いかにして中世日本で市場経済が浸透したか?

櫻井英治著「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)」で、中世日本における市場経済の浸透について簡潔に説明されている。

平安後期の年貢について、『中世の年貢には米だけでなく、塩・鮭(さけ)・鮑(あわび)などの水産物や榑(くれ)・檜皮(ひわだ)などの林産物、鉄・金などの鉱産物、絹・麻布などの繊維製品、筵(むしろ)・合子(ごうず)などの工芸品等々、いわゆる非水田生産物が多数含まれて』(P108)おり、それらは農業の合間に生産できない物なども多数含まれていた。そしてそれらは水田に対して賦課されており、農民たちによる一定の商品交換に基づいて集められることを前提とした仕組みであった。またその年貢を徴収する貴族や武士などの荘園領主たちもその徴収された年貢は売却・換金されるか、『米や絹、麻布などがそれ自体貨幣として物資の購入に充てられていた』(P108)という。

一二七〇年前後を境に、その年貢がすべて銭で収める形態に変化する。これを年貢の代銭納制と呼ぶ。まず絹と麻布が一二二〇年代に銭で納められはじめ、十三世紀末までに米年貢も代銭納制が浸透した。これによって生産物は現地で売却・換金された上で得られた銭が年貢として中央に送られることになる。『つまり年貢の代銭納制は日本列島に膨大な商品の流れを発生させ、その結果、代銭納制以後の日本列島では本格的な市場経済が展開したと考えられるのである』(P110)。

この中世における年貢の代銭納制への移行の背景としては中国王朝の宋から元への交替が大きく影響していたという。

『日本の中世国家は、朝廷にせよ、幕府にせよ、貨幣をみずから鋳造することはなく、周知のように、その供給をほとんど中国の銅銭に依存していた。そしてそれをささえたのが、中国歴代王朝のなかでもとくに大量の銅銭を鋳造したことで知られる北宋の貨幣政策だった。ところが一二七六年に元=モンゴルが事実上南宋を滅ぼして中国を統一すると、翌年、元は紙幣専用政策をとり、紙幣の流通を円滑にするために銅銭の使用を禁止した。その結果、中国国内で使い道を失った銅銭が海外に大量流出し、それが日本においては年貢の代銭納制を一気に普及させる結果をもたらした(後略)』(P114)

十三世紀後半、ヴェトナムやジャワなど東アジア全域で中国銭使用の拡大が起きており、その影響を日本も受けることで、市場経済社会の浸透がもたらされたということのようだ。

また、代銭納制の浸透による市場経済の展開は信用経済の発達と商品作物の生産促進という二つの効果ももたらした。割符(さいふ)と呼ばれた手形は畿内の問屋が振出し、地方での買い付けに用いられ、地方の荘園の代官や百姓を介して京都の荘園領主の元に渡り、問屋に持ち込まれて換金された。割符による年貢納入が行われた地域もあったという。また、最終的に銭納すれば良い訳なので、換金性が高い、その土地土地に応じた多様な生産物が作られ始めた。十四世紀ごろからそれまで資料に登場してこなかった新しい特産物が次々と登場してくるのだという。

このような中世の市場経済社会化はやがて贈与経済の発展ももたらし、日本の歴史上まれにみる信用経済発達のピークを迎えることになる。借用証書が流通し、債権そのものが債務者の知らないうちに自由に流通する。経済関係だけでなく人間関係も文書化することで自由に譲渡できるという観念が発達し、地位や主従関係、顧客などにいたるまで希薄化、ときに売買や譲渡が行われた。

中世的な信用の観念を前提とした市場経済社会は十四世紀をピークにして十五世紀から十六世紀にかけて急速に解体する。行き過ぎた市場経済化の反動で、流動化した社会から、情誼や関係性を重視する固定化した社会へと反転、戦乱の時代を経て江戸幕府が誕生することになる。江戸幕府では年貢の米納が復活。再び市場経済の成熟と信用経済の発展が見られることになるのは江戸中期から幕末にかけての時期まで待たねばならない。

中世の経済、社会というのはある種日本史のミッシングピースのようなもので、現代社会の感覚で眺めてしまうことで、ついつい歴史観の創作を行ってしまいがちだが、まずは俯瞰した視点を獲得することで、多様な見方が出来るようになるように思う。なんだったか、中世史家の本郷和人先生言うところの当為と実情の違いというやつ。特に史料をがつがつ漁って全体像を丁寧に組み立ててくれる専門家と言うのは非常に貴重だ。

とりあえず色々と同時代のことを調べていくうえで、おさえておくと後々便利そうだったので簡単にメモ。大河ドラマ「平清盛」でも宋銭が登場したりしますが、こういう中世の市場経済化を準備した時代という視点で見るとまた面白いかもですね。

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