一人歩きして悲劇を生んだ一冊の政治風刺本

一八六四年、皇帝ナポレオン三世治世下のフランス。弁護士モーリス・ジョリは「マキャベリとモンテスキューの地獄での対話」という著作を発表した。

『この著作は、モンテスキューとマキャベリという政治思想における著名人の対話という形式で、ナポレオン三世のフランス第二帝政を批判するために書かれたものである。モンテスキューが自由主義を擁護し、マキャベリがナポレオン三世側に立つ。後者が語るのは、政治はモラルと無縁だ、愚かな大衆には見せかけだけの民主制を与えて目を眩ませていればよい、といった主張である。』(辻隆太郎著「世界の陰謀論を読み解く――ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ (講談社現代新書)」P63)

自由主義擁護の立場から大衆迎合的な手法で専制君主にまで成り上がった政治家を皮肉たっぷりにあてこすった風刺本だったが、よほど出来が良かったのか半世紀とせずに著者の意図せざるかたちで装いを新たにして登場する。

十九世紀末のパリ、ユダヤ人将校へのスパイ冤罪事件「ドレフュス事件」で社会不安が広がる中、ロシア秘密警察は「帝政ロシアの存立を脅かす自由主義的・近代主義的潮流の責をユダヤ人に帰し、ユダヤ人迫害を煽り、既存秩序の正当化と延命を図る」(辻P63)ため、「マキャベリとモンテスキューの地獄での対話」のマキャベリ(ナポレオン三世)の主張をユダヤ人にそっくり置き替えた偽書を作成した。世に名高い陰謀論のタネ本「シオン賢者の議定書(プロトコル)」である。一九〇三年、「シオン賢者の議定書(プロトコル)」はロシアの新聞「軍旗」に発表され反響を呼んだ。

『当時のロシアは自由主義と近代主義の波にさらされ、帝国の屋台骨を揺るがせていた。ロシアを中心とした東欧諸国では、情勢不安のはけ口として激しいユダヤ人迫害がおこなわれ、「ボグロム」と呼ばれる大規模なユダヤ人虐殺が頻発していた。そして「軍旗」編集長のクルーシュヴァンは帝政ロシア最大級のボグロム、一九〇三年四月キシネフのボグロムの扇動者でもあったのである。』(辻P61)

ユダヤ人は娯楽を与えて大衆を堕落させる、ユダヤ人はメディアの情報を支配し人々を都合の悪い出来事から遠ざけようとしている、など「ユダヤ人の計画」が記されたこの偽書は、人びとの「ユダヤ人ならやりそうだ」という偏見や思い込み、ユダヤ人を攻撃したい欲求にすっぽりとはまり込んで一九二〇年前後ごろまでに出所不明のまま世界中に広がることになる。

米国の実業家ヘンリー・フォードは「シオン賢者の議定書」を元にユダヤ人批判の著書を発表して話題となり、アドルフ・ヒトラーはこの偽書を信じることでユダヤ人への敵意を育み、やがてホロコーストを実行するまでにユダヤ人陰謀論という妄想を肥大化させた。日本でも軍部や徳富蘇峰ら知識人を中心に広がって反ユダヤ的言論が盛り上がり「ユダヤ陰謀論が政府の承認のもとで、戦争の正当化と国内世論の統一におおいに利用された」(辻P29)。

ジョリも、まさか時の権力者を風刺しただけの文書が後世に偽書として蘇って対立を煽り、数多の人々を苦しめ、死に至らしめるほどの影響力を持つとは夢にも思わなかったに違いない。

だが、皮肉や風刺とそのためのレトリックは人々の言葉を代弁し、溜飲を下げるだけではない。時に敵意を煽り、あるいは人々を分断することが出来る諸刃の剣でもあるし、それが良くできていればいるほど普遍性を持って一人歩きし始める。他者を批判するときはどれほど言葉を尽くしてもなお誤解から自由ではない。その批判が誰かの怒りや不安や憎悪と密接であればあるほど、誤解は生まれやすく、時に悲劇に繋がるということを肝に銘じておきたい。

『威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもやらずハッタリもせず、天下独特の肝癪(かんしゃく)を経(たていと)とし色気を緯(よこいと)とす。過激にして愛嬌あり』(宮武外骨のモットー

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