多磨霊園墓めぐり(内村鑑三、北原白秋、高橋是清、東郷平八郎、山本五十六)

スポンサーリンク
スポンサーリンク

内村鑑三の墓

内村鑑三の墓

二年ほど前に多磨霊園を散策したとき内村鑑三の墓に参ったのをストレージにアップしていた写真を整理していて思い出した。

I for Japan,
Japan for the World,
The World for Christ,
And All for God.

と彫られた墓は確かに他の墓と比べて遥かに異彩を放っている。二つのJとして有名な彼の信念に連なる一文だけど、現代から見るとやはり飛躍と言っていい違和感を覚えずにはいられない。明治特有のパトリオティズムと、クリスチャンとしての信仰との二つのアイデンティティを繋ごうとする腐心の跡が痛いほど感じられて切ない気持ちになった。

北原白秋の墓

北原白秋の墓

こちらも多磨霊園。近年では全く見られなくなった土饅頭型の墓。土饅頭型は韓国の儒教式で多く見られる陵墓で、日本でも例えば徳川慶喜が土饅頭型の墓に埋葬されているし、「武蔵野陵墓地」の大正・昭和両天皇皇后陵も土饅頭型だ。おそらく白秋は土葬されているのだと思う。彼の宗派はなんだったか。晩年国柱会(日蓮主義)の田中智學に心酔して国家主義に傾倒していたのは有名だが、日蓮宗系かしら。

国家主義者白秋という流れで、ちょっと見つけてしまった北原白秋作詞「万歳ヒットラー・ユーゲント」の動画など。

<軍歌>万歳ヒットラー・ユーゲント(独逸青少年団歓迎の歌)

高橋是清の墓

高橋是清の墓

近年、その経済政策から再注目を集める首相・蔵相として有名な政治家の墓。政治家・軍人の墓はどうも似たり寄ったりなのが多い気がするけど、まぁオーソドックスなのが安定感があって良いのかな、とも。世界恐慌後のインフレ対策で軍事予算削減を断行した結果、陸軍の恨みを買うことになり、二・二六事件で決起将校の襲撃に合い射殺された。

東郷平八郎の墓

東郷平八郎の墓

日露戦争の活躍で一躍世界的な海軍提督になった東郷平八郎の墓。昭和九年に八六歳で大往生を遂げたが、急速に神格化され、当人は生前固辞していたにも関わらず東郷神社が作られて神として祀られることになった。また、当初青山霊園に埋葬されるはずだったが、遺族の反対を押し切る形で多磨霊園に墓が造られたという。軍国主義的世相を背景に多磨霊園が霊園内の一角に「名誉霊域」という区域を造り、その第一号として東郷平八郎の墓を造りたいと申し出たためだ。国葬を経て大々的に注目を浴びる中多磨霊園に埋葬されたという。死者を、政治的思惑で翻弄するのは怨霊信仰から続く伝統と言っていいのかもしれない。

山本五十六の墓

山本五十六の墓

昭和十八年四月十八日、パプアニューギニアのブーゲンビル島上空で戦死した海軍大将の墓。いわゆる「名誉霊域」の第二号で、東郷平八郎の墓の隣にある。ちなみに遺骨は新潟県長岡市の山本家の菩提寺である長興寺に改葬されている。山本家は長岡藩筆頭家老河合継之助とともに北越戦争の敗戦の責任を取ることで処刑された山本帯刀の代に断絶していた。それに心を痛めていた元藩主の子牧野忠篤は将来有望な海軍士官だった元藩士高野貞吉の子高野五十六に山本家の再興を託し、五十六もその思いに応えて奮励し山本家の家名を轟かせた。そして死後も一旦はこの墓に収められたが、後に山本家代々の墓に改葬される。多磨霊園の「名誉霊域」に座すこの墓は確かに威風堂々とした風格があるが、彼の人生の”名誉”はここには無く、長興寺の質素な山本家代々の墓にこそある。余りにも墓石に堂々とした風格があるがゆえに虚無感も一層感じずにはいられない墓だった。

参考
多磨霊園:名誉霊域(7区/特殊)

江戸川乱歩の墓を見つけきれなくて泣く泣く帰ってきた思い出がよみがえってきたので今度また行ってみよう。


大きな地図で見る

余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)
内村 鑑三
岩波書店
売り上げランキング: 64246

北原白秋歌集 (岩波文庫)
北原 白秋
岩波書店
売り上げランキング: 63159

昭和史 1926-1945
昭和史 1926-1945
posted with amazlet at 12.06.03
半藤 一利
平凡社
売り上げランキング: 15526
スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする

関連コンテンツ

スポンサーリンク
スポンサーリンク