縁日の祭りの後にすぐ死ぬ金魚

ちょっと重たい記事の更新が続いたのでたまには軽い話題など。このデイリーポータルZの金魚すくいネタを楽しく読みながらふと昔の金魚すくいの思い出が蘇ってきた。
@nifty:デイリーポータルZ:金魚すくいの網の強度はティッシュくらい
僕が小学校低学年だったので、おそらく30年以上前の夏のある日。色々仕事の都合で滅多に僕と父は会う機会が無かったが、珍しく都合がついて久しぶりに会うことが出来、二人で近所の神社の縁日に行った。父は当時の父親世代におそらく良くいたであろう「金魚すくいチート能力」の持ち主で、久しぶりに僕と会ったことで彼は張り切ってしまい、テキヤのおっちゃんが唖然とするなか掬う掬う掬う、あんまり掬うんで、これはすごいとばかりに人だかりができはじめ、それがさらに父のやる気に火をつけるスパイラルの中で、結局30匹ぐらいだろうか。鼻高々の父と嬉しさ三割、恥ずかしさ七割の僕という微妙な空気になっていたのだが、まぁ、たんまりと金魚を持ち帰ることができた。
大きなたらいに水を入れて金魚を育て始めるのだが、当たり前と言えば当たり前ではあるが、これが死ぬのだ。すごい勢いで。次々と。三日もすると半分になり一週間以上生きながらえたのは数匹、全滅まで10日も持たなかったと記憶する。世に聞こえるイタリア軍だってまだ持ちこたえるだろう。それから僕の毎朝の日課は金魚の生存確認とその死体を庭に埋めて弔うことになった。おそらく育て方も相当悪かったのだとは思うが、なんとか生きながらえさせようと努力してみたところで、金魚は死ぬ。これは子供心に結構な衝撃で、シーシュポスのような転がっていく岩を眺めて「すべてよし」という境地に至ることも出来ず、ただただ死を見つめるしかなかった。
そんなとき次々と死ぬ金魚について、祖母がこう言った。「縁日の金魚は最初から縁日が終わったらすぐ死ぬように育てられとるもんやけんね。どうにもならんとよ」今思うと僕が金魚の死に罪の意識を感じないように配慮したものなのかもしれないとは思うのだが、まぁ、身も蓋もない。実際のところ、縁日の金魚はそのように育てられているものなのかどうか未だに知らないのだが。この経験と祖母の言葉は微妙に僕の死生観みたいなのに影響を与えていて、生き物はその刹那しか生きていないという感覚、死はもはや考えても仕方のない何かという感覚がどこかにある。特に話にオチはないのだが、たまにふと思い出すこの記憶について、子どものころの身近な生き物の死は、ちゃんと向き合わせてあげないと意外と何十年も残るものなのだよな、我ながらうまくその処理が出来なかったんだな、ということを省みさせてくれる、というお話。
あれ?軽い話書くつもりがあんまり軽くならなかった。チート能力者の父が当時、金魚すくいのコツは「破れる前に掬う」とか言ってたような覚えがあるけど、いや、「縁を使って掬う」だったかもしれない。ちょっと記憶が曖昧だが何にしろそれができたら苦労しない的なことだったような気がする。ということで、近いうちにまた更新しまーす。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする