「津波災害――減災社会を築く」河田惠昭 著

津波災害――減災社会を築く (岩波新書)
河田 惠昭
岩波書店
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まえがきより
この本の出版は、二〇一〇年二月二七日に発生したチリ沖地震津波がきっかけとなっている。わが国では、約一六八万人に達する住民を対象に、避難指示・避難勧告が出されたが、実際に避難した人は三・八パーセントの約六・四万人に過ぎなかった。とくに、津波常襲地帯の北海道、青森、岩手、宮城、三重、和歌山、徳島、高知の各県の沿岸市町村でも、対象人口約七四万人中、五・一パーセントの約三・八万人が避難したに過ぎない。このように極めて低い避難率であった。近年の津波災害では、住民の避難率が大変低いことはすでに問題となっていた。しかも、年々これが低くなっているのである。
「こんなことではとんでもないことになる」というのが長年、津波防災・減災を研究してきた私の正直な感想であり、一気に危機感を募らせてしまった。沿岸の住民がすぐに避難しなければ、近い将来確実に起こると予想されている、東海・東南海・南海地震津波や三陸津波の来襲に際して、万を超える犠牲者が発生しかねない、という心配である。

今となってはあまりに残酷な予測が書かれた「まえがき」で始まる、2010年12月に初版が発行されたばかりの、津波災害研究の第一人者「阪神・淡路大震災記念 人と防災センター長」河田恵昭関西大学教授により、津波災害のメカニズム、対策、そしてこれからについて総合的に解説された一冊。

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■津波のメカニズム

P20
地球の表面はプレートと呼ばれる十数枚の厚さ約一〇〇キロメートルの岩盤で覆われている。そして、海のプレートは陸のプレートより少し重いことがわかっているので、ぶつかると前者が後者の下に潜り込む。両プレートの境界面が固着していればよいのだが、潜り込む量がある一定値を超えると、両プレートは剥離する。すなわち、地震が起こるのである。

海底で地震が発生すると、震源付近の海面は平均海面を中心に海面が上下振動し、それが周辺の海域へと伝わっていく。これが津波となるが、津波は高い波ではなく、「速い流れ」と考えた方が正しい。『「見渡す限りの海面が盛り上がり、早い流れで岸に向かってくる」という表現の方が妥当である』という。

P58
たとえば、高さ五メートルの防波堤に高さ八メートルの津波が押し寄せた場合、津波はこの防波堤を乗り越える。そのとき変化が起こる。防波堤に津波が衝突すると、海底から深さ五メートルまでの津波の水粒子が防波堤で止められて前に進めなくなる。その瞬間、海底から五メートルまでの津波の運動エネルギーは位置エネルギーに変換される。このため、防波堤上で海面が三メートルよりもさらに盛り上がって通過することになる。
(中略)
そして、防波堤を超えた瞬間に水塊が三メートル以上の落差をもって港内側に落下するので、激しく防波堤の脚部を洗うことになる。下手をすると海底の洗掘が発生し、防波堤が横倒しになってしまうことが起こる。

このように防波堤にぶつかって水平に運動している水粒子が前に進めなくなったとき、位置エネルギーに変換されると津波の高さは1.5倍にもなるという。そして、防波堤を乗り越えた津波は再び上空から落下し港の内側へと流れ込み、人や建物を呑みこんでいく。このとき浸水深が二メートル、流速毎秒四メートルを超えると木造家屋は流され始めることになるという。
また震源から沿岸までの距離が六〇〇キロメートルより遠いか近いかで遠地津波と近地津波に分類され、それぞれ違いがあるという。今回の東北・関東大震災で沿岸を襲った近地津波の場合、以下の特徴がある

1)わが国の太平洋沿岸に震源があるプレート境界地震(北は千島海溝沿いの地震から南は南海トラフにおける東海・東南海・南海地震までが対象)による津波では、大きな波高が六時間継続する。すなわち、約六時間は要注意である。
2)地震の揺れは小さくても、一分以上揺れている場合は津波地震の危険性がある。この津波特性は現状では正確に計算できないので、津波常襲地帯では、ともかくも避難しなければならない。
3)一九八三年日本海中部地震のように、日本海に震源があるプレート境界地震では、丸一日大きな津波が継続する。それは対岸の朝鮮半島やロシアの沿海州と日本列島の間で多重反射(何度も反射をくり返すこと)することが原因である。

このように、同書では様々な事例を引きつつ、かなり詳細に津波のメカニズムについて解説されている。僕自身、よく理解できず紹介できないが、読むとその津波の全体像と強力さ、そして怖ろしさがよくわかる。

■津波常襲地帯「三陸沿岸」

同書では津波常襲地帯として、まず筆頭に今回の震災で甚大な被害を受けた三陸沿岸を「世界屈指の津波危険地域」と呼び、続いて土佐湾沿岸、熊野灘・紀伊水道沿岸、道東海岸(北海道)が挙げられている。

特に三陸沿岸は江戸時代以降、巨大地震とそれにともなう巨大津波に幾度となく見舞われてきた。近代に入っても明治二十九年(一八九六)の明治三陸大津波では関東大震災に次ぐ犠牲者を出し(死者約二万二〇〇〇人)、その三七年後の昭和三陸津波でも死者三〇〇〇人を数えた。長いが三陸沿岸について解説を引用する。

P87-88
さて、三陸沿岸は「宿命的な」津波常襲地帯であるといえる。それは、湾岸地域が津波を増幅させる屈曲に富んだリアス式海岸だからというだけではない。遥か沖合の水深数千メートルの海域が津波を集中させる海底地形となっているのである。これは、近地津波はもとより、太平洋沿岸各地で津波が発生し、遠地津波として伝播してくるとき、必ずこの海域で増幅することを示している。このように沖合で津波が増幅し、沿岸でも増幅するという津波の「二重レンズ効果」が三陸沿岸では起こる。
(中略)
このように頻度が高い理由は、西進する太平洋プレートの速度が年平均一〇センチメートル程度と大きく、かつこのプレートと北米プレートのカップリング(相性)が良いからである。すなわち、両プレートの結合度が高く、強くくっついて、固着域(アスペリティ)がなかなか剥がれないのである。震源域が水深八〇〇〇メートル級の日本海溝となっているのはそのせいである。二枚の陸のプレートが衝突して、衝立状になっているのがエベレスト山脈であり、ここが八〇〇〇メートル級の山脈となっていることと符合する。荒っぽいやり方であるが、エベレスト山脈を切り取ってさかさまにして、日本海溝にかぶせるとほぼ納まるのである。
この沿岸には、近地津波と遠地津波が押し寄せる。それぞれの卓越周期(津波は、いろいろな周期の波の組合せによる波群で構成される。その波群の中で、波高の二乗で表現できる津波のエネルギーがもっとも大きくなる波の周期)に幅があり、各湾の共振周期に合致する場合に、津波は大きく増幅する。このことは、来襲する津波が極端に増幅する湾が必ず存在することを意味する。したがって、津波防波堤のある大船渡、久慈(工事中)や釜石を除いて、世界屈指の津波危険地域であると言える。

しかし、今回の震災で三陸沿岸を襲った津波は十五メートル以上もの高さで、岩手県宮古市田老町の日本最大級の堤防でも海抜十メートル、総延長二・四キロメートルでしかなく、大船渡や釜石でも想定をはるかに超えた規模の津波が襲い、甚大な被害をもたらした。

■津波災害は「避難すれば助かる」

上記のように津波災害は堤防などのハード面をいくら整備しても数百年、数千年に一度というペースでその対策を上回る規模の大津波が登場し、襲いかかってくる。重要なのは津波に関する包括的な知識に基づく避難=「生存避難」であるという。

まず、津波について流布されている様々な誤った認識について同書では説明されている。例えば

・津波は「高い波」である→NO
・津波は一度来たら終わる?→NO
・津波は引き波からやってくる?→NO
・津波は第一波が一番大きい?→NO

などだが、深刻なのはこれらの誤解が浸透して避難行動を阻害することが多々見られることだそうだ。

特に「津波は引き波からやってくる」という誤解は、津波発生時のプレートの構造によって引き波である場合と押し波である場合とがあり、一概に言えないものなのだが、1930年代~40年代に教科書で使われた「稲むらの火」という安政南海地震の様子を描いた物語で一気に海岸から波が引いていく様子が描かれ、それが人々の印象に残って伝承化した。その結果、地震が起こると引き波かどうか海岸を見に行く人々が続出。その後様々な地震津波の際に逃げ遅れて命を失う例が数多く見られたという。さらに現在でも口伝えにこの誤解が浸透しており、同書によると「二〇〇三年の三陸南地震の後に実施された気仙沼市の市民の調査では、津波の第一波が引き波で始まっていると信じている市民は何と九五パーセントを超えていることがわかった」(P22)という。今回の震災で気仙沼市も津波被害は甚大であったが、この調査の後、人々の誤解が解けていたであろうことを願わずにはいられない。

津波災害の避難は徒歩が原則であるという。車の場合、避難する車で道路が渋滞して車ごと犠牲になる例が多く、結果として被害が拡大しかねない。ただし、高齢者や乳幼児などの場合など車で避難せざるを得ない場合もある。車を利用する場合、以下の点に注意が必要だという。

(1)信号のない交差点を通って高台へ避難できること(停電で信号が消えると大渋滞する)
(2)鉄道の踏切を通らないこと(停電で踏切の遮断機がおりたままになる)

また次のようなルール整備が必要。

(1)津波避難で山道に入ったら、少なくとも一〇キロメートル以上は山道を上がることである。先頭の車が自分の安全のことだけ考えて山道を一〇〇メートルくらい入って停車すると、後続の車はそれより先にいけない。山道はほとんどが一車線だからだ。こうなると一〇〇台くらいしか安全な場所にたどり着けない。
(2)山道にたどり着いたところで渋滞したら、あっさりと車から出て徒歩で避難することである。それくらいの覚悟がなければ、車で避難してはいけない。

P105
すなわち、車で避難する場合には、津波が地震後どれくらいしたら来襲するかという情報を事前にもっていなければ危険である。このように車での避難を可能とするには、車で避難する人が津波避難に関する基本的事項を合意し守ることが前提である。これがなければ危険である。

このため、車避難を認める場合には上記の条件を満足し、かつ住民の合意を得る必要があるという。

そのうえで、徒歩で避難する場合の対策として事前対策と事後対策に分けて紹介されている。

P106-108
1)事前対策
(1)津波ハザードマップを市町村から入手するとともに、過去にどのような津波がやってきたのか、これからやってくる津波(以前のものと違うことはよくある)による浸水域を知ること。二〇一〇年現在、三二一市町村で津波ハザードマップを作成済みであり、そのうち二三二市町村ではインターネットで公開している。市町村の津波ハザードマップの作成率は五〇パーセント強と推定される。まだ作成していない場合は、作成するように住民から直接請求すればよいだろう。そういう時代である。とくに自治体の首長の防災意識が低い場合は、催促しなければ、財政的な理由から先送りされるだけである。
まず、自分の家の地図上の位置を知る。つぎに、指定避難所の位置である。そして、そこに至る避難路の候補を二、三考えてみる。必要な要件は、二車線以上の幅員の道路であり、かならず水平か上り勾配の道路を選ばなければならない。間違っても川や海に近い道を選択してはいけない。
(2)避難所が数百メートル以上遠方にある場合は、途中で津波に追いつかれる恐れがあり、一時的に避難させてもらえる避難ビル(通常、鉄筋コンクリート造三階建て以上の建物)を知っておくこと。利用に際し、事前に自治体とビル所有者との協定が必要である。まだこの作業をやっていない自治体も多いので、これをやっていないようであれば実施するように催促する必要がある。住民の津波防災に関する関心の程度によって自治体の対策の進捗度が決まると考えてよい。
(3)指定避難所の門や建物の鍵を誰が管理しているか知ること。通常は、避難所周辺の町内会や自主防災組織の会長と幹部がもっているはずである。そうでなければ、鍵を壊して入らなければならない。
(4)大切なもので水没して困るものは、日常的に自宅の二階以上に置いておくようにする。
2)事後対策
(1)避難所に到着したら、講堂や体育館が津波の浸水に対して安全であれば問題はないが、最悪の場合、避難所が浸水する恐れがある。そのときには一階ではなく上階の教室から優先的に入室する。
(2)各部屋の世話人を早急に決め、各人が自治体にいきなり苦情をいうようなことは避ける。そして、危険が去るまで、記述のように近地津波の場合は六時間、避難所で待機するように心がける。
(3)高校生以上の住民は、避難所の運営に協力する。たとえば、非常食の配給や避難者名簿の作成など、やらなければならないことはいっぱいある。避難者はお客様ではないのである。

このような実際の避難活動だが、この避難活動に結び付けるための災害情報についても災害情報自体に避難行動を阻む要素があると同書は指摘する。その津波情報の発令→避難指示の告知という災害情報が避難行動を阻む要素は以下の四つ。

(1)避難は避難勧告が出てからやるもので、それを待たずして避難しなくてよい、という「情報待ち」の姿勢を容認する。
(2)市役所や町村役場には、このような情報を発信する役割があり、住民は、それを受けて避難を実行するのが役割であるという、「過保護と過依存」の関係性を強める。
(3)津波情報は地域防災計画や避難マニュアルに記述してある通りに出されており、疑いの余地はないという「押しつけ」を強要する。
(4)避難勧告に従わずに被災した場合、「自己責任の原則」に従って、責任は住民にあるという、わが国ではいまだ容認されていない考え方を期待する。

さらに、情報活用上の課題について以下の五点が挙げられている

(1)津波防波堤などによるハード防災の限界の広報不足
(2)津波警報などのソフト防災の限界の広報不足
(3)広域津波災害に対する知識の欠如
(4)都市型津波災害への想像力不足
(5)市街地火災の発生と延焼可能性に対する理解不足

(1)について、想定されうる規模の津波災害をシャットアウトできるだけの防波堤等ハードを整備しようとすると、数百億円規模の莫大な工事費や数十年規模の長期間の工期となり、現実問題として実現不可能なことが多く、ハード面の整備を十分することはほぼ出来ていないのが現状であるが、そのことが十分広報されているとは言い難い。(2)について、地域によっては津波警報を待っていると避難が不可能になる地域が少なからず存在する。そのような地域は個々の住民の判断で即座に避難行動を起こす必要があるが、そのソフト面の限界についても十分広報されていない。(3)について、広域津波災害が起きた場合、救援活動の遅れや、地域自治体全体が孤立する可能性があり、その際の対応や判断について知識が十分ではない。(4)について、地震後の津波災害において、地下鉄や地下空間の浸水や河川等の氾濫、洪水などについてどのような状況になるか知識や想像力が不十分であるという問題がある。(5)について、津波後に火災が発生する可能性やその後の延焼範囲等についての理解が不足して、被害が拡大する可能性がある。

これら災害情報そのものが持つ避難行動の阻害要因、情報活用上の課題などのほか、様々な事例や課題が紹介され、これらをいかに解決して避難行動を行うかが今後の課題であるとしている。

P103
要は情報が「正確、迅速、詳細」に伝われば被災者は減るというような単純な考えは通用しないということである。被災する危険のある人が的確な行動をとるために、どのように情報を活用するのかという視点が必須である。これは津波情報には限界があるということである。

また第四章では関東に大規模津波が来た場合の被害予測と対応策、避難などについて詳細に検討されているので、こちらは関東地方に住んでいる方々は必読であろうと思う。色々と気づかされることが多かった。

■危機管理の課題と減災社会への展望

津波災害はほかの自然災害と同様に、自分を家族の安全の確保を目標とする自助、地域住民による組織的な避難行動によって最小限の人的被害にとどめるという実践的な目標の共助、住民の命をいかにして守るのかという方法を提示し知識、情報とそれに基づいた訓練を行う公助、勤労者の防災・減災の素養を身に着けさせ、また復興・復旧過程で社会的貢献の主体となる産助の四つの側面からの危機管理が必要であるとしている。

自助においていかにして生存避難のための訓練を行うか、そのプロセスは以下の通りまとめられている。

P179
(1)津波に関する包括的な知識を身につける。
(2)まず、自分が助かるためにはどのように避難すればよいかを訓練で覚える。
(3)さらに、家族や近隣の人を助けるために、自分の役割をはっきりと認識して、一緒に訓練する。このとき、避難行動を困難にする制約条件を話し合いで明らかにし、状況認識を共有して近隣の人との楽しい関係をつくる。
(4)その間、地域コミュニティにおけるお祭りや子供会の行事など、いろいろな活動を通して、住民同士が楽しい経験を共有して親しくなる。
(5)災害図上訓練(DIG)で、さらに実際に避難する場合の問題点を共同作業で見つけて、改善策を考える。

行政頼りではなくまずは一人一人が「自分の命を自分で守る」という意志を持って避難に必要なことを体で覚えこむこと。その過程で地域や行政と積極的に協力しあうことが重要だ。

津波の大きさを低減させるのに最大の効果をもたらすのが防波堤だが、防波堤の建設には多額の工事費がかかり、当該地域の経済規模と見合わない、あるいはせっかく安全なハードが整備されても経済活動が低迷していくという状況が一貫して見られるという問題がある。同書で例として挙げられているのは今回甚大な被害を受けた市民四万人の釜石市で、一二一五億円(住民一人当たり三〇〇万円)の巨費を投じて日本最大規模の防波堤が作られたが人口は減少の一途を辿り地域の活性化に役立っていなかった。また北海道南西沖地震で被害を受けた奥尻島も同様で被災後格段に安全対策が行われたが人口、経済とも減少・停滞の一途を辿っているという。

公助の課題として、このような施設や装置のハード面の整備と、その投資を地域経済の活性化につなげる長期的で具体的な施策の実施が求められている。さらに、現行の「災害対策基本法」は災害復興を視野に入れた法律ではないため、復旧事業が終わった時点で将来への展望を描く復興事業へと繋がらず廃れてしまうという問題があり、そのため、「復興過程まで継続できるような法律の枠組みの改正が必須」(P169)であると指摘している。

これら公助、共助、自助、産助の組合せによる危機管理をベースとして、著者が展望するのは非日常的事象である災害を社会の仕組みや生活に取り込み形成する「災害文化」と、「人びとの能力や年齢、置かれた環境などにかかわらず、多数の人々が使えることを初めから考慮して、まち、施設、サービスや情報などをデザインするプロセスと、その成果物」としての「ユニバーサルデザイン」を踏まえた生活環境の構築をキーワードとする「持続可能な減災社会」である。

この「減災社会」は、確かにこれからの社会を展望する上で欠かすことのできない社会構想であると思う。それは上記のように公ではなく一人一人の個人によって作られるものであり、近年盛り上がっていた公共性の議論と大きく重なり合うものであろうと思う。これからの市民社会、都市、公共、個人、労働を考えるうえで、災害に関する知識と理解は必須のものであることは間違いないと思った。
最後に引用しておく。

P180
災害の体験・経験は起こった瞬間から風化が始まる。そして、気がついたときには、大切な人を失った人とその周りの人にだけ、悲しい思い出がいつまでも付きまとっている。悲しさを体験した人は、その苦しみをもったまま生き続けなければならない。PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、阪神・淡路大震災をきっかけとして、よく知られるようになった。しかし、いくら時間が経過しても、深く心が傷ついた人は癒えないのである。
風化するようでは、災害で亡くなった犠牲者に申し訳ない。亡くなった人たちが私たちの記憶の中に生き続けることが、いま生きていることに対する感謝であり、二度と災害に遭遇しないことにつながる。災害を忘れることなく、現在に生き返らせるためには、語り継ぐことが大切である。

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