「社会的排除―参加の欠如・不確かな帰属」岩田 正美 著

「社会的排除」(social exclusion)はフランスで生まれた言葉である。一九七〇年代以降、福祉諸制度からこぼれた人々の存在が指摘され、フランスの共和主義が基盤とする「連帯」思想に基づいて『排除された人々社会的なコミュニケーションやネットワークの回復に社会の側が責任を持つ』(P17-18)という趣旨で使われ始めた。一九八〇年代以降EU全体で若年者失業問題が議論される中で「社会的排除」と「社会的包摂」(social inclusion)とが対で語られるようになり、二〇〇〇年以降EU共通の目標として社会的排除との闘いが最重要視されるようになった。

EU欧州委員会の文書(Commision of the European Communities[1993]1)では社会的排除は以下のように定義されている。

『社会的排除は、現代社会で普通に行われている交換や実践、諸権利から排除される人々を生み出すような複合的で変動する諸要素に用いられている。貧困はもっとも明白な要素の一つであるが、社会的排除はまた、住宅、教育、健康そしてサービスへのアクセスの権利の不適切性をも意味する。それは個人や集団、とくに都市や地方で、場合によっては差別され、隔離されやすい人々へ不利な影響を及ぼす。そしてそれは社会基盤(インフラ)の脆弱さと、二重構造社会をはじめから定着させてしまうようなリスクと強く関っている。委員会は、社会的排除を宿命的なものとして受け入れることには断固反対する。そして、すべてのEU市民が人間の尊厳を尊重される権利を有していることを信じている』(P20-21)

「社会的排除/包摂」は当初から学問的な言葉ではなく政策的な言葉として誕生してきたため、その概念には論者によって様々な説があり、一貫した定義があるわけではない。それでも現代社会の諸問題を表す上で有意義な言葉であり、近年特に熱心に研究されてきている。著者はその研究成果を踏まえて「社会的排除」の特徴を以下のように整理する。

まず第一に「参加の欠如」である。『それが行われることが普通であるとか望ましいと考えられるような社会の諸活動への「参加」の欠如』(P22)が「社会的排除」の特徴として挙げられる。ただし「参加」とは『単にある関係が保たれているとか、ある団体への加入が認められているということだけを意味しているわけではない』(P23)。

例えば、仕事がある、というだけで「参加」とされるわけではない。非正規労働や日雇い労働、あるいは正規雇用でも下位の人などであれば、物事を決定したり、意見を表明する権限・権力の欠落があり、その立場は不安定にならざるを得ない。一概にその欠落を排除と言うことは出来ないが、そのパワーの欠落を埋めることできるような、対抗する発言力や権力を獲得し、その力の『発揮が可能であるような社会関係をほとんどもてない状況』(P23)が「排除」として問題にされる。

第二に「複合的な不利」が挙げられる。『社会的排除がさまざまな不利の複合的な経験の中に生まれ』(P24)、その社会的排除の特徴である『「参加」 の欠如は, ひとつの問題から生まれるのではなく, さまざまな不利が複合的に絡み合うところに出現してくるし,またその結果として別の側面の不利を結果することがある』(注1)という。

これは社会的排除に至る要因が一人一人の多様な個別の問題から生まれた『さまざまな「差異や逸脱の状況」』が存在することにあり、従来の一律な福祉国家のシステムではその個別的な排除の問題が統計上も把握しづらく対処不可能になってきている。『旧来型の福祉国家が対応できない、個別の人生軌跡の中に生ずる諸問題の総称』(P24)が「社会的排除」なのだという。

ゆえに「社会的排除」は『人々の社会活動のあらゆる側面、あるいは地域社会全体をその視野に入れ』(P25)た、社会問題全般に対する包括的なアプローチとならざるをえない。

社会的排除は「参加の欠如」「複合的な不利」に目を向けることで、貧困、孤立などの静的な状態ではなく、その排除にいたる「プロセス」を重視した概念になる。それは『あらゆる複合的不利に焦点を合わせ、グローバルからローカルな社会構造の中で、「個人的に」生起する』(P28)プロセスだ。一方で、このように社会的排除という言葉がグローバル、ローカル、個人まで幅広くカバーしたプロセスを対象としているため、結果として曖昧なものになってしまっていると言える。

そこで著者は社会的排除として現れる「空間からの排除」「制度からの排除」という二つの側面について焦点を当てる。ジェントリフィケーションと呼ばれる都市再開発の流れは富裕層・中流層を居住者として移動させる一方で、貧しい人々たちの住む住宅から、あるいは公園や施設からの立ち退きを余儀なくされ、他の地域へと移動させられることになり、その移動先でもまた立ち退きが繰り返されるなど、頻繁な地域移動を繰り返させることになる。頻繁な地域移動はすなわち地域ネットワークやコミュニティの相互扶助から抜け落ちることになるし、また子供たちの学校教育にも影響を及ぼすことになる。また、空間から排除された人々が集まる地域がゲットーとか、「寄せ場」などと呼ばれ排除された空間として意味づけられていく。

制度からの排除」としては、二つの側面がある。一つはある特定の人々が制度から排除される場合、もう一つは制度そのものが排除を生み出す場合である。

第一の特定の人々が制度から排除される場合とは、移民労働者などのように『市民としての資格それ自体を欠いているとか、疑われるというような場合、あるいは制度が設定している資格要件に適合しない』(P30)ケースと、情報が得られない、利用するための経済的負担を担えないなど『そうした資格はあるが、実質的に制度へのアクセスが妨げられている』(P31)ケース、担当者にいやな目に合わされたなど『人々が制度や行政組織を信用せず』、『利用者の側から関係を切断してしまう』(P31)ケースなどがある。

第二の制度そのものが排除を生み出す場合とは、ジェントリフィケーション政策のように都市の再開発を進めたことによる意図せざる結果として排除が進むような場合と、そもそも排除を目的として政策が進められる場合とがある。

『たとえば山谷などの「寄せ場」は、メインの福祉制度から稼動年齢層の貧困を排除し、隔離する政策の中で形成され、あるいはハンセン病患者の療養所、障碍者の施設なども、彼らを主要社会から排除しつつ隔離する対処といえる。ここでの排除は、制度それ自体の目的である。』(P32)

このような「社会的排除」が浮き彫りになってきた背景は七〇年代以降に福祉国家諸国が直面したグローバリゼーションという大きな社会変動の帰結として捉えられている。

特に資本移動の流動化は人的資源にも適用された結果、労働市場の再編が起こり、一部の中心的業務を除いて業務が断片化され労働が非正規化と不安定化するとともに、それに伴う実質所得の低下が世界的に進行し、その結果福祉国家体制下で安定した中流層を形成していた人々の分裂が起こった。先進諸国を全体的に見た場合のそれは次の三つの状況への分断であるという。

(1)排除された空間で生きているために、排除された人々だと明確にわかるような人々の状況。彼らは低位な労働と福祉の間を行ったり来たりしている。
(2)仕事もあり、「工業社会」時代にほぼ近い収入も得ているが、「工業社会」時代よりは。ずっと「不安定」な状況にある人々。
(3)社会のトップ五%程度の人々で、安定した収入と豊かな生活状況にある人々。(P35)

(1)と(2)との間は流動的だが、(3)とそれ以外との間の移動は『経済的資産だけでなく、学歴やその他文化的な資産も含めた複合的な条件が、参入のパスポートとな』(P35)っているという。

『福祉国家は、工業社会の労働者家族をそのモデルとしており。この労働者家族の共通リスクを国家がコントロールすることが可能であるとの認識を前提として形成されてきている。だがグローバリゼーションとポスト工業化社会は、そうした共通リスクのコントロールでは把握できない諸問題を出現させ、「まったく新しい」経験を福祉国家に突きつけているというわけである。』(P36)

本書ではこのようなマクロの世界変動まで視野にいれた概念整理を行ったうえで、社会的排除論と旧来の貧困研究との関連や、ホームレスに至る経路の分析とその過程で見られる「引きはがし」「中途半端な接合」という社会的排除の形成、ネットカフェ難民にみられる若年者たちが直面する「中途半端な接合」の状態とそれを生む家族や教育現場、労働環境との関係性、社会保障・生活保護の現状分析とそれら制度が生む社会的排除についてなど、具体例をかなり盛り込みつつ、広範囲に説明している。

印象としては社会的排除という概念は確かにマクロからミクロまで、余りにも広い範囲を対象としているがゆえの曖昧さがあると感じられる。目の前で貧困にあえぐ人がいるときにグローバリゼーションが~とか言われてもさーという、ある種の浮世離れした何か。だが、その一方で、社会的排除という経済的貧困ではなく社会的関係の乏しさや孤立という関係性まで包含し、結果だけでなく過程まで目を向けているという点で、貧困対策や個々の社会保障制度という各論を繋ぎ合わせて、現在われわれが直面する諸問題の全体像を描き出せる可能性を秘めているのは間違いない。

また、グローバリゼーションや福祉国家の限界という世界的な変動を前提としていることで、ほとんどの場合、最早個人ではどうしようもない要因によって社会的排除に陥るのだということもはっきりとする。社会保障政策はこの点を前提とすることで、無用な「制度からの排除」を回避し得るのではないだろうか。

「社会的排除」という観点から捉えることで、一人一人の社会との関係性を見つめなおすことの重要性に目が向けられており、また、その個々人がそれぞれ直面する様々な排除・孤立・差別・貧困などの諸問題を包摂しうる対策を生み出しうるように思う。前述の通り、社会的排除は国家では対応し得ないという限界がはっきりとしており、社会全体でどう向かい合い、助け合う体制を整えることが出来るか、というとても大事なことを示唆しているように思う。

以上のような点で、今「社会的排除」についての理解を深めることは大変重要であるという認識に至らされ、この本はとても勉強になった。

(注1) 岩田正美「社会的排除 ワーキングプアを中心に

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