日本の教育観を呪縛する「パーフェクト・チャイルド」幻想の歴史

広田照幸著『日本人のしつけは衰退したか』は、社会通念としてはびこる「家庭のしつけが衰退している」「青少年の犯罪が増加している」といった言説を詳細なデータをもとに否定しつつ、日本社会の教育観を社会教育学の見地から描き出す一冊である。まぁこの本については多くの書評がすでにあるし、一時話題になっていたので読んでおられる方も多いだろうから、敢えてその本筋について語る必要はないだろう。このエントリでは、同書で描かれる大正、昭和初期に登場した「パーフェクト・チャイルド」という教育観について簡単に紹介してみようと思う。

日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書 (1448))
広田 照幸
講談社
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第一章 「パーフェクト・チャイルド」概念の登場

近代の日本において親向けの教育ガイドブックが登場したのは一九一〇年代で、一九三〇年代頃までには主に台頭しつつあった新中間層向けに育児やしつけに関するノウハウを著した雑誌や本が多く発刊されるようになったという。彼ら新中間層の教育意識は第一に「明確な性別役割分業を前提にして、親(特に母親)こそが子供の意図的な教育の責任を負っている意識」(広田P54)、第二に、学校教育が掲げる目標と自身の子供にたいするしつけや人間形成の理想とを同一視する「家庭と学校教育の同型化」(広田P55)が見られたという。

この二つの教育意識を前提としつつ、相互に対立し、矛盾する教育方針に関する三つの志向性が登場した。

童心主義」・・・童心を賛美する、つまり子供の純真さや無垢という教育以前の状態を賛美するもの。
厳格主義」・・・子供は無垢=無知であるがゆえに早期から厳しくしつけや道徳教育をおこなって、ちゃんとした人格や生活規律を身につけさせようとするもの。
学歴主義」・・・教育、学歴をつけることで無知な状態から子供を脱却させようとするもの。

『これら三つは、相互に対立している。子供の無垢や純真さを賛美する童心主義が、子供の内発的なエネルギーや発想を大事にし、<子供らしさ>を尊重するものであるとするならば、厳格主義と学歴主義は、子供の無知や野放図さを嫌い、できるだけ早く「子供っぽさ」から抜け出して将来の準備をさせることに主眼をおいていた。また、童心主義と厳格主義とは子供の人格形成を重視するのに対して、学歴主義は知識習得に重点があった。』(広田P58)

「童心主義」「厳格主義」「学歴主義」はそれぞれ論者がおり、互いに否定しあう論調であったが、「子供に寛容であろうとする志向と厳しくしつけたいという志向との間の葛藤や、人格の形成を学校教育に期待したい思いと当面の受験準備を学校に求めたいという思いとの間の親の迷い」(広田P63)といった『その後の「わが子の教育方針に関する悩み」の起源』(広田P63)的な心情が親たちの間で芽生えつつあったという。

やがて彼ら新中間層の親たちは教育に関してその三つの志向全てを達成しようとするようになる。

『子供たちを礼儀正しく道徳的にふるまう子供にしようとしながら、同時に、読書や遊びの領域で子供独自の世界を満喫させる。さらに、予習・復習にも注意を払って望ましい進学先に子供たちを送り込もうと努力する――。すなわち、童心主義・厳格主義・学歴主義の三つの目標をすべてわが子に実現しようとして、努力と注意を惜しまず払っていた。それは、「望ましい子供」像をあれもこれもとりこんだ、いわば「完璧な子供=パーフェクト・チャイルド」(perfect child)を作ろうとするものであった。』(広田P64)

「パーフェクト・チャイルド」を作ろうという志向はすなわち母親(上述の通り性役割が明確化されていたから子育ては母親の役割と位置づけられていた)自身が「パーフェクト・マザー」になろうとする『かつてないほど強烈な「教育する意志」』(広田P66)の登場であった。

この「パーフェクト・チャイルド」幻想と「教育する意志」の芽生えはあくまで一九三〇年代の新中間層(実業家、軍人、大学教授等知識人層)の家族特有の事例である。村落ではむしろ親は子供を放任しており、家業については厳しいしつけがあったが、「共同体の規範に拘束されず独自の目標や手段を選択しうるという意味での、独立した<家庭教育>は存在していなかった」(広田P26)という。

第二章 明治国家の家族概念

明治以前の社会はそもそも「家族」という概念が多様な状態であった。地方ごと、村落ごとに違った規範があり、また必要に応じて子供たちは金銭で身売りや丁稚奉公に出され、最悪子殺しもありえたから、家族の範囲が曖昧であった。一方で、都市の武士階級などになると家という枠組みが重視され、「長男子の家督相続による累代的な直系家族という形態が支配的」(井上P85)であり、「戸主権・家長権の強大さ、徹底した単独相続、父系の尊重、女性の無視」(井上P85)などに特徴づけられていた。あるいは商家や職人などになると婚姻の自由など女性の自主性がある程度認められていたり、女性相続や末子相続などがあったり職業階層ごとに家族のあり方が違っているのが常だった。

このような多様な家族観を儒教的道徳原理と旧武士階級の家族制度を基礎とし天皇を父に、臣民を子に見立てた<イエ制度イデオロギー>として一つにまとめ近代国家の統一原理にしたのが明治維新であった。

『かくして、「個人」の目標は「イエ」の目標に従属し、「イエ」の目標は「中間(的規模の)集団」(たとえば、地域社会や職業集団など)の目標に従属し、さらに「中間集団」の目標は「国家」の目標に従属するという、きわめて強力なヒエラルキーが成立した。同心円的に重層化した集団のヒエラルキー構造が、人びとの観念のなかに、すっかり定着していったのである。』(井上P88)

政治単位としての「家族」であると同時に、経済的な単位としても位置付けられていた。例として著名な事業家渋沢栄一の儒教を基礎とした経済観を佐野眞一「渋沢家三代」から紹介しておこう。

プロテスタントの世俗的禁欲の倫理が、各人が自らの職業を天職と信じて勤労・倹約にいそしむ生活単位を生み出し、それが予期せざる結果として労働過程の徹底的合理化と富の蓄積をもたらす、というウェーバーの主張はよく知られている。

これに対し、栄一が重視した儒教は、父子の上下関係を基軸とした家族道徳の拡充普遍化を最大の眼目としていた。そこでは上なる権威への恭順こそが最も重要な自己陶冶となり、儒教的修養の厳格主義が、プロテスタントの禁欲主義と同様の社会的機能を果たすことになる。(佐野P213-214)

個人ではなく「上下関係を基軸とした家族」を経済単位として、近代資本主義の導入を図り、そのために「事業家の人格的完成を最大の徳目」(佐野P214)とする、というのが彼の理念であり、また渋沢に限らず同時期の多くの実業家たちも強い権威を持った家長に率いられたイエを経済の単位とする考えを大なり小なり持っていたようだ。そしてこれは明治国家における<イエ制度イデオロギー>の導入に大きな影響を与えたと見られる。

栄一の娘婿に法学者の穂積陳重という人物がいる。穂積陳重は弟の穂積八束らとともに、明治民法の成立の際、フランスの法学者ポアソナードの個人を基礎とした民法草案に対して反対の立場に立ち旧武士階級のイエを踏まえた家父長的な家族法の導入を行った当事者の一人であった(民法典論争)。ただし導入経緯は複雑で様々な議論が行われており、直接的に渋沢や穂積の影響があったとは言い難いのだが、明治国家において創出された「家族」というのが家父長的な権威をもった家長を頂点とし、国家の基礎単位としての政治的、経済的集団であったということは言える。

若干回り道したが、このような明治国家独特の「家族」観をより色濃く反映したのが当時台頭しつつあった新中間層の人々であったことは想像に難くない。フランス絶対王政期のブルジョワでも階層上昇を目的として子弟教育を重視する風潮があったというが、明治国家を支える集団としての矜持や、上昇志向がやがて事業家となる後継者に対する「人格的完成」に向けた教育の重視に繋がったのではなかろうか。

だが、そのような上昇志向だけではなくネガティブな圧力もあったのではないか。都市のスラム街は明治期から大正、昭和を通して拡大の一途を辿っていた。紀田順一郎「東京の下層社会」によると一九二六年の時点で東京市の人口二〇〇万人に対して極貧者は三万六八五世帯一二万三〇三〇人、低所得者層を合わせると約三〇万人におよび、東京市の人口のおよそ一五パーセントがスラム街とその周辺での生活を余儀なくされていたという。

このようなすぐ目の前に広がる残酷な貧困は一種の転落に対する恐怖を呼び起こしたのではないか。子弟教育の失敗はすなわち家族の没落を意味し、その没落先のイメージは想像の世界ではなくすぐそこに現実として広がっている。特に大正から昭和初期にかけて下層階級の調査研究がブームとなっており、雑誌や新聞がこぞって特集を組み、書籍も次々と発刊されていた。そのような恐怖感が少なからず彼らに拡がっていたとしても不思議ではない。

様々な社会状況が、当時の都市の新中間層の人々に家族を主体とした教育を重視させる方向へと働きかけており、その中で「パーフェクト・チャイルド」という幻想が形作られた。そしてこの幻想は明治国家が灰燼に帰してもなお人々の教育観として戦後から現代まで残り続ける。

第三章 広がる「教育の主体としての家族」

太平洋戦争中の空襲や疎開と戦時経済の影響で都市の中間層の生活基盤は激しく不安定なものとなり、戦後には社会の混乱や急激なインフレによる経済の破綻によって多くが生計の危機を迎えた。また、「敗戦を契機とする価値観の変化や民法の改正、教育政策の転換などは、都市でも農村でも、家族のあり方に大きな原理上の変更を求めることになった。」(広田P76)

一九五〇年代当時の家族の様子について、広田は多くの調査資料を基に様々な様子を紹介しているが、一九五三年に発行された教育学者小川太郎の分類を元に簡単に整理すると社会上層の有産階級では「親は子の幸福を財産や地位との関係において見、子の人格において見て」(広田P76)おらず、「子供の交友関係や結婚などに対して、親が自分の意思を強制したりする」(広田P76)戦前の家父長的な家族観が残っていたらしい。中産階級では『親は「できるだけ高い教育をその子に受けさせることによって、自己の家とその子の社会的地位を向上させようとする欲求を目覚めさせ」られ』(広田P77)、次第に激化し始めた進学競争の渦中で子供に勉強を強制するようになっていったという。いわば学歴主義への強いシフトを起こしていた。

『そこでは「立身という資本主義社会に固有な目標のために、奴隷制的な親の権力と権威が発動し、封建的な親の恩が強調されるのである。ここに中産階級に特有な親子の葛藤が生れる。成績が悪かったことできつく叱られたために家出する少年、受験に失敗して自殺をする青年についての記事は、中産階級のどの親子にもあるこの葛藤の爆発を物語っている」。』(広田P77)

無産階級(農村・都市下層)においては、親は『生活のために子供の労働を必要としており、そのため、「親が子に手伝・労働を絶対無条件的に要求し、子はこれに絶対的な恭順の態度で服従しなければならないという、古代からの奴隷制的な親子関係」が生じ』(広田P78)、「教育の場における親子の葛藤も、中産階級とは逆に、教育を受けようとする子と、教育ではなく労働にしたがわせようとする親との葛藤」(広田P78)が表面化していた。

一九五五年時点で新中間層は十四パーセント弱、農林漁業四〇パーセント、残りの大部分が労働者・小規模自営であり、若干誇張のある表現をはぶけば最後の無産階級の様子が概ね当時の家族の多数派であった。

これらの戦後の家族観は高度経済成長期に大きく変化する。

第一に、高度経済成長による都市での求人の急増によってそれまで地方の農村で滞留していた家系を継がない次男、三男などを中心とした若者たちが大量に都市に流入した。第二に、正社員と農業従事者との間の所得格差の拡大と農業の機械化など技術革新により、兼業化が進むことになった。第三に、次三男の流出や兼業化に止まらず、離農して都市に家族ごと移り住み都市勤労者化する例が急増した。農業従事者は一九五五年から七五年までの二十年間に百九万戸も減少し、地方から都市への大量移動によって戦後まで残った地域共同体は解体、家業継承の伝統は終焉を迎える。地方に残った人々にも公共事業や企業の地方進出など受け皿が用意され、核家族という新たな「家族」の枠組みが形成された。また都市の下層労働者たちも高度経済成長の波及効果によって所得は急増し、生活水準が高まることで総中流化の時代を迎える。

高校進学率は一九五五年の五一・五パーセントから七四年には九〇パーセント超、大学・短大進学率も一九五五年の一〇・一パーセントから七四年の三四・七パーセントへと上昇、ほとんどが卒業後に組織に雇用されて働く選択肢取るようになり、「高度経済成長期は、農村をふくめたあらゆる社会層が学歴主義的競争の中に巻き込まれるという社会を作り出し」(広田P108)、社会を「教育する主体としての家族」で覆い尽くした。

『高度経済成長期に進行した富裕化は、若い母親たちに、子供の教育によりいっそうの関心を払うだけの時間的・経済的余裕を生み出した。同時に、「家業の消失」によって、ほとんどすべての社会層の親が、子供の教育・進学に無関心ではありえなくなった。また、高学歴化や社会の情報化は、育児や家庭教育の細かなノウハウをどの階層の親でも手に入れることを可能にしただけでなく、子供のことで学校や行政と交渉するだけの知識やノウハウを身につけたりすることも可能にした。「少ない子供を大事に育てる」親の志向は、進行する少子化の趨勢により、ますますあたりまえのこととなった。』(広田P122)

七〇年代末から八〇年代にかけて、旧態依然とした体罰や校則、いじめや非行の問題が表面化すると、高度経済成長期には人材を輩出する機関として信頼を集めていた学校の著しい地位の低下と不信がもたらされる。同時期に外部教育機関としての学習塾が拡大し、九〇年代以降飽和状態になるものの、九〇年代に入ると知能訓練や語学教育などの早期教育業界が急成長を遂げはじめる。このような学校の地位低下と子供の教育の選択肢の増加は親たちに「外部のさまざまな教育機会を注意深く使いこなす」「子供のジェネラル・マネージャーとしての役割」(広田P126)を与えた。

第四章 現代によみがえる「パーフェクト・チャイルド」

現代に至ってついに『「子供の教育に関する最終的な責任を家族という単位が一身に引き受けるようになってきたし、引き受けざるをえなくなってきた」のである。』(広田P181)と広田は言う。その結果、「パーフェクト・チャイルド」という理想が再び姿を見せ始める。今度は昭和初期のような一部の新中間層の理想としてではなく、社会の多数派とならざるを得なくなった「教育する家族」の広範囲に広がる理想として。

社会心理学者の森真一は近代以降に日本社会で人々の生きる目的として機能していたイエ、村、国家、企業といった聖性を持っていた様々な共同体が衰退した結果、相対的に自己が神聖さを増し、デュルケームの言う「人格崇拝」が実効性を持つようになってきたことを指摘する。人生を自己のためだけに生きる自己目的化が進んだ結果、「一度きりの人生」という思想が広がってきている、という。「一度きりの人生」であるがゆえに失敗は許されないし、自身の持てる能力を限界まで開発したいと思うし、より充実した人生を送りたいと思うようになる。

かけがえのない一度きりの人生であるがゆえに、子育てと言う人生の一大事業を失敗するわけにはいかないし、そのためにもてる能力を全て発揮し、立派に子供を育て上げたい。理想の子供を。そのために、理想の親「パーフェクト・ペアレンツ」となって自己実現を成し遂げたるのだ・・・とかなり極端に描写したのだが、総合的に見るとそのような強迫観念じみた言説が次第にメディア等で多く見られ始めているように思う。

広田も、母親だけでなく父親が古い家父長的な立場としてでなく「母親と同様の役割をこなす父親」としての立場で育児参加をしようとする傾向から『今の<教育する家族>は「完璧な両親=パーフェクト・ペアレンツ」(perfect parents)を目指しているというべきかもしれない』(広田P125)と指摘している。好むと好まざるとに関らず教育の最終責任者としての立場でジェネラル・マネージャーとして振る舞うことを求められ、かけがえのない人生の中でなんらかそこに意味を見出すべく理想と現実の葛藤に直面せざるを得ない現状がある。

そのような「パーフェクト・チャイルド」という理想を構成する三つの志向「児童中心主義(童心主義)」「厳格主義」「学歴主義」も戦後も脈々と残って互いに相克しつつも現代的な装いで影響力を強めていっている。特に戦後主流であった「児童中心主義(童心主義)」の方法論が子供を尊重し選択の自由を与えることから「不明確な上下関係、あいまいなアイデンティティ、自己選択にもとづく柔軟な役割遂行などによって特徴づけられる不安定な構造」(広田P190)ゆえに「子供の自由や自発性の尊重と親(や教師)の抱く希望や目標との間で、親も子供も板挟みになってしまうというような状況が生まれかねない」(広田P190)という困難さを抱えているがゆえに、厳格主義がそのオルタナティブとして一定の支持を得るようになってきているという。

「パーフェクト・チャイルド」という、求めずにはいられない、しかし求めても求め得ぬ理想の達成のため上記の三つの方法論の葛藤と向き合わなければならないというジレンマがおそらく親たちの不安をかきたてずにはおかないのだろう。

とはいえ世の中の大多数の家族はそのような高尚なものを求めずともおそらく顕在化する葛藤や現実と折り合いをつけて、地に足をつけて日々を送っているように思うのだ。確かに上記のような不安定さや心理が強く要因としてあると思う。だが、以前紹介したような「入信のプロセス」とでも言うような過程を通して理想への探求を始めてしまっているのではないだろうか。
完璧な何か、純粋な何か、あるいは本当の何かといった遥かなる理想は一度求め始めると際限がない。その泥沼に足をすくわれそうになる想いをにそっと手を差し伸べる、大仰な「理想」や葛藤をもたらす「主義」などに分類することの出来ない、その関係性にこそ<教育する家族>としてではない、もう一つの現代の家族の肖像があるようにも思う。人の営みだけがもつフラジャイルさとしなやかさの同居する言葉に出来ないその関係性を、もう一度考えてみることが、この近代日本が生んだ呪縛から自由になる一つの方法なのかもしれない。

参考書籍
・広田 照幸著「日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書 (1448))
・井上 忠司著「「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)
・佐野 眞一著「渋沢家三代 (文春新書)
・紀田 順一郎著「東京の下層社会 (ちくま学芸文庫)
・森 真一著「ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)
・橋本 健二著「「格差」の戦後史–階級社会 日本の履歴書 (河出ブックス)
・広井 良典著「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)
・柴田 三千雄著「フランス革命 (岩波現代文庫)

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