「宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史」永田 諒一著

永田 諒一著「宗教改革の真実 (講談社現代新書)」は宗教改革の時代のドイツの民衆の様子を社会史の視点から描いた一冊である。

著者の説明を借りると、伝統的な歴史学が『政治史の優位と事件史的な歴史叙述を特色』(P12)として、『社会の「急激に変化する過程」に注目』(P12)してきたのに対して、社会史とは、『これに対抗する形で社会の全体、あるいは中下層に焦点をあわせ、また、百年も二百年も変わらない制度、習慣、ものの考え方に注目』(P12)した分野、いわゆるアナール学派の手法を基礎としたものだ。

例えば日本の民俗学の視点とかなり近いのかもしれない。民俗学者宮本常一は自身の足跡を振り返って『進歩のかげに退歩しつつあるものをも見定めてゆくことこそ、今のわれわれに課せられてれているもっとも重要な課題ではないか』(宮本常一「民俗学の旅 (講談社学術文庫)」P234)と後年著しているが、まさにそのような民衆の日々の営みを丁寧に見つめ、解きほぐしていく民俗学と似て、社会史もまた変化を追い求めることを宿命づけられた歴史学へのオルタナティブという立ち位置であるのだろうと思う。

この本で描かれるのも実に地味な中世の人びとの日常の事柄だ。ダイナミックに動く宗教改革運動の後景として広がる民衆の生活の様子、例えば贖宥状や聖遺物を巡る民衆の信仰であるとか、宗教改革派の修道士たちや宗派が異なる者たちの結婚を巡るあれこれ、カトリック、プロテスタント双方が一つの教会を利用する上での駆け引き、カトリックとプロテスタントの間の祝日のずれが与えた日常生活への影響、宗教行事である「行列」が巻き起こしたある都市での紛争、などが丁寧に史料を読み解きながら描かれる。

例えば宗教改革が巻き起こした”肉”の問題が面白い。

キリスト教では復活祭の前の六週間半は四句節と呼ばれて肉食を控える習慣がある。そのため四句節の直前には肉をたらふく食べようというカーニバル「謝肉祭」が開かれるわけだ。ところが宗教改革運動によるカトリックとプロテスタントの分裂はこの肉について困った事態を巻き起こすことになった。

一五八四年のカトリックの四句節は二月十四日~三月三十一日である。これに対して宗教改革派の四句節は三月十四日~四月二十八日までである。そして、ドイツの都市アウグスブルクの精肉販売業者はほとんどが宗教改革派であったという。すなわち、アウグスブルクのお肉屋さんはカトリックの四句節が明けても、自身は四句節中であるという理由でカトリックの人びとに肉を売らなかったというわけだ。別に自身が食すわけではないので売る分には問題無いのだが、カトリックへの反感から販売をボイコットしてしまった。

ということで、通常一か月半の肉絶ちで済むところが、二か月半の肉絶ちを余儀なくされたカトリックの人びとはほとほと困ってしまい、ついに市当局が介入して抵抗する食肉業者のうち主導する六店舗の販売免許を剥奪してカトリック系の外来業者に分配してしまった。そしてこれを不満とする食肉業者の抵抗が断続的に続いたという。信仰義認論だとか農民戦争だとか殉教などといった目立つトピックではなく、このような地味な、しかし日常生活にダイレクトに関係する対立の様子が当時あったところが面白い。肉の恨みは今も昔も大きいのである。

このカトリックとプロテスタントの祝日のズレは実は現代の我々にも大きく影響するある決定が生んだものだ。一五八二年、ローマ教皇グレゴリウス十三世は改暦を発表した。旧来のユリウス暦では実際の季節とのズレがあり、そのズレを修正した暦に改定する必要があったからだ。かくして現代のわれわれが使っているグレゴリウス暦が導入される。

ところが、グレゴリウス十三世は改暦への根回しをほとんどせず、勅許を発表して諸侯に要請するだけだったので、宗教改革運動の対立の最中にそんな火に油を注ぐような話に乗る諸侯がいるはずもなく、丁重に無視されることになった。かくしてカトリック教会とカトリック派の諸侯だけが新しい暦を使い、宗教改革派は旧来のユリウス暦を使い続けるという事態に陥ってしまった。頭ごなしに新しい暦に従えと言われても、カトリック教会が象徴する旧来の権威に対する反感が宗教改革運動の原動力であったから、たとえ合理的な内容であろうとも従うことなど出来ないし、敢えて逆らおうとする心理が働いたというわけだ。

アウグスブルクでは一五八三年に市当局によって新暦の導入が決定されたが宗教改革派が異議を申立てて、ルター派とカトリックの信仰を選択できることを定めた「アウグスブルクの宗教和議」を踏まえて『宗教改革派市民の全体が同意するまでは保留すべき』(P181)という決定がなされていた。両方の暦が並立する混沌とした状態が市民生活にどーん影響を与えた結果として、祝日がずれて肉を巡る対立が生まれていたのだった。

このように、宗教改革運動とそれを取り巻く政治的な動きが、民衆の生活にどのように影響を与えたか、あるいはそのような宗教改革運動から離れて、民衆が送る日々の様子はどのようなものだったか、を数少ない史料を駆使しつつ描いた興味深い一冊なので、社会史や心性史に興味がある人にオススメしたい。

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