お金を洗えば何倍にも増えるという「鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社」

去年の十二月ごろ、鎌倉を散歩した時に鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社に行きました。ここでお金を洗うとお金が増えるという言い伝えがあり、平日でも参拝客が絶えない神社です。写真が結構ブレブレだけど。

銭洗弁財天宇賀福神社

佐助が谷とよばれる源氏山公園周辺の丘陵地の一角にあり、急こう配の坂道を登って行った中腹あたりにある。登りきると源氏山公園だ。

境内へと至る参道代わりのトンネル
銭洗弁財天宇賀福神社参道のトンネル

ワイルドに掘られたトンネルを抜けると境内だ。このようなトンネル仕立ての産道は、参道(=産道)らしさ全開なので非常に好み。

本宮
銭洗弁財天宇賀福神社本宮

境内の案内板によると文治元年(一一八五)巳の月巳の日(注1)、源頼朝の夢枕に一人の宇賀福を名乗る老人が立ち、この場所を教えて祀ると、天下は平穏になると伝えたため、頼朝がこの場に宇賀神を祀って信仰したという伝承が残る。

その後、時は下って正嘉元年(一二五七)巳の年の仲秋、北条時頼も頼朝の信仰に倣ってここを参拝し、『「辛巳」「なる」「かねの日」がすべての人びとに福徳が授けられる日だ』として参詣を薦め、この際、信仰する者の一人が『持っている金銭をこの水で洗い清めると同時に心身を清めて行いを慎めば、不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になるといい率先して持っている金銭を洗って一家繁昌、子孫長久を祈』ったという。ここから、銭を洗うことでお金が増えて戻ってくるという信仰が始まったということのようだ。

巳の年とあるのでおそらく事実かどうかは曖昧で、ある程度創作が混じっているだろうが、十三世紀後半から銭を洗う信仰が始まったとすると、先日書いたエントリ「いかにして中世日本で市場経済が浸透したか?」が参考になるだろう。丁度この信仰が始まった時期と、日本中に宋銭が流通して年貢の代銭納制が成立して市場経済が浸透した時期とが大きく重なる。銭の価値はおそらく社会的にかなり大きく上昇していただろう。銭が増えるということはすなわち「一家繁昌、子孫長久」と密接なものと観念されていたであろうことは容易に想像できる。

奥宮
銭洗弁財天宇賀福神社奥宮

奥宮には写真中央付近に宇賀神が祀られており、その下に洗い場がある。宇賀神は蛇神なので、このようにうねっとしていて、個性的だ。結構好きなんですよね。(追記)確かに宇賀神が”名状し難い”さん的な形状でもあるのは琴線に触れるかもしれない、とか思ったりも。

銭洗い場
銭洗弁財天宇賀福神社銭洗い場

ここで参拝客はざるにいれて硬貨や紙幣を洗い、財が増えることを願う。平日ながらこの日もひっきりなしに参拝者が老若男女問わず訪れていた。結構若い人が多かったように思う。みんないい感じに湿ったお札をピラピラさせて乾かしながら楽しそうにしている様子は、なんかすごく面白かったです。聞いた話ではクレジットカードを洗う人もいるとかなんとか・・・その場合は何が増えるんだろうか(笑)負債額が増えそうな気もするけど、与信限度枠が増えるのか、それとも支払分が減るのか、謎だ。

あと、この信仰に則るならマネタリスト的に聖地な気がするのだけど、ミルトン・フリードマンの霊が日銀総裁の枕元に立ち参拝を薦めるので巳の日に参拝したら政策は変わらないのに何故かマネーサプライがすげー増えた、的な伝承を付け加えてみてはどうだろうか(笑)グリーンスパンさんを始めギリシアとかスペインとかオランダとかから政策関係者が殺到しそう・・・って、そんなネタはまぁいいか。

ということで、鎌倉を散歩した際に立ち寄った色々個性的で面白い神社の紹介でした。

注1)巳の日が何日なのか計算しきれんかったが、文治元年巳の月(旧暦四月)って何気におかしい。文治は八月十四日に改元なので文治元年四月はそもそも存在しない。元暦二年(平家は元暦を使用せず寿永四年)の間違いか、後々由緒を創作するときに一一八五年=乙巳の年に伝承を合わせたんだと思う。


大きな地図で見る

鎌倉おさんぽマップ (ブルーガイド・ムック)
実業之日本社 (2011-09-05)
売り上げランキング: 94169
スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする

関連コンテンツ

スポンサーリンク
スポンサーリンク