鎌倉幕府滅亡スポットを歩く

歩いたのは去年(2011年)の十二月ごろ。

元弘三年(一三三三)、分倍河原の戦いにおいて鎌倉幕府軍を撃破した新田義貞軍は諸勢力を糾合して一説には六十万もの大軍勢となり、鎌倉を包囲する。だが、三方を山に囲まれた天然の要害で知られる鎌倉に籠り、鎌倉七口とよばれる七つの陸路を防衛ラインに幕府軍は防戦に徹したことで、名将が率いる大軍勢をもってしてもさすがに攻めあぐねた。

新田義貞自らが主力を率いて攻略した七口の一つ化粧坂はいま鎌倉市の源氏山公園の一角にある。

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化粧坂

化粧坂

化粧坂

化粧坂

化粧坂

実際に訪れてみると、その険しさに目がくらむ。ここを鎧兜の重武装で戦いながら駆け上がるとかむーりー。むーりーだーよー。

源氏山公園の源頼朝像

源氏山公園の源頼朝像

源氏山公園の紅葉

源氏山公園の紅葉

化粧坂を守っていたのは金沢貞将。反乱軍討伐のために転戦に次ぐ転戦で鎌倉幕府の崩壊を防ぎ続けていた幕府軍屈指の武将だ。他に巨福呂坂、極楽寺坂方面の攻略も攻めあぐね、極楽寺坂攻略では新田軍の将大舘宗氏が戦死しており、陸路からの攻略は無理と悟った新田義貞は作戦を変えて海からの上陸を敢行する。

由比ヶ浜

由比ヶ浜
稲村ケ崎方面からの侵入を図ったがここでも峻険な地形に阻まれ、潮が引いたタイミングを見計らって由比ヶ浜に上陸を成功させる。これによって背後を突かれた幕府軍は総崩れとなり、金沢貞将、大仏貞直をはじめとする主な武将が揃って討死、執権北条高時ら一族は東勝寺に籠って自ら火を放ち自害。鎌倉幕府は滅亡した。

東勝寺址

東勝寺址

東勝寺は三代執権北条泰時の頃に創建された北条家の菩提寺で、祇園山という丘陵地にあり、有事の際には城塞として機能するよう作られたものとされる。室町時代に再建されたが戦国時代に廃絶、現在はその跡地だけが残る。

この東勝寺の裏手に、北条一族が自害したと伝わる「腹切りやぐら」がある。

腹切りやぐら

腹切りやぐら

腹切りやぐら

遺骨は無く、卒塔婆と供養の石塔だけが建てられている。今も清浄さと不穏さの狭間にあるような不思議な雰囲気が漂っており、歴史の重みをずしりと感じることが出来るスポットの一つだと思う。

腹切りやぐらはいまはハイキングコースとして整備されている祇園山ハイキングコースの入り口付近にあり、そのまま山歩きが楽しめる。なかなかアップダウンのある歩きごたえがある山道なのでおすすめだ。

祇園山ハイキングコース

祇園山ハイキングコース

祇園山ハイキングコース

祇園山ハイキングコース
山頂からは鎌倉市街が一望できる。

祇園山ハイキングコースのリス
こんな子にも遭遇した。ちょこまかと落ち着きが無くてかわいかった。
次はたぶん鎌倉幕府草創期の人達の墓めぐり記事あたりが近いうちに。

化粧坂がある源氏山公園

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由比ヶ浜

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東勝寺跡

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