鬼(オニ)へのインタビュー

日本には古来から「鬼(オニ)」と呼ばれる存在があった。あらゆるものに「霊魂」が宿ると考えるアニミズム的観念を前提とし、「霊魂」は人間と同様に喜怒哀楽の感情を持ち、その感情は天変地異様々なかたちで周囲に影響を及ぼす、と考えられた。荒ぶる好ましからざる状態にある霊魂は「荒魂(あらたま)」と呼ばれて恐れられ、それを鎮め、穏やかな好ましい状態に置く一連の手法を「祭祀」と呼ぶ。「祭祀」を通じて「荒魂」は「和魂(にぎたま)」へと変わる。そのような「祭祀」されない「荒魂」状態にある霊的存在を古代の人々は「鬼(オニ)」と呼んで畏れ、やがて「鬼(オニ)」には良く知られるような異形の姿かたちが与えられていく。それは人々にとって秩序の外に置かれるべき、あるいはうち滅ぼすべき者たちとして存在した。
馬場あき子「鬼の研究 (ちくま文庫)」(P14)によると、鬼の系譜は神道系、修験道系、仏教系の鬼とともに「放逐者、賤民、盗賊など(略)それぞれの人生経験の後にみずから鬼となった者」たちである人鬼系、「怨恨・憤怒・雪辱」など「その情念をエネルギーとして復讐をとげるために鬼となることを選んだもの」たちである変身譚系の五つに分類されるという。いわば排除され生きることがすなわち鬼となることであった者たちと、特定の人々に対してあるいは社会や体制などに対する負の情念の果てに鬼になることを主体的に選んだ者たちであろう。
後者二つの、鬼とならざるを得なかった人々、あるいは鬼となることを選んだ人々に対する一種の親近感と興味はいつのころからか、僕の中にふつふつと湧いてきてどうにも押し止めようの無い域に達しつつある。それは鬼の伝承そのものに対す興味というよりは、近現代の社会秩序の埒外にあることを選んだ人々への興味である。鬼はいかにして鬼となったか、そのプロセスを明らかにしたいという興味である。
その興味の湧く源泉には僕の心の中の境界線上を漂う危うさへの怖れがある。ふと気が付いた時、僕はただ生きているだけで社会との関係性において鬼として生きることを余儀なくされるのではないか、あるいはこの僕の中の得体のしれない情念が鬼として生きることを知らず知らず選ぶようになるのではないか、という怖れだ。いわゆる「沈黙のヴェール」を通して内と外とを眺めたときに、その怖れは今そこにある現実としてうつる。

小松和彦編著「妖怪学の基礎知識 (角川選書)」P24
完全な鬼になれば、もはやその姿かたちからはそのもとの姿を推し量ることはできない。道具から生まれた鬼に限らず、鬼とはそういうものであって、鬼の一人ひとりに、鬼になるまでの来歴を聞かなければ、もとは人間の死霊であったのか、生霊であったのか、動物の怨霊であったのか、といったことがわからないのである。

ここ一~二年、そのような「鬼になるまでの来歴」を探る鬼へのインタビューにどこかアンバランスなまでに囚われており、その鬼へのインタビューとしての記事をブログに良くアップしていた。年末ということで、少し振り返っておこうと思う。
・「裸で笑顔で生涯全国行脚し続けた男、及川裸観(ラカン)
2009年と古い記事でほとんど誰の興味を惹くことも無かった記事だが、確かにこれは僕の中である種の始まりではあった。両親が相当心酔していたらしく、僕も彼の育児法に習って育てられていたということで、他人事ではなかった。
・「イスラム原理主義思想の父サイード・クトゥブの生涯
今なら僕は「イスラム原理主義」という言葉を使うことは無いだろうが、いわゆるウサマ・ビン・ラーディンらへと繋がるサラフィー主義あるいは戦闘的イスラーム主義などと呼ばれる思想の始まりに位置する思想家の過酷な生涯についてまとめた記事。
・「進化論教育は罪か?スコープス裁判と原理主義が変えたアメリカ
未だに続く進化論問題、つまりキリスト教のファンダメンタリズム(原理主義あるいは根本主義)とリベラリズムとの対立の原点に位置する裁判の経緯について。原理主義が「原理主義」として怖れ忌まれることになるその始まりについて簡単に書いた。
・「「永遠に差別を!」米国を分断した政治家ジョージ・ウォレスの生涯
ポピュリズムというのは現代においても非常に重要な問題となりつつあると思うが、六〇年代の米国を席巻した一人の政治家の生涯を通して民意とかポピュリズムとかを眺めるきっかけに出来ないかなと思いまとめた記事。この人の生き様はすごく印象的だった。
・「拍手が変えた日本の歴史~道鏡を滅ぼした憎悪の正体
何分古代のことでもあり、いくつかの本、特に高取正男「神道の成立」の記述にほぼ依っているのだが、道鏡を失脚させた当時の政治的背景にある排除のメカニズムとそこから脈々とつながってくるかもしれない歴史の流れに思いを馳せた。
・「王殺し、偽王(モック・キング)の戴冠と死
人物に対するインタビュー、というよりはいわゆる文化人類学的な王殺しのメカニズムについてまとめた記事なのでちょっとずれるのではあるが、現代の「鬼」を考えるとき、この原初的なメカニズムが形を変えつつ今も存在しているような錯覚は覚える。
あわせて「村社会の宿業「子殺し」が生んだ妖怪「座敷わらし」」、「他者排斥を生む原始的な世界観の誕生プロセス
・第一部「はぁいそれじゃ自己紹介いってみよう」 「あ、あの、ウ、ウサマ…ビン・ラーディンです…その、ええと…どうか、よろしく、お願いします…」
・第二部「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない、アラブ世界って、そういう仕組みだったんだね・・・」
・第三部「アラブの人々の祈りを、絶望で終わらせたりしない」
人気アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」のプロットを借りつつウサマ・ビン・ラーディンの生涯についてまとめた。特に「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない」という名台詞はまさしくテロリズムが生み出される最大の要因であるところの「利他主義」の持つ二面性に通じると思う。同アニメ最強の魔女「ワルプルギスの夜」誕生をどこか思い描きつつ。もちろん現実はアニメのように美しくも、ロマンティックでも、ヒロイックでもなく、またそのように書いたつもりもない。ウサマ・ビン・ラーディンはいかにして憎悪に基づく二項対立的な思想を生み出したのか。そしてその思想の憎しみの増幅装置とでもいうべき構造故に鬼を生み続ける要因となるウサマ的思想を一人歩きさせない、人びとの内に自己犠牲の炎を燃やさせないことが悲劇を抑止することに繋がるということだと思う。その困難さに途方に暮れるのではあるが。最後に書いているように我々一人一人が誰かの希望になる、という世界をいかに展望できるかをこれから考えていかなければならないという趣旨でまとめたつもりではある。あわせて→「「テロリスト」の4つの特徴と「テロリズム」を生むもの
・「米国保守派の中核「ニューライト」を生んだ4人の保守主義者
七〇年代の米国で始まった保守革命のように新しい保守主義の台頭はいわゆる福祉国家に行き詰まりはじめた先進諸国全体でみられる現象で、それは同時期の社会構造の変化が大きく影響しているのだけどそれはまた別の機会に書くとして、レーガン政権に始まる共和党保守政権を作り米国だけでなく世界中で憎まれ、敵意を燃やされるニューライトという政治勢力を作った四人の人物について。
・「ジーザス・キャンプ ~アメリカを動かすキリスト教原理主義~
米国だけでなく世界中で忌み嫌われる宗教右派について、同名の映画からその背景や成り立ちなどを簡単にまとめている。その運動全体として他者に対する憎しみや敵意を生み出している物が、一人一人の純粋な祈りであるという構造は本当に語るべき言葉がみつからないのだけど。
・「豚が日本を救う?明治四年の教育ベンチャー「布田郷学校」
まぁ、これは箸休め的なニュアンスで書いた記事ではあるのだが、明治初期、今の東京都調布市付近にあった無償教育を前提とした初等学校を作った人々について。ある種の狂気こそが人を動かし、社会を変えたというお話。
こうしてみるとまだまだ非常に偏っているし数も少ないが、もっといろいろなかたちの「鬼」について見つめていきたいと思う。それは文字通り自分自身を見つめる作業でもあり、とても個人的な心象風景をまとめているに過ぎないとも言える。どこかで僕がもとめている物語を構築しているという風な。とはいえ公開するからには事実というものをしっかりと見つめていかなければならない。そのような自分を取り巻く厳然たる事実と自分が求める茫洋たる物語の狭間で折り合いをつけていくことこそが、たぶん「生きる」ということなのだろうと思う。そのような意味でただのライフログでしかなく、更新頻度も非常に遅いブログですが来年もどうぞよしなに。
来年も鬼を、魔を、排除された者たちを、禍々しいものたちの人なる姿を見つめていければと願います。

「形は鬼なれども、心は人なるがゆえに、身に力をさのみ持たずして立ち振舞えば、はたらき細やかに砕くるなり。」(世阿弥が語る鬼の能の演じ方)

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