米国保守派の中核「ニューライト」を生んだ4人の保守主義者

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序 「リベラルの時代」

一九三〇年代、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策を支持した諸勢力は第二次大戦後も「ニューディール連合」と呼ばれ民主党の支持基盤として強固な組織力を発揮し、戦後の高度成長に支えられ、六〇年代にかけて民主党政権主導の「リベラルの時代」を現出した。

「リベラルの時代」は高福祉の実現、公民権運動による黒人の地位向上、さまざまな差別の撤廃に向けた市民運動の興隆などをもたらしたが、他方、福祉政策の急拡大とベトナム戦争などの軍事予算の増大は巨額の財政赤字を生み、アファーマティブアクションやカウンターカルチャーの隆盛などもあいまって「行き過ぎたリベラル」に対する反発が保守的な人々の間に少しずつ広がっていっていた。

第一章 フランク・メイヤーの「融合主義」

戦後米国の反リベラルな立場としての保守思想は「伝統主義」と「リバタリアニズム」の二つの潮流に収斂されていったという。「大きな政府」への批判という点以外は相容れない両者の思想であったが、ジャーナリスト出身の保守主義者フランク・メイヤーはこれを融合した政治イデオロギーを構築する。

メイヤーは伝統主義者たちによる伝統や社会秩序の過度の強調は個人の自由を脅かすと考える一方で、リバタリアンたちによる個人の自由の強調もまた社会秩序の崩壊につながると考えつつ、全体主義への批判を前提とした「個人の価値を最も重視する立場」から社会秩序と個人の自由の調和を図ろうとした。

中岡 望 著「アメリカ保守革命 (中公新書ラクレ)」(P43-44)
伝統主義が主張する人間の”美徳”の達成は人間の行動の最終的な目標であるが、それはリバタリアンの主張する”自由な社会”があって初めて可能になると説いたのである。メイヤーは、これによって、それまで対立していた伝統主義とリバタリアニズムを保守主義革命の大義のために両立させたのである。

メイヤーは元々トロツキストで共産党員として活動したのち、反スターリニズムの観点から保守主義者に転向した経歴を持つ。意図していたかどうかわからないが、彼の融合主義はまさに、共産主義の二段階革命論を、「伝統主義」と「リバタリアニズム」という対立する二つの思想の融合に転用したかのようだった。また、興味深いことに、当時、メイヤーだけでなく保守主義思想家の多くが、若かりし頃に共産主義に傾倒し、のちに転向した経験を持っていたという。

彼の「融合主義」は多分にこじつけ的雰囲気が漂うが、しかし「保守主義」の新たな理論的枠組みを提供し、それまでの思索的・内面的な思想から、より実践的な思想へと保守主義を変化させることになった。

第二章 ウィリアム・バックリーの保守論壇「ナショナル・リビュー」

一九五五年、ウィリアム・F・バックリー・ジュニアが若干二九歳で保守系雑誌「ナショナル・リビュー」を創刊したとき、アメリカ社会は「リベラルの時代」真っ只中で、保守主義は社会的には異端中の異端であり、もちろん保守系雑誌など一切無かった。四面楚歌・孤立無援の中で彼は「ナショナル・リビュー」を創刊し、「リベラリズムは敵である」と叫び、「歴史の前に立ちふさがり、『止まれ』と叫ぶ」のが保守の役割だと宣言、止まるはずのない歴史の流れに立ち向かうという「負けるとわかっている戦いに挑む」反骨精神をむき出しにした。

父ウィリアムはアイルランドで少数派のプロテスタントで、迫害を逃れてアメリカに渡ってきた。苦学の末に大学を卒業後、カトリックに改宗して、メキシコで石油事業で財をなすが、一九一一年のメキシコ革命で反革命勢力を支援したことで、全財産を没収されてアメリカに帰国。だが石油事業で再起を図り、再び成功を収め、一九五八年に亡くなった。その父が受けた苦難と、家族で支えあった経験がそのままウィリアムの思想的バックボーンとして強く影響を及ぼした。メキシコ革命政権のような個人の財産を奪い、信仰を侵害するような強い権威・権力に対する反抗と、家族の価値、信仰や財産の自由などを彼は重視する。

バックリーが一人気を吐いていた「ナショナル・リビュー」だったが、時代の流れが彼の下に多くの人々を集めていくことになる。伝統主義の大成者ラッセル・カークを始め、多くの保守主義者が続々寄稿するようになる。伝統的な価値を重んじる伝統主義や宗教保守、リバタリアンなど自由市場主義を取る財政保守、反共主義の軍事保守など、メイヤーの枠組みとその周辺を含めた幅広い保守主義者の意見交換と議論の場を「ナショナル・リビュー」が提供し、政策レベルでリベラルに大きく劣っていた保守主義を実践的に洗練させる働きを担った。

レーガン政権以降長きにわたる保守政権誕生に大きな影響を与え続けたバックリーだが、晩年、ネオコンが主導するブッシュ政権には一貫して批判的であったという。亡くなる二年前の二〇〇六年、イラク政策について「最も肝心なのは、敗北を認めることだ」とコラムで批評、それを契機に共和党保守派たちからブッシュ政権への不満が続々と噴出し、ブッシュ政権の「致命傷」の一つとなった。米国保守革命の立役者は、迷走する保守主義の幕引きをして、この世を去った。

第三章 保守主義の体現者バリー・ゴールドウォーター

バリー・ゴールドウォーター上院議員は多様な顔を持つ政治家だった。五〇年代前半にはマッカーシーの「赤狩り」を支持し、中華人民共和国の国連加盟に反対(中華民国(台湾)の国連追放、中華人民共和国の代表権獲得は七一年)する反共主義者であり、ベトナム戦争において原爆投下を主張するなど軍事的極右の側面を持ち、権力の集中への危機感と家族の価値の重視を主張する点で伝統主義者的であり、ハイエクを愛読し、ミルトン・フリードマンの理論を重視するリバタリアンでもあった。

それぞれ矛盾するはずの主張が反リベラルという点で奇跡的に彼の中で共存しており、南部を中心とした反共保守団体ジョン・バーチ協会の草の根運動を支持母体として共和党内で地位を確保。一九六四年、共和党内の大統領予備選で東部エスタブリッシュメントを支持母体とするネルソン・ロックフェラーを破り、共和党大統領候補となる。

大統領選はケネディの後継であるリンドン・ジョンソン大統領との戦いとなった。ジョンソン陣営はゴールドウォーターの好戦性を徹底して煽るネガティブ・キャンペーンを張るとともに、暗殺されたケネディ前大統領の遺志を継ぐこと、福祉のさらなる充実などを柱とする「偉大なる社会計画」などを訴え、結果としてジョンソン大統領の得票率六一%に対してゴールドウォーター三八%と大差で敗北する。

だが、このゴールドウォーターの敗北が共和党と保守主義を大きく変貌させていくことになる。まず「法と秩序」「小さな政府」「反共主義」などゴールドウォーターの主張は後々まで共和党のイデオロギーの柱となり、それまでエスタブリッシュメント重視の都市型政党だった共和党を草の根重視の大衆政党へと変貌させた。

また、敗戦したとはいえ、それまで圧倒的だった民主党政権に対して少なからず戦えたという自信を保守主義者にもたらすと同時に、敗北という強い屈辱感は、彼らに強く捲土重来を期す決意をさせることになった。より洗練された政策立案能力を確立するため、保守系のシンクタンクが続々と設立され、民主党とそれを支えるエリート層やケインジアンなどに劣らない保守派の研究者を輩出していくことになる。

そして、最大の効果がゴールドウォーターの選挙を支えた若い保守主義政治家たちの台頭を招いたことだった。その中には、後に大統領になるロナルド・レーガンなどもいた。彼らは民主党に勝って、保守主義による政権奪取「保守革命」を成し遂げるために何をすべきかを全力で考え、実行に移していくことになる。

第四章 リチャード・ヴィゲリーによる「ニューライト」組織化

リチャード・ヴィゲリーは保守派団体の事務局長としてゴールドウォーターの選挙戦を支えた若手保守派の一人だった。彼は大統領選の敗北後、ゴールドウォーターに高額寄付を行った約七五〇〇人と保守系団体に所属する人物の名簿を作成し、コンピュータを使った選挙資金調達管理を考案、それをベースに「ニューライト」と名付けた保守主義運動を組織化する。

「ニューライト」運動を強固なものにするには、高額寄付者だけでなく、草の根レベルでの寄付金を集める必要がある。いかにしてそのネットワークを築くか、堀内一史著「アメリカと宗教―保守化と政治化のゆくえ (中公新書)」では以下の四つがヴィゲリーが重視した柱として紹介されている(以下同書P144-146より)。

(1)単一争点団体を傘下にする
全米ライフル協会、妊娠中絶に反対する団体など単一争点団体を傘下にすることで、そのイシュー以外興味が無い有権者を取り込む。

(2)多争点団体の重視
保守系シンクタンクや保守系議員団体など幅広い動員力を持つ団体を同様に傘下にすることで、単一争点団体で動員できない範囲の有権者を取り込む。

(3)議員と有力者のネットワーク構築
地域の牧師やジャーナリストなどと保守系議員とのミーティングを企画することで、保守系のネットワークを全米に張り巡らせた。

(4)コンピュータ管理による政治コミュニケーション
コンピュータを使って寄付金などの情報を集約管理するとともに、ダイレクトメールを駆使してコミュニケーションを図り、およそ保守派の潜在的な支持者一五〇〇万人の名簿データが作成された。

また、ニューライトの政治綱領として以下の三つが掲げられた。

(1)「国防強化
泥沼化するベトナム戦争による米国の威信低下は、反共の観点から非常に重大な問題と彼らは捉えていた。そのため、軍事増強が強く求められた。

(2)「反エリート主義
従来、草の根レベルの大衆運動はウィリアム・ジェニングス・ブライアン以来民主党などリベラル派の重視するところで、都市型政党の共和党も保守派も草の根の動員には興味を持っていなかった。その方針を大転換して、「ニューライト」は反エリート主義を取り、草の根運動を重視する。

(3)「家族の価値の重視
リベラル派の個人主義を重視する傾向に対して、「ニューライト」は伝統的(とされる)家族の価値を重視した。この家族の価値の重視は伝統主義者とともに、キリスト教の保守層を取り込む重要な課題として機能していく。

メイヤーが思想的枠組みを与え、バックリーが議論の場を提供し、ゴールドウォーターが体現した思想を、ヴィゲリーらが「ニューライト」として組織化し、リベラルに対抗しうる保守主義運動のコアが完成する。

このニューライトと保守主義にシフトした共和党の支持を受けて一九六八年、共和党ニクソン政権が誕生する。しかし、ニクソンはゴールドウォーターの後継者というよりは、ロックフェラーの後継というべき、共和党のエスタブリッシュメントの系譜に繋がる、保守主義からは大きくかけ離れた”リベラル”な人物だった。ほどなくしてニクソン政権はニューライトの期待を大きく裏切ることになる。

保守主義運動による政権奪取「保守革命」には、さらなる盤石な体制が必要で、そのためには、より政策立案能力に長けたリベラル派からの転向エリート集団「新保守主義者(ネオコン)」との保保連合、集票マシーンとして圧倒的な力を誇ることになるポピュリズム運動化した「宗教右派」、そしてゴールドウォーター以上に保守主義を体現する男「ロナルド・レーガン」の登場を待たねばならなかった。

そして、この組織化され完成された保守主義運動による保守革命は、以後三〇年以上に渡り米国を二分する「米国第二の内戦」とまで呼ばれた保守とリベラルの深刻な対立「文化戦争」の開戦を告げる宣戦布告となるのであった。

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第二次大戦後、アメリカで保守主義思想が誕生し、社会構造の変化と様々な思想・運動と融合してレーガンによる保守革命、その後のクリントンvsギングリッジや、ブッシュ政権の誕生までを理路整然と描いた米国保守主義思想史がコンパクトに理解できるおすすめの一冊。このエントリも第一章と第三章、及び第二章の一部についてはほぼこの本をベースにして書いている。戦後の米国保守主義思想史はこれと佐々木毅著「アメリカの保守とリベラル (講談社学術文庫)」で流れを簡潔に押さえられる感じだろうか。

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ラッセル・カーク(伝統主義)、リチャード・ウィバー(農本主義)、ウィリアム・バックリー、ジョン・グレシャム・メイチェン(キリスト教原理主義思想の父)、ノーマン・ボドレッツ(ネオコンのイデオローグ)などメインストリームではない保守主義思想家を中心とした人々の生涯と思想について焦点を当てた伝記集。個人的にはかなり泣けた。ラッセル・カークが夏目漱石に傾倒した経緯、原理主義思想の父メイチェンと小林秀雄の思想的接点、あるいはボドレッツらが味わった屈辱と成功体験がネオコン思想へと昇華していく様などはぐいぐい読ませる。また、ジョン・ロールズが生涯吃音であった逸話も紹介され、個人的には沈黙のヴェールへと至る彼の想いや思索が以前よりちょっと腑に落ちたところがある。第三章のバックリーについてはほぼこの本のP144~155の記述に準じている。

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一九世紀、米国の原理主義思想や福音派の登場から宗教右派が政治社会を席巻し、そして二〇〇〇年代後半ブッシュ政権の退陣とともに退潮していくまでの大きな流れを要点をおさえつつダイナミックに整理した一冊。飯山 雅史 著「アメリカの宗教右派 (中公新書ラクレ)」と合わせて読むと、両方とも新書ながら具体的かつ立体的にその流れが浮かび上がってくる印象。特に前二冊では描かれなかったヴィゲリーによるニューライト組織化の過程が詳述されていて、他の本とあわせて当時の保守化する米国社会の構造変化についてのピースが埋まる感覚が味わえてとてもナイスだった。また後日改めてこの本については紹介するつもり。

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