分より深刻な問題として、ハイパー世代につきまとうことになろう。

伝統と呼ばれるものが真に伝統であったのかどうかは別にして、いわゆる旧いとされる価値の軽視・相対化や否定は確かに多くの人々を不安にする。この構造はそのままアメリカを二分した文化戦争的対立構造と類似のものでもあり、一方では現代人の新しい信仰を求める人々に魅力的に映る反面、その得体の知れなさ、あるいは軽さは外部の人々に嫌悪を抱かせると思う。それは時に深刻な対立として表面化するだろうし、すでにその対立は顕在化している。

凄まじい勢いで広がるスピリチュアルムーブメントの多くがハイパー宗教的な特徴を備えているように、このハイパー宗教という新しい特性を持った宗教的なるものの拡大は、新新宗教という宗教集団の枠を超えて、好むと好まざるとに関わらずなんらかの形で一人ひとりが向かい合うことになるだろう。

あらためてスピリチュアル等についてはまとめようと思ってはいます。とりあえずさわりっぽい感じでハイパー宗教という概念についての簡単なまとめでした。

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