豚が日本を救う?明治四年の教育ベンチャー「布田郷学校」

明治維新直後、現在の東京都調布市に、何もかも無償で教育を行う画期的な初等学校があった。その費用は全て、その費用を賄うことを目的として設立されたある企業の収益で賄われたという。布田郷学校と郷学校種豚会社、そして一人の企業家のささやかなお話。

現在の東京都調布市一帯は甲州街道沿いの宿場として国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿の五つの宿場町(布田五宿)があり、江戸時代以降旅人や荷物を運ぶ人足の往来で栄えていた。明治元年(一八六八年)、上布田宿で旅籠を営む原道太郎(後の原豊穣:一八四三年一月四日~一九一七年四月六日)は旅籠の常客であった公家閑院宮家の下級役人寺嶋豊三から、旧幕臣角田米三郎という人物が設立した協救社の話を聞かされる。

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■協救社の理念と養豚ビジネス

角田米三郎という人物については一橋慶喜に仕えていたということ以外詳しくわかっていない。だが、協救社に関する資料から非常に変わり者であったことがうかがえる。豚狂いである。明治元年、彼は「養豚によって学校建設、鉄道敷設などの事業をおこし、困民を救助し、富国強兵ならしめるという」内容の半紙数百枚に及ぶ長大な建白書を提出し、一〇〇〇両もの下賜金を受け、東京の青山に協救社という浪人会社を設立した。その建白書「協救社録議草稿」は古事記、日本書紀、古語拾遺など古今の資料をひも解きながらひたすら豚がいかに素晴らしいか、いかに養豚が将来性があるか、いかにして豚が日本を救い、国力増大に寄与するかについて語るというもので、何を言っているのかわからねーと思うが、建白書とかいうチャチなもんじゃねぇ、もっと恐ろしいものの片鱗が味わえる・・・文書であるようだ。

例えば豚がいかに歴史上天皇に忠義を尽くしたかについて、「食牛羊豚の、命を捨て身を抛なげうちて天皇に仕え、飢饉に万民を助くるは、禽獣の大忠」と高らかにうたいあげ、幕末維新の国難の時期を「同志の人と相共に協救社を結び豚策をもって百?(変換不能:ジ)を開き百弊を救」い、日本を傑立富強たらしめる。その第一歩が養豚であるという。「養豚に由来する国益金を手掛かりにして遂には、蒸気器械など舶来の諸物品を日本でも製造するに至らしめる」という養豚が日本を救う壮大な事業プランであり、「相違之れ無く間先づ拳豚を以て富強策の初歩と為し」たい、つまり見込み違いなどありえないので何はさておき豚で富国強兵化の第一歩を!というなんだかよくわからないけどとにかくすごい自信に満ち溢れた内容に仕上がっている。時代は豚である。豚が日本を救う。One more thing…

養豚ビジネスの仕組みはこうだ。

「具体的には金五両の出資金に対し、豚1匹を抵当として預かり、3年間で3割の利息がついて出資金が返ってくるというシステムで、もし割済金が1年でもとどこおると、預かった豚を売りさばいても異存はないという証文を取り、子豚が生まれた場合には協救社が一両二分で買い上げる」という、何かを思い出す人が多いかと思うが、深入りしないでおこう。”画期的な”ビジネスモデルである。この養豚の収益は前述のように弱者救済、教育普及、鉄道敷設や産業の促進などにあてられるという目的がうたわれた。

■養豚の収益で賄われた無償教育「布田郷学校」

・・・このような話を聞いた原は、維新という変革の時代に生きた若者の常だろうか、一も二もなく協救社への参加を決意するのだった。と、ここまでなら落語のネタとして、怪しい商売に飛びついた有名旅籠の若旦那の失敗談でお後が宜しいようで・・・となるところだが、原は真剣であった。そして、全力で取り組んだ。

原は友人の佐保田範左衛門とともに三〇〇両もの大金を出資、さらに原家が所有する上布田宿字三軒山(現在の調布市布田五丁目付近)の一町歩(約9917㎡)の土地を協救社に有償で貸し出して養豚場を建て、東京以西、甲州境までの事務を取り仕切る「協救社の西東京支社」的な規模の運営を行うようになる。さすが甲州街道で下高井戸宿と府中宿の中継点として栄えた上布田宿の旅籠の若旦那とでもいうべき財力であろう。

養豚所の経営がほどなくして軌道に乗ると、早速原はかねてからの念願であった学校の設立を協救社に申し入れるが、時期尚早として退けられてしまう。それならばと原は布田五宿の有力者たちを説得して一二〇両の基金を出し合い種豚を協救社から買い取り分社化して郷学校種豚会社を設立。原が人に貸していた家が空いたことでその家を学校組種豚扱所として、上布田宿の栄法寺(後に大正寺に合併)の快全和尚を教師に迎えて育英学校という私塾を開設する。この私塾は「学校の月謝から子どもの筆や墨の代金まで養豚の収益でまかなう」画期的なものだった。

明治四年(一八七二年)には育英学校から、私塾よりも公共性の高い「郷学校」形態をとる布田郷学校へと発展させ、江戸でも著名な教育者であった儒学者木澤成粛らを迎えて子どもたちに無償で総合教育を行った。布田郷学校では毎日朝八時から十二時まで国学・漢学・洋学・作文・習字・算術の他、当時最新の西洋農学書の翻訳本「泰西農学」を用いて実用的な農学が講じられた。生徒四〇名ほどで始まった郷学校はのちに二〇〇名ほどにまで増加し、当時の上布田宿の多くの子供たちが養豚の収益によって無償で学ぶことができたという。

■「欧化」と「復古」~近代教育制度確立以前の教育

近代教育制度は慶応四年(明治元年:一八六八年)三月一四日に交付された「五箇条の御誓文」の五つ目の条文「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」を基本理念とする。近代化を成し遂げるべく、西欧諸国に比肩するような近代教育制度確立が急務となった。明治二年七月旧昌平坂学問所等を基礎とする教育行政と教育活動の二つの機能を持つ「大学校」が設置され、同十二月に「大学校」は「大学」に改組、翌明治三年二月、「大学」は初の教育制度構想である「大学規則」及び「中小学規則」を太政官に提出。これは中央に大学一校、府藩県にそれぞれ中学と小学とを設ける方針を示したものであったが、具体的な全国一律の教育制度構想の立案は明治四年七月一四日の廃藩置県の断行、七月一八日の文部省の設立、そして明治五年八月に文部省主導で公布された「学制」の実施を待たねばならなかった。

このような「大学」→「文部省」という全国的な教育制度構想の立案の流れと同時進行で、明治二年二月、これらの流れに先んじて政府は太政官令として各府県に「小学校ヲ設ル事」という通達を出し、続く明治三年十二月、民部省主導で太政官を通じて「「郷学校」建設経費の準備を命ずる太政官達」が各府県に発令されていた。これは神仏分離・廃仏毀釈など復古主義的神道重視路線の教化政策と関連していた。前者の「大学」→「文部省」の流れは教育の「欧化」路線、太政官主導の流れは「復古」路線と捉えられる。教育に限らず様々な面で欧化と復古という二つの方向性の対立があり、上記の角田の建白書は当時の復古主義的な考え方を総合したものであったようだ。「布田郷学校」の誕生はこのような明治維新期の混沌とした日本の教育のあるべき姿を模索するうねりの中で、民間の試みの一つとして位置づけることができるだろう。

■布田郷学校の終わりとその後

しかし、布田郷学校の終わりはあっけなくやってくる。明治七年、ついに布田郷学校を支えていた郷学校種豚会社が破綻、布田郷学校も閉鎖となる。わずか三年余りの間であったが、混沌とした時代にあって地域の子どもたちの教育に果たした役割は果てしなく大きい。全国一律の初等教育機関尋常小学校の設立は明治十九年、尋常小学校の無償化は布田郷学校に遅れること三〇年、明治三十三年(一九〇〇年)のことであった。

原豊穣はその後、明治十五年(一八八二年)、南多摩郡長に任じられて多摩地域の産業振興とともに、特に暴利を貪る金融業者の取り締まりや貧困救済に尽力。そして明治十七年(一八八四年)、世に名高い貧困農民の武装蜂起事件である秩父事件において、他の有志とともに蜂起農民と政府の間に立って仲裁の中心人物として活躍する。一地方行政担当者でしかない立場でありながら、債主(貸主)優先の法律と法を盾に貧困者を追い詰める裁判所の行動を痛烈に批判し、一貫して農民の立場で事態の収拾にあたった。のち、八王子市長を歴任。情熱的な若旦那は地元の気骨ある名士としてその生涯を終えた。

協救社についてはよくわかっていない。布田郷学校よりも早く破綻していたと思われ、角田についても不明だが、「協救社衍義について : 明治初期社会教育の背景」によると、大阪府において明治四年に設置される貧困救済、授産施設である大貧院の構想にその協救社の影響が見て取れるともいう。大貧院は、福祉というには余りにも貧弱だが、確かに明治初期の福祉政策の中心として機能していくことになる。豚をこよなく愛した復古主義者の大風呂敷は、意外な形ではあるが、明治初期のわずかばかりの人々を優しく包み込んでいった。

豚は日本を強国にしたか。否。ただ、ある地域の数百人の子供たちに教育を与え、あるいはわずかな困窮者たちにほんのちょっとの安心を与えた・・・かもしれない。

布田郷学校跡

今は調布の布田天神社の脇、かつて布田郷学校校舎があった大正寺の墓地の入り口に石碑と案内板がひっそりと佇んでいる。

■参考資料・サイト

・調布市郷土博物館配布「解説シートNo.1 甲州街道と布田五宿」
・調布市郷土博物館配布「解説シートNo.28 昔の教育」
歴史資料から調布を発見~御用留4発刊記念その2~(H20年3月分) – 調布市ホームページ
東京公文書館だより第三号
『学制百二十年史』文部省編著
・Web八王子事典 原豊穣
CiNii 論文 -  『協救社衍義草稿』の紹介-明治前期の「国益」思想の一例-
Osaka Prefecture University Repository: 協救社衍義について : 明治初期社会教育の背景

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